One for all, all for one.母との時間…
やっと始まった残り少ない夏休み初日。
部活も友人との予定もない。
久しぶりに寝たいだけ眠れる休日なのに朝からスッキリと目が覚めた。
起きてだいぶたつが天井の白いクロスの模様を見ながらボーッと昨日の大会や部員と過ごした吹奏楽の夏を思い返してた。
朝から自問自答している。
私がやってきた練習内容は最優秀賞の金賞をとった学校と何が違ったのだろうか?彼らのモチベーションはどういうものだったのだろうか?
他校の生徒も大半は一学年から始める。
スタートラインは同じはずだ。
マーチングとは簡単に説明すると楽器を吹きながら全員で行進する奏法だ。
演奏はもちろんだが、行進の美しさや一体感が必須だ。
マーチングだけは一人でする練習がほぼない。
どうして差が出るのか。
マーチングの時に先生が言っていた言葉を思い出す。
「マーチングはみんなで協力して息を合わせて一つになるようにっ!全員で一つの動く絵になるんだ!」
イメージはでるがとても難しい事だ。
どんなに練習しても一人一人の〝個〟の波長をしっかり合わせようとしなければマーチングは息が合わない。
歩幅や動きが合うまで何度も繰り返し続けるハードな練習だった。
1人でも心が折れたらなかなか進まない。
普段優しい先生も指導が熱くなる。
「集中、集中ー!しっかりと音を聞いて!
テンポ合わせて!ほら、合わせてー!!
なにやってるんだ!毎回そこじゃないか!
みんなできてるんだからお前もできるはずだっ!
お前だけがキツイわけじゃないんだぞ!
なんでこんな簡単な事が出来ないんだ!」
集団の中から一人ずつ名指しで注意される。
私ならあんな事みんなの前で言われたら余計にできなくなるかもしれない。
しかし先輩達は涙を滲ませながらも歯をくいしばって必死に足を動かして頑張っている。
何時間も足踏みさせられて私の足もガクガクだが、乱したく無い一心で私も歯をくいしばり耐えた。
休憩を入れながら何度も繰り返し練習し、先生から合格をもらう回数も増えていった。
そして見事大会ではミスもなく無事完璧にやりきってみせたのだ。
前世での記憶がふと浮かんでくる。
「個人で動いても大きな事は成せない。
だが、みんなが一つになって同じ目標を持った時に出来る事は計り知れない。だからみんなでやるんだ!
〝One for all, all for one.〟
1人は皆んなの為に、皆んなは1人のために。
役割分担して効率よく、潤滑に!」
私が前世でボランティアのメンバーによく言っていた言葉だ。子供の頃お気に入りだった〝三銃士〟に影響され好きになった言葉だった。
Tシャツにプリントしたり、キャッチフレーズにも使っていたお気に入りの文句だ。
今思い返すと若干恥ずかしくなる…。
集団を〝個〟にするマーチングと、〝個〟を集団にするボランティア作業では当たり前だか内容は全然違う。
だが、みんなで協力して完遂するという行動や目標においては同じ団体行動だ。一人一人のモチベーションや取り組む姿勢も違うのに、司令塔の言うべき言葉や考え方はほとんど同じだ。まるで繋がった〝輪〟のように…
あの沁みるような声を思い出す。
〝輪を繋げてください…〟
何かを目的とした人と人との〝輪〟を繋ぐ…。
そういう事なのかぁ…?
まだ子供である私の頭でぼんやりとそんな事を考えていると、また前世の記憶が蘇る。
前世の私は勉学は不得意で体を動かす方が得意であった。
学生時代は先生、先輩からバシバシ体罰を受けて指導されていた。特に先輩は口で言うより手が先に出るといった感じで、今の時代であったら大変な教育問題になる体罰は同じ日本でもひと昔前までは当たり前だった。
不思議と決して嬉しい事ではなかったのにそれをどこかで〝愛〟だと思っていた。
辛くても一番になりたくて我武者羅にしごきに耐えたのには理由がある。
努力や苦しみの向こう側に必ず〝望む未来〟が存在すると真剣に信じていたからだ。
血の滲むような練習を学生をやめるまで続けたが、
私の努力や苦しみは結局最後まで大きな結果を出せずに青春が終わった。
血の滲む努力の先には、いつも現実という壁があった。
努力した分野で結局私は何者にもなれなかったが、
努力する事の大切さ、やり遂げる信念を身につけた事でその後の苦難を乗り越えられたと今は思う。
しかし、どうしても私には合わない指導だった。
叱られ、叩かれ、恫喝され…最後に〝なぜできないんだ!〟
と言われる。その理由をこっちが聞きたいくらいだ。その度に続けていく不安が募る。
優しさや愛情というものとは別の、今で言うイジメのようなものであったと当時の私は思っていた。
その為、私の嫌いな指導に反発して社会人になっても自分の後輩や部下にはその教えを受け継がせる事はしなかった。
社会人4年目の夏の熱い昼下がりに会社の電話が鳴った。
長い闘病生活の末、恩師の先生が亡くなった事を知る。
あんなに苦手だった先生なのに、私は仕事も途中で抜けて急いで先生のお宅に向かった。
奥様に挨拶をして先生の元に駆け寄ると、痩せ細って眠るように横になってる水口先生がいた。
恩師の水口先生が亡くなる前、口にした教え子の名前の中に私はいたそうだ。卒業しても先生は私の事を気にかけてくれていた…。
通夜の時、先生の奥様に聞かされた時は自分自身の愚かさ未熟さに涙が出た。
伝え方は私には合わなかったが、確かに先生は愛情を持って教えてくれていた。その教えが今も生きている事を私はずっと気付いていた。
他人が私に貼るレッテルという〝決めつけ〟は私自身の結果である事は間違いないのかもしれない。
しかし、貼られたレッテルによってはその生き方しかできなくなる人だっている。剥がせなくなる人だっている。
それが次の結果を変えてしまうことだってあるんだ。
そう思って未熟な私はずっと素直になれなかった…
だが、どんなにこびりついて剥がれにくくなっても、苦しくて投げ出したくなっても、貼られたレッテルを剥がせるのは私自身しかいなかったのだ。それを努力によって変えられる事を教えてくれていたんだ。
水口先生の厳しさは、私より先生の方が私の可能性をもっと信じてくれていたからだったのかもしれない。
前世の記憶なのにはっきりと当時の感情が蘇り胸がグッと苦しくなった。気づいたら目に涙が溜まっていた。
ティッシュで拭こうとティッシュ箱の横に置いていたマウスピースを見てふと我にかえる。
現代の指導と過去の指導のどちらにも正解はない。
大切なのは〝個人〟の気持ちだった。
厳しい指導に現代の若者である先輩は泣いていたが、弱さに負けず跳ね返してしっかりと最後までやり遂げた。
全員の前で叱られ、とんでもなく失敗してる気持ちになって萎縮してしまう。
今の時代、失敗がなによりも恐い世代であるのは間違いない。
だが、先輩は負けなかった。
人の輪について、きっかけは見つけれた気がしたが実際思い違いかもしれない。
今の私では納得いく答えが見つけられなかった。
そんな事を考えながら天井を眺めている。
ピンポン♩ピンポン♩
家のチャイムが鳴る。
母親が下から私を呼ぶ。
めんどくさくてしょうがないんだが私を訪ねてチャイムが鳴るなんて小学校の時以来だ。
少し嬉しさもありパジャマのまま下に降りてみると、
小学校から同じで近くに住む同級生のみさきと、のぞみ先輩がリビングに立っている。
〝おいっ!おいおいっっ!
お母さん、なぜ何も言わないんだ!
もううちに上がってるし!〟
と心の中でボヤきながら
慌てて部屋に戻って着替えて降りると、
母が余計な事を言ってくる
「遅いわねぇー!
上でバタバタ何してたの?
こんなもんしかなくてごめんねぇ。」
と、私を見てニヤッとした後ペットボトルのお茶を2本とお父さんの柿ピーを小皿にだしてテーブルに置いた。
〝あなたのせいで上で慌てることになったのです。
せめて誰が来たか伝えてくださいな!
そして柿ピーはマジでやめてくれ…〟
と、母を睨みながら心の中でつぶやく…
するとのぞみ先輩が、
「昨日コンクールでヘトヘトなのに
突然おじゃましてごめんね。」
と申し訳なさそうな顔をする。
「そんなことありませんよ!
どうしたんですか?」
私はすぐに返答する。
その様子を見ながら母がニヤニヤして私を見ている。
少しホッとした様子で先輩が話し始める。
「明後日の夕方に三年生の先輩の送別会したいんだけど、私の家でやるし参加してもらえないかな?
メール送ろうと思ったんだけど誰も連絡先知らなくて…
学校は住所教えてくれないからみさきちゃんに聞いたら、家の場所ならわかるし近いから直接行こうってなって連れてきてもらったの。
玄関でよかったんだけど、リビングに通してもらって迷惑かけちゃってごめんね。」
と申し訳なさそうにペコッと頭を下げる
〝いやぁ、、、かわいい!
みさきナイス!〟
心の中で叫ぶ。
そう思いながらミサキを見ると柿ピーをバリバリたべてる。小学生の時から思ってたけど変わった女の子だ。
動揺しているのを悟られたくなくて私は普段よりもさらに平常心を心がけて、
「ぜひ参加させてください!
迷惑なんて全く思ってません!
逆に伝えるためにそこまでして来てもらってすいません!」
と言った。
全然平常心を保てず緊張して声が大きくなる。
その様子を見てニヤニヤしている母と目が合う。
ムッとした顔を母にだけ向けた。
「良かったぁ!嬉しい!
用意するものとか紙に書いておいたから確認しておいてくれる?」
とのぞみ先輩がルーズリーフに手書きで
開始時間、参加費、2千円までのプレゼント、住所
が書いてある紙を折りたたんで差し出した。
「わかりました!必ず参加します!」
そう言って受け取った。
なんて素晴らしい日なんだ。
「おじゃましました」
しばらく母さんと何か女子だけの話を弾ませて盛り上がった後、先輩達は帰っていった。
柿ピーは全部無くなっていた。
急にいつものわが家に戻って恥ずかしくなった私は、突然訪ねてきた想像もしない来訪者をまだ受け止められてなかった。動揺してしまった事を母のせいにして、先輩が来た事をなぜすぐ伝えなかったのかと母を咎めた。
そして緊張して無愛想で無かったか、いつも制服なのでこの私服で恥ずかしくなかっただろうか、髪型の印象は問題なかったかなどを照れ隠しで母に問い詰めた。
母は嬉しそうに優しく
「大丈夫よ!全然イケてるよ!」
とだけ言って夕飯の支度を始めた。
材料から察するに今日の夕飯は私の大好きなピーマンの肉詰めだ。
父が帰ってきて家族で揃ってご飯を食べ、その日はお風呂に入ってテレビを少し見たら早めに二階の部屋にこもった。
ベッドの上でのぞみ先輩に渡されたルーズリーフの文字を何度も読み返してなかなか眠れなかった。
次の日、洗濯を干すついでに母が起こしにきた。
「いつまで寝てるの!休みだからってゴロゴロしないの!
買い物行かなくていいの?」
そう言って私の部屋にあるベランダに出て洗濯物を干している。
いい加減毎日勝手に自分の部屋に入るこの洗濯システムが嫌になってきた年頃だ。
少しムッとして寝ぼけている目をこすり、ボーッと母が干す服を見ていたらほとんど私の洗濯物ばかり。
文句は言えない。
ムッとしている自分に言い聞かせて黙って起き、
顔を洗って歯ブラシに歯磨き粉をつけて部屋に戻る。
歯磨きをしながら黙って母の洗濯を初めて手伝った。
「どうしたの?明日雪が降るかもね。」
と言いながらとても嬉しそうにしている。
恥ずかしくて人には言えないが、私は母の喜ぶ顔がとても大好きだ。
そういえば私は今まで母の手伝いなんてした事ないな。
こんな事で喜んでくれるんだ。
共働きの両親だが、家事は母がすべてやっている。
よく考えてみたら大変な事だ。
それでも私が帰って来る時には必ずいてくれる。
ひとりっ子でも寂しくないように、子供の時から母が遊び相手だった。
母であり、姉のような存在だ。
カゴの中から最後の洗濯物を取ろうと母がかがむ。
昔はなかった母の後頭部に数本の白髪を見つける。
とてもオシャレな母には言えずに私は見て見ぬ振りをした。
そのかわり、
「いつも本当にありがとう、大人になったらいっぱい親孝行するね」
と言って洗濯カゴを持って一階に降り、脱衣所にある洗濯機の上に置いた。
脱衣所を出ると母も降りてきていきなり私を抱きしめて
「あなたが望めば将来何にでもなれる。お母さんはずっとあなたの味方として応援するからね。」
そう言う母の顔を見るとまつ毛が濡れていた。
私もつられて泣きそうになったが我慢した。
「買い物連れてってあげる」
機嫌の良くなった母からありがたい提案。
明日の為にオシャレな私服を母が選んでくれた。ウチの家は父も私も全て母のコーディネートだ。
楽しそうに私の服を選んでくれている母のセンスの良さも私の自慢だ。
明後日の二千円までの先輩のプレゼントも買って帰った。