私以外私じゃないの…
トイレに駆け込むと同時に鏡で自分の姿を確認した。
前世の面影など微塵もない〝他人〟である普通の中学生がそこには居た。とても前世とは思えないほどの鮮明な記憶で混乱しているのか、抑えきれぬ自分勝手で理不尽な感情…。
〝私である事を伝えたい。私に気づいてくれ。。
ナミ…。他の家族はどうしてるんだ……〟
溢れる涙を水道の水であらって流す。
流しても流しても涙が止まらない。
〝コンコン!〟
誰かがドアをノックしてくる。
わたしが慌てて顔を拭いて返事すると、
「大丈夫?体調悪いの?
申し訳ないけど料理もできたし先に始めておくから
気にしないでゆっくり出てきて大丈夫だからね!」
のぞみ先輩だ。
声が震えそうで恥ずかしくて返事できなかった。
軽く扉を
〝コンコン〟
とノックして返事の代わりにした。
しばらくして向こうに歩いていく足音が聞こえ、
〝パーン!パンパーン!!〟
「かんぱーいっ!!」
一斉にクラッカーの音がして騒ぎ声がトイレまで聞こえてきた。
本当に始まったんだ。
孫のナミを思い出した事と自分のせいだが私抜きで始まった送別会に対して少し寂しくなった。
ポケットにしまったクラッカーをトイレのゴミ箱に捨てようとして取り出したが、大人げなくなってもう一度ポケットにしまって鏡に映る自分を確認した。子供のままだ。
私は孫の名前を今日まで忘れていた。孫という事は妻も子供もいたんだ。
はっきりとは思い出せない。
どうしているんだろうか。顔も名前も思い出せない。
私はどんな祖父であり、父であり、夫であったのか全然思い出せない。何故かとても虚しくなる。
また顔を洗って鏡でびしょ濡れの自分を見つめた。
自分の顔じゃないような気がする。
まるで別の人を私が演じているような気持ち悪さと自分に対しての違和感を感じる。
もう奥さんを孫のナミだと確信していた。
〝コンコン!〟
また誰かがトイレの戸をノックしてくる。
返事をすると、
「ちょっといい?」
聞いた覚えがない声がする。
私は慌てて顔を拭き、拭いた紙をゴミ箱にすてて外に出てみると副部長の吉塚先輩が外にいた。
「すいません、長く使ってしまって。」
と言って体を横にしたが先輩はトイレに入る様子はない。周りの様子が気になって店内に目をやると大事はないと判断してなのかそうでないのか…大盛り上がりでみんな楽しそうだ。
吉塚先輩は真顔でずっとこちらの様子を伺っている。
そういえば吉塚先輩の声は大会後の挨拶以外あんまり聞いたことがない。
基本的に大人しい人で誰かと楽しそうに話してる姿は見た事なく、大人びていてクールなイメージがある。
吉塚先輩がこちらをみながら突然話しかけてきた。
「もしかして周回者なの?あなたも選ばれた人なんでしょ?
あなたは何周目……?
……まだ記憶は完全に戻ってないみたいね。
その様子だと初めて周回したのね?」
という。
私は動転して理解できず、
何も答えないまま吉塚先輩の顔を見て〝コクン〟と頷くと続けてこう言った。
「私は3周目なの。
2週目の時、前世で死別した息子に会って同じような事があったわ。私は死を覚悟して母親の生まれ変わりだと伝えた。
初老を迎えた息子は〝何言ってるんだこの子は〟って言って驚いていたわよ。突然知らない子供に下の名前で呼ばれたら驚いて当然よね。
〝制限〟によって胸が痛くなって私が座り込むと、息子は私を気にする事なく不審がって去っていったわ。
今は大分割り切れるようになったけど最初は私も困惑したものよ。
でも前世で繋がりのある人とは絶対接してはダメよ。
あなたじゃなくなってしまうわ。
今日はうまくごまかすのよ!いい?」
真面目な顔をして強い口調で私に言う。
なんで他人の私にそんなに熱くなってくれてるのだろうと思ってキョトンとしていると、
そんなのおかまい無しという感じで続ける。
「周回者に会ったのはあなただけじゃない。
思ってるより周回者は多くて仲間はたくさん居るわ。
大抵の人は記憶が戻ってない子供のうちに誰かに話してしまって記憶が無くなってしまう。家族や親友に相談してしまう人が多いみたい。大人になるまで秘密を守れる人は少ないのよ。
それでも6周廻ってる人も居たわ。」
キョロキョロ周りを気にしている。
そして私の頭を指差して続けて話す。
「あなた、若白髪で悩んでるでしょ?
〝周回者〟の特徴は若いうちから白髪が生えてくる事。
個人差はあるみたいだけど、記憶が無くなっても〝周回者〟は若白髪が多い。あたしは異常なほど多いからこれだけは本当やだ。さっき先生のとこであなたが座り込んでるときに見えたの。あたしは黒く染めてる。
これで悩んでる時にある人に声かけてもらって周回しているのは自分だけじゃないって知ったの…」
そう言って遠い目をして下を向いた。
全然喋らないと思っていた人がめちゃくちゃ話す衝撃的な状況と、とても悲しそうな顔に私は何も言えない。
すると吉塚先輩の後ろから私の方に向かってたくみが歩いてくる。
「なんしよーとさっきから〜。
もしかして告白とかじゃなかろーね。
ずっとトイレ前おるけんはいれんやん!
てかもう体調大丈夫と?
飯もちかっぱうまいけん早く戻りー」
そう言ってトイレに入って行った。
何言ってんだこいつは!
ほんと恥ずいわ。
と思って先輩を見るといつも通りクールな感じでこちらを見てる。そのまま振り返って先に戻ろうとする先輩に私は自分の置かれている現実をもっと知りたくて、
「今度またゆっくり2人で話せませんか?
携帯無いんで、後で番号教えてください」
と私が言うと、先輩は振り向かず左手をあげて返事をした。さっきはあんなに喋ってくれたのに…
そう思いながらナミの方をチラ見するとこちらを見てる。隣を見ると先生と目が合う。
立とうとするナミの肩を抑えて心配そうな顔で先生が1人で近寄ってきた。
ナミは私の方を見てる。
「大丈夫か?」
そう言う先生に、
「すいません、楽しみで昨日からご飯抜いてたら貧血起こしたみたいです!」
と笑って言うと、さっきの事はあまり気にして無い様子で〝クシャッ〟と笑って
「そうか、なら良かった
だったら今からタップリ食べなきゃな!」
そう言って私の背中をさすってテーブルに戻っていった。
私が気にしないようにしてくれてるのだろう、先生は何も聞いてこなかった。
ナミはまだ気にしてるようでこちらを見てる。
吉塚先輩に言われたことを思い出し軽く会釈して飲み放題のスープの方に目線を移し、スープをカップに注ぐ。
視線を感じるが自分の心を押し殺して見ないようにした。
感情的な私だが、この時はまだ記憶がそこまで戻って無いことが幸いしたんだと後になれば思う。
私は自分のテーブルにやっと戻った。
美味しそうなご飯を食べてる友人が、
「お帰りー!大丈夫?
早く食べなきゃなくなるよー」
と言ってくる。
みんなも気を使ってさっきの騒動には触れない。
良くも悪くもそういう時代になってきたなぁ。
そう思いながら席に着くと、しばらくしてトイレからタクミが戻って来た。
「てかさっきトイレの前で告りよったやろー?」
突然の発言に私たちはお互いの顔を見合わせる。
そして次の瞬間5人全員で声を揃えて、
「えー!」
「えー!」
「えー!」
「えー!」
「はー?」
と大きな声を出した。
何かあったのかと店内に居る全ての人の意識がこちらに注目する。
注目された事が恥ずかしくて、存在を隠すようにテーブルの上で身を低くして、
「違う!違う!」
小声でそう言ってはみたものの、誤解だと弁解しようにも内容を話す事はできない。
タクミは大げさにさっき見た事を大きな声で話している。
嘘をついて誤魔化しても、後でもしバレたら余計に疑われてしまう。嘘はつきたくない。
助けを求めてチラッと左に目線を移すとみさきと目が合う。
〝あー!ヤバイ!〟
みさきがこの事をのぞみ先輩に言ったら完全に終わってしまう。
八方塞がり。
悩んでると突然横に立つ女子の制服が見えた。
体を起こして顔を見てみると吉塚先輩が立っている。
すると、タクミに向かって内面から出る恐い顔と冷静な口調で
「あんた誤解されるような事言うのやめてもらえる?
あたしになんか言いたい事あんの?
あんたは大きな声で友達をからかってるだけのつもりでしょうけど巻き込まれてるあたしのこともからかってるわけ?不愉快なんだけど。」
と言ってひと睨みして一蹴した。
「すみませんでした。」
気まずそうに謝るタクミを無視してみんなの前で私に電話番号を書いた紙を渡して言う
「本当にあたしのトロンボーン欲しいならしっかり考えて電話してきて。
もうあたしは使わないけど大切にしてたものだから欲しいだけじゃあげられない」
そう言って自分のテーブルに戻っていった。
とってもカッコいい大人の女性の雰囲気だった。
とても中学生では出せないオーラだ。
しかし、作り話はイマイチだった。
〝なんだ、そう言うことか!〟
となるはずもなく、告白の疑いは晴れたがしばらく質問責めが続いた。
何だかんだあっという間に時間は過ぎ、
各々買ってきたプレゼントを3年生に渡し、
お腹はいっぱいにならずに送別会は終わった。
見送りのため、入り口で扉を開け在校生が並び始める。
外はほとんど夜になっている。
先生が
「帰るまでが遠足だからな!気をつけて帰れよ!」
とみんなに言う。
言いたい事は分かっているが、
これは遠足じゃねーよ。と心の中でツッコミを入れた。
心の中でしかこんな言葉遣いはできない。
ナミは車に乗ってからも私を気にしていた。
入り口で先生や先輩を見送ってからも残された後輩にはまだ仕事がある。後片付けだ。
私は最後まで手伝ってのぞみ先輩と少しでも話せる機会を伺っていたが、のぞみ先輩はやる事が多くてそれどころじゃない様子だった。
私が帰る時も両親と忙しそうに動き回っていた。
その姿を見て自分の奥さんがこの人だったら本当幸せだろうなぁ。と入ってくる時に思っていた事も忘れて図々しくも妄想しながら見つめる。
〝こんな事ばかり考えて私はヤバイヤツだ。
勝手にいつも妄想してごめんなさい。〟
なぜか舞い上がって一人でそんな事を考えながら店を出た。
結局その日は2人きりで話すタイミングもなく、最後に挨拶だけして暗くなった夜道を相棒の自転車のライトを頼りに家まで帰る。
〝ピンポン〟
家のインターホンを鳴らしても誰も出ない。
今までこんな事はなかった。
心配になりながら持っている鍵で家に入ると真っ暗で何も見えない。
何だか怖くなって急いで家の中の電気をつけてまわった。
テレビをつけようとリモコンを探すとテーブルに手紙が置いてある。
〝私以外♪私じゃないの〜♫〟
読みながらテレビの電源を入れると音楽番組が流れて部屋の空気が変わる。
手紙によると父と母は珍しく2人で外食に出かけたみたいだ。場所から察するにあと1時間くらいは帰ってこないと思う。
〝なんだぁ。良かったぁ〟
ホッとするとさっきまでビビっていた事が恥ずかしくなる。
考えてみれば、産まれてからずっと1人になる事はあまりない。ましてや夜に1人になることなど今までなかった。
なぜか無性に興奮してきた。
今私は久しぶりの……〝自由な時間〟を与えられた!!
そう気づくと普段は出来ない事をしたくなった。
まずテレビのボリュームを上げる。まだお腹が空いている。
これを一度やってみたかった。
ジブリの映画に出てくる焼いた食パンの上に目玉焼きを乗せた食べ物だ。
まず食パンを焼く。その間に半熟になるように目玉焼きをオリーブオイルで焼き、塩コショウで少し味付けします。目玉焼きをお皿に出して黄身を少し冷やす。
パンが焼けたらバターをたっぷり塗り、その上に少し冷ました目玉焼きをお皿から移し乗せ、少しマヨネーズをかけたら完成!
それをペロっと食べる。
太った人の好む食べ物という印象だったがとても美味かった。私は初めて作ったし、一度も食べた事はない。
なのに私はこの味を知っている。
このとろっとした黄身をパンですくって食べるのが玄人の食べ方だ。
なぜ…、なぜ…食べた事ないのに。
前世の記憶…
言い知れぬ恐怖を感じる。
不安でぬったりとした様な気持ちだ。
この感じは一度経験している。
3歳の誕生日の日…
〝いやだ!だめなんだ。
私は今の私が私なんだっ!
変わりたく無い!〟
3歳の時はほとんど別人のように突然自分が変わった気がする。
自分が変わってしまったら今日までの私はどうなるんだ!
あの時は分からなかったが今はわかる。
何かが私の胸のあたりから染み出てくる。
私はもう前世の私に戻りたくはない。
〝なんかくる!〟
何だか別の人間になってしまうのではないか…
とてつもなく不安だ。
大切な家族の事は今の気持ちのまま、今の私のままで接したい。
そんな古いものなんて嫌だ!前世の私なんて要らない!
今の自分が今の本物なんだ。私はわたしなんだ…。
〝いやだ…いやだ!〟
何かが私の中から溢れてくる。
溢れてくるものを止められない。
〝待ってくれっ!
やめてくれっ!
いやだぁーー!〟
!!!ゴーーーーン!!!
体に響く除夜の鐘のような音が頭の中を強烈に振動させた。
前世の記憶が3分の2ほど蘇る。
なぜ3分の2だと分かったのかはわからないが感覚的にそう感じた。
思ってた不安とは違い、私のままという自覚だ。
変わってしまったり、おじいちゃんみたいにはならなくて安心した。
何を思ったか慌てて大好きな卵かけご飯を作りに台所に走る。
〝カッカッ!
グシャグシャ!〟
醤油とごま油を少し垂らして、また混ぜる。
味の素を少しかけていっきにかきこんだ!
〝ゴクン。〟
毎回食べると目を閉じて少し微笑んでしまう。
うん、美味い!
いつも通り!
食べ物もいろいろ試してみないとわからないが、今のところ気にならない。
食が落ち着いた途端、輪 について何故かとても気になりはじめた。
不安にとても似た苦しい気持ちになる。
口の横についた米をペロッと舐める。
もぐもぐ…
〝輪…。〟
沁み込むような声は、輪については何も説明はしなかった。
それは私自身に考えろという事なのか…
それともまだ新しいお告げのようなものがあるのか…。
お茶碗を流しに持って行き皿洗いをしながら想いにふけっていると記憶がうかぶ。
〝あ!あのカレー屋さんってもしかして…〟
私はあのカレー屋〝マハーラジャ〟を知っている。
というよりまだ続いていたのか……