銃火器同好会の怪 file.2
「……ここか」
昼休み。
俺は部室棟と呼ばれる学園の東側に位置する校舎を訪れていた。名前通り各部活の部室が詰め込まれた校舎の中の一室の前に俺は立っていた。
銃火器同好会。この学園最高にして最大の同好会。部屋を二つをぶち抜いて一つにした広大な部室はとても創設から二年しか経っていないとは思えない好待遇だ。
入鹿センパイ曰わく、俺が入院中のときからこの同好会では度々緊急ミーティングが開かれ、昼休みには多くの会員がここに集結しているとの話だった。
「覚悟しろよ、陰険同好会共……」
最高だか最大だか知らんが所詮は人間として最低な人格破綻者共が群れて出来た烏合の衆……地獄から舞い戻った肇様を敵にしたことをすぐに後悔させてやるぜ!
「おらぁ!邪魔するぞ、こらぁっ!」
「あ、どうぞー」
勢いよく敵の巣窟に踏み込んだ俺を待っていたのは、可愛らしいエプロンを身に纏った可憐な少女だった。
「あら、ひょっとして麒麟塚くんですか?」
「お、おぉ……」
「退院されたんですね。お噂はかねがねお伺いさせていただいてますわ……って、あらやだ、私ったら自己紹介もせずにぺらぺらと……お恥ずかしいです」
「……はぁ」
「私、雨崎稲葉と申します……一応この同好会の会長をさせていただいていますわ。以後、お見知り置きを……」
そう言うと、雨崎とやらは、小さな頭をぺこりと下げ、スカートの端を軽く持ち上げて膝を折って見せた。
……一体なんなんだこれは?これが本当にあの陰湿な銃火器同好会の首魁なのか?
なんで、フリル付のエプロンなんか着てやがる?ふわふわの髪は黒いリボンで飾ってやがるし、目元はぱっちり、唇はふっくら………これは、世に聞く美少女というやつではありませんか?
「今みんなでお茶をしようと思ってたところでしたの。麒麟塚くんもご一緒にいかがですか?」
「……もらう」
「はい、じゃあ、そちらにお座りなさってください」
なんだか知らん間にすっかり着席させられて、茶菓子などがすぐに目の前に用意されていた。
次々に席に着く他の会員たちもすこぶるフレンドリーで、気軽な様子で初対面のはずの俺に声をかけてくる。
……俺、なんでここに来たんだっけなぁ?
「どうぞ、粗茶ですが……」
「あ、ども……」
うわぁ、すっげぇいい匂い……インスタントの紅茶しか飲んだことがない俺なんかが理解できそうにもない嗅いだことない酸っぱい匂いだ。
「麒麟塚くんのお口に合えばいいのだけど……」
「いや、こんなエレガント?な紅茶今まで見たもことねぇよ……高い茶葉とか使ってんっすか?」
「そんな……安物で申し訳ないくらいですわ。麒麟塚くんが来ると分かってたらもっとちゃんとしたものを用意したのに……」
「マジっすか?じゃあ、今度はちゃんと前もって連絡しときますよ」
「あら、また来てくださるの?うれしい!」
わぁ、頬に手を当て恥じらいながらも喜ぶ姿……なんて眩しいんだろうか。
「……どっかの人間凶器様にも見習わせてやりたいぜ」
「なにか言いまして?」
「いや、なんでもねぇっすよ!はは」
いやぁ、いいところだなここは!
風紀委員止めて、こっちに来たいくらいだぜ。
そうこうしてる内に部屋にいる全員に給仕を終えた雨崎さんが俺の対面に着席し、洗練され尽くした仕草で紅茶を飲みながら俺に切り出した。
「それはそうと……今日はどのようなご用件でこちらに?」
「あぁ、いやね?ウチのセンパイが委員会に届いた脅迫状まがいの抗議文がこの同好会から出されてるなんて、馬鹿みたいな妄想を宣いやがったんっすよ……まったく、失礼な話っすよねぇ?」
「あら、それ本当?
誰か、知ってる人いるかしら……?」
俺の言葉に天使のような顔を困ったように曇らせた雨崎さんが会員に尋ねるも、みな首を横に振った。
「いやいや、まさか聖母のような雨崎さんが会長をお勤めなさる同好会のメンバーにそんな性根が腐った人間はいませんよ、いるわけないじゃないですか!ウチのセンパイの完全なる暴走ですから、気にしないでください……」
まったく、入鹿センパイめ、なにが生徒会の次に厄介な存在だ、馬鹿も休み休み言えってんだ!
「ま、まぁ、そうでしたのならお気になさらず……ほら、紅茶も冷めてしまいますわ」
「あぁ、すみません、せっかく淹れていただいたのに……すぐ飲んじゃいますから!」
「あ、そんなに急がれるとこぼしてしまわれますわ……!」
「だーいじょうぶっすよ……っと!」
いけね。あんまり慌てたから持ち上げたティーカップから紅茶がこぼれて――
ぴちゃっ。
じゅぅぅぅ……。
……えーと、見てきたことをありのままに話すぜ!
俺が慌てて持ち上げたティーカップから紅茶がこぼれちまったんだ。
その滴がいくらか机の上に落ちまったんだが、そうすると机が煙をあげて溶けちまったんだ。
分かるか?
紅茶に強力な酸性の物質が混入してたんだ!
尋常じゃねぇぞ……これは異常な事態だぞ、こらぁっ!
それを目の当たりにして、同好会の奴らは凍り付いたように黙り込んでしまった。
雨崎さんなんか、俯いてしまって顔を見ることも叶わない。
嘘だよな……?
雨崎さんがこんなことをするはずがねぇ……よな……?
やがて、雨崎さんはピアノ線が張り詰められたような沈黙を破るように、顔を上げた。
「茶葉が少し古かったみたいですわね♪」
「はは、そうでしたか、ってそんな言い訳通じるかぁぁぁぁ!!」
その爽やかな笑顔に一瞬そうでしたかなんて納得しかけちまったじゃねぇか!?
俺のツッコミに完全に顔から天使のような笑みを消し去った雨崎は、毒々しいまでの表情で悔しそうに吐き捨てた。
「ちっ……バレてしまったからにはしょうがないですわ……麒麟塚肇抹殺計画NO.48、外からが駄目なら内側から強硫酸で破壊作戦は失敗ね」
「こぇーよ!馬鹿みたいな作戦名の割に、内容は近年犯罪史稀に見ない残忍さだよ!」
「ふん!あなたみたいな下等生物は、あんなお茶でも飲んで体中でろでろに溶けてしまえばよかったんですわ!」
く、なんて女だ……さっきまでみたいな可憐さは億万浄土に消えちまった……俺のときめきを返せ!
って……ちょっと待てよ……。
雨崎→あまさき
雨→う 崎→さき
雨崎→うさき
うさき→うさぎ
うさぎ→ウサギちゃん……って、あぁっ!
「てめぇ、恋するウサギちゃんか!?」
「な、なぜ私のペンネームを!?その名はお姉様しか知らないはず!?」
やっぱり犯人てめぇかよ、糞女!
「よっくも俺のことゴミ虫なんて呼んでくれたな、おい!」
「ゴミ虫をゴミ虫と呼んで何が悪いんですの!」
「な……なんてこと言いやがるこの陰険女!」
「うるさい、ヒモ!」
「あれもお前の仕業かよ!?性根腐りきってんじゃねぇか、お前!?」
「あなたにお前呼ばわりされたくないですわ、このカメムシ星人!」
「お前何通出したんだよ!?あとカメムシ星人って一体なんなんだ!?」
壮絶な言葉の弾丸が机を挟んで銃火器同好会の部室を行き交う。
なんて口の悪さなんだ、この女!鷲村なんか軽く凌駕している!
そんな刹那、舌戦を繰り広げている俺のこめかみに冷たい感触が押し付けられた。
慌てて横を見ると、眼鏡の男子が俺のこめかみに銃を突きつけていた。
「はぁっ……はぁっ……でかしましたわ、御手洗先輩!」
「ふ……こういう時はちゃんと各自のコードネームで呼んで欲しいですね……“便座”と」
「だせぇことを無駄にクールに言いのける……さてはてめぇ、恋するポエマーか!?」
「いかにも。あるときはペンネーム・恋するポエマー……そしてまたあるときはコードネーム“便座”……しかしてその正体は、銃火器同好会副会長・御手洗犬一郎時継見参!」
……ただの便座フェチの変態のくせに名前が無駄にかっこいい!
そんな変態の登場に雨崎は勝ち誇ったような高笑いをしてみせた。
「形勢逆転ね!便座が持ってるエアガンは私たち銃火器同好会が改造を加えた特別性、人の頭蓋骨を貫通するくらい容易くてよ……」
「く……」
なんて玩具だ……いかに鋼の頑健さを誇る俺様でも頭蓋骨を撃ち抜かれたら集中治療室に逆戻りだぜ……!
仕方ねぇ。口で活路を切り開くのは趣味じゃねぇが四の五の言ってられねぇか……。
「……てめぇらの目的はなんだ?」
「目的……それは決まっています。我々の障害となる麒麟塚肇を抹殺する……それが我が同好会の総意ですわ」
「俺が銃火器同好会のどんな障害になるってんだよ!?」
「あるんですわ……あなたには我々全員に均等に怨まれる理由が……!」
さらに噛みつこうとする俺のこめかみに、雨崎の怒りに呼応するようにより強く改造エアガンが押し付けられ、俺はやむなく閉口する。
「訳わかんねぇよ……お前らいったい何なんだ……」
「君は僕たちを見誤っている……」
「なに……?」
「銃火器同好会とは世を忍ぶ仮の姿……所詮は隠れ蓑に過ぎない……」
「…………なんだと」
これがこの学園最大にして最高の同好会様の言い種か?
自分たちが今まで手にした栄光の数々をなんとも思っていないみてぇじゃねぇか!
「……聞かしてもらいたいもんだね。あんたらが纏ってる隠れ蓑の下にある顔とやらを」
「いいでしょう。冥土の土産にお聞かせしましょう……」
俺の言葉に横柄な態度で雨崎は頷いた。
雨崎の尊大な言葉に続くように部屋の中にいた三十人近い会員の姿勢が瞬時に伸ばされ、さながら軍隊のように一斉に声を張り上げる。
「鷲村砂漠を護り」
「鷲村砂漠を助け」
「鷲村砂漠を支え」
「鷲村砂漠の敵を排し」
「鷲村砂漠の栄光を至上の喜びとし」
「誰にも退かず」
「誰にも媚びず」
「誰にも負けず」
「ただ鷲村砂漠の陰となりて」
「鷲村砂漠の礎となれ――!」
雨崎がエプロンを勢いよく宙へと脱ぎ捨てた。
『我ら、鷲村砂漠親衛隊!DESS(Desert Eagle Schutzstaffel)!!』
「……なんだこりゃ」
あー、つまり、なんだあれか。お前ら……。
「……鷲村のファンクラブ?」
「失敬な!あんな下賤なものと一緒にしないでくださる!?」
いつの間にか額に骸骨のエンブレムを抱いた軍帽を被っていた雨崎が憤慨して言い返す。
「私たちはお姉様をあらゆる障害から守る親衛隊……そんじょそこらの性欲塗れの好意をお姉様にぶつける下等生物共とは違う、高邁な精神と厳格な規律を持つ軍隊なのですわ!」
『ハイル、フューラー(総統万歳)!!』
雨崎のご高説に会員達は片手を空に突き出して、大声で唱和した。
……あぁ、そう。
俺の呆れきった顔に気付くこともなく、雨崎は自分を見上げる部下の視線に酔いしれていた。
「……なんでわざわざ同好会に擬態してまでこんなまどろっこしいことしてるんだよ?」
「……し、仕方ないじゃない!限りなくあったファンクラブはみんなお姉様に粛正されてしまったんだから!」
あぁ、なるほど。
うっとおしいほど風紀正義を掲げるあいつのことだ、自分絡みのことで騒がしくなる学園が耐えれなかったんだろうな……当時のホロコースト(大量虐殺)が目に浮かぶようだぜ。
こいつらの異常なまでに統制された連携も、一度見つかれば即死という恐怖心から来るものなのだろう。
……怖いなら止めればいいのに。
「それで地下に潜ってこそこそと追っかけ活動ってわけか」
「し・ん・え・い・た・い、ですわ!!」
きんきんとした高い金属質な怒鳴り声と強く押し付けられるエアガンの冷たい感触。
うぅ……いい加減こめかみが痛いなぁ……。
「麒麟塚君。僕たちの要求はただ一つだ」
怒りに身を任せ、一向に話が前に進まない雨崎を脇に置き、御手洗は落ち着き払った様子で俺に交渉を持ち掛けた。
どうやら名目上は雨崎が会長でも、実際にこの同好会の手綱を引いているのはこの男らしい。
「君が風紀委員会から離れ、今後二度と鷲村君と関わらないなら、我々は君に一切危害を加えることはないと約束しよう」
「あぁ、なんだそんなことか……」
なんだ全然大したことない、というかむしろラッキーな位じゃないか。
先ほどは謂われのない誹謗中傷に腹を立てていて、全く気付かなかったが、俺はそもそも風紀委員会に無理矢理入れられて全然乗り気じゃない。
これを理由に委員会を止めればいい。
俺はこのヒステリック女に罵られることもないし、人間凶器と息が詰まる生活をしなくて済む。
素晴らしい!棚ぼたラッキーとはこのことか!
災い転じて福となす、人生万事塞翁がウマー、だな!
「あぁ、いいともいいとも。喜んで止め――」
突如、頭ん中でクリアな声が再生する。
『……敗者の自由は……勝者のもの』
……っぅ!?
お、悪寒が……!
『……最低』
ぐぁぁ!?体中の傷が急にぃ……っ!?
『……残り三年間の学園生活を有意義に過ごすか、病院のベッドで過ごすか……少し考えればどちらが幸せか分かるはず』
うがぎぎぎぎぃっ!?
立てっ立つんだ、麒麟塚肇!諦めたらそこで人生は終了だよ!
『……お前がいなければ、あの女生徒は無事では済まなかった……心に一生残るような傷を負ったに違いない』
『本当にありがとう』
映写機のフィルムが切れるように、脳裏に映し出された映像はそれが最後だった。
あの日、病室でほんの一瞬あいつから引き出せたモノ。
あいつが俺に見せた唯一の笑顔――
「……られねぇよなぁ」
脳裏を走馬燈のように駆け巡るのはあいつに舐めさせられた苦汁の数々。
堅いアスファルトに突き刺さった拳の弾。
一瞬でジュースになっちまった哀れな林檎。
脳内いっぱいに響き渡る骨が砕ける音。
肩が外されたときに見えた真っ白な閃光。
……じくじくと全身の傷という傷が呪いみたいに疼き出して、冷や汗が止まらねぇ。
俺にとって鷲村との思い出のイコールは、とんでもねぇ死の淵ギリギリの綱渡り、恐怖体験のオンパレードだ。
「だけどよ……それだけじゃねぇんだよ」
「……なに?」
鷲村はこえー女だ。
俺の頭をぺちゃんこにしちまうプレス機みてえな力がこえーし、鋼鉄も易々と貫いちまいそうな目もこえー。
その上女らしくねぇ。
ちっまいし、口は悪いし、滅多に笑わねぇし、人使い荒いし、何かにつけては暴力振るうし、三歩下がるどころか俺の三歩前歩くし、おまけに乳までねぇと来たもんだ。
「……だからって、それがなんだってんだ」
「……いったいどうしたんだい麒麟塚君?さっきから何を一人でぶつぶつと……」
鷲村には信念がある。
学園の平和を願い、生徒のことを案じ、それを守ることに自らの犠牲を厭わない。
だが、それに比べてこいつらはどうだ?
こいつらの行動原理はどんな綺麗な言葉で飾っても所詮は鷲村への隠しきれない欲望。
そのためなら俺を殺すことすら躊躇わない。
言うなればエゴの塊。
「…………」
「昼休みは短い……そろそろ答えを聞かせてもらいたいんだがね?」
うっせーな、黙ってろよ変態便座眼鏡野郎。
こめかみに押し付けられた冷たい感触を無視して、俺は目の前に置いてある紅茶のカップへと手を伸ばした。
「……いい匂いだ」
毒々しいまでの硫酸の匂いが俺の鼻孔をくすぐるぜ……。
「答えね……答えなんて最初っから決まってら」
「では、聞かせてもらいましょうか。我々の要求を飲むのか……否か?」
そう、答えは決まっていた。
俺はずっとそれだけを信じて生きてきた。
「俺の答えは……」
俺は手に持ったカップを勢いよく放り投げた。
空中を弧を描いて飛来するカップのその先にあるのは、変態眼鏡の面。
ぱりん、とカップが割れた――。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「これが俺の答えだ!」
鷲村にあって、こいつらにないもの。
それは、正義。