砂漠の鷲
〜現在〜
「あー……」
負けた。完膚なきまでの負けだ。完全に土がついちまった。
見下された。あれはあいつが壁を這う小虫を見た時の目と寸部も違うまい。きっとそうだ。
「……鷲村砂漠、か」
あんな剛力の持ち主だ、きっと見上げるくらいの巨漢に違いないと思ってた。
筋骨隆々で、坊主で、きっと体中傷だらけで、なんか妙に女にモテて、舎弟を百人単位で抱えていて、なんかビーム系の必殺技とか持ってて、部屋の床には虎の皮の絨毯敷いてて、空飛んだり、二回くらい生き返ったりするんじゃねぇかと勝手に思ってた。
そんな漢だと、思っていた。
「……女じゃん」
しかも、あんなに細くて、小さくて。
顔なんて、よくできたお人形みたいで。髪が真っ白で、目が真っ黒で。
顔を再び横に向ける。
ここに残されたのは、アスファルトに深々と空いた穴。それだけ。
人形みたいな小さな拳が残した置き土産。
「…………」
あの女の姿はもうどこにもいなかった。
夢なんじゃねぇのか。
この穴はあれだ、隕石だよ。最近流行ってんだろ。月の石だよ。ハレー彗星だよ。遠い宇宙からのお客さんの仕業だよ。
ちょっと頬を抓れば、痛くないに違いない!
ぎゅう。
「……いてぇ」
「夢ちゃうで、にいちゃん。現実見ぃや」
「あん?」
のそり、と起きあがるとそこには一人の男が立っていた。
もう春だってのにニット帽を被り、俺と同じ制服をだらしなく着崩している。
にやにやと笑っている軽薄そうな優男。俺の嫌いなタイプの男だ。
「なんだてめぇ……俺の後ろに立つな」
「自分みたいなヘタレが十三番語るんちゃうわ、眉毛が泣くぞ」
「なんだと……」
十何年振りに喧嘩に負けて傷心中の俺によくも抜け抜けと宣ってくれやがる。
ちょいと、自分の前歯の味を吟味させてやらにゃあいかんようだ――
「しっかし、自分も自業自得とは言え、災難やったなぁ。
入学初日にあの“デザートイーグル”に喧嘩売ってもうたんやから」
……でざーと……いーぐる?
「……おい、一体なんだってんだ、そのでざーといーぐるってのは?」
「あぁ、知らんかったんか……あだ名やあだ名。ニックネーム。鷲村砂漠のな」
「……?」
「鷲でイーグル、砂漠でデザート。“砂漠の鷲”っちゅう意味や。
……やっぱおつむ緩いな、自分。アホやアホ」
「そのまんまじゃん」
「せやな。しかし、それだけちゃうんや、このあだ名にはもう一個特別な意味がある」
ちっちっち、と指を振ってみせる動作が一々キザっぽく腹が立つ。
しかし、俺も大人の男だ、黙って聴いてやろうじゃねぇか……なによりあの女の情報だ。
「デザートイーグルっちゅうのはな……世界最強の威力を持つ弾丸を放つ化け物みたいな自動小銃の名前なんや」
「……世界……最強」
せや、と目の前の優男は頷いた。
……なるほどな。そりゃあ、あぁもなるわ。
人形みたいな小さな体から放たれる、化け物みたいな破壊力を持つ拳。
まさに銃。
世界最強の自動小銃。 鷲村砂漠。
「……デザートイーグル、か」
優男はニット帽に手をやるとそれを目深に被り直した。
その表情に今までみたいなふざけた表情は、ない。
「確かにな……自分は喧嘩、めっぽう強いわ。
体もバランスよう作っとるし、動きにセンスがある。悪ぶっとるが、心は真っ直ぐ歪んどらん。負けん気強いし、自分に強い自信もある。
理想の喧嘩屋や。そんじょそこらじゃ負け知らずやろう……」
せやけどな、と優男は言葉を切った。
深く被ったニット帽からやつの片目が覗く。
人を測るような、機械のような冷たい目。
「自分の拳は所詮ただの人間の拳や。そないな拳はな、ボクサーなり空手家なり格闘技で食うとる奴なら誰でも持っとる。
だが、鷲村の拳は弾丸や。その気になれば、人でも殺せるような……小さな兵器や。
兵器は人間を殺すため……あるいは抑えつけるための力、ただの人間やったら勝たれへん」
気がつくと、男は俺に背を向けていた。
しかし、俺はその男を追う気になれなかった。
無様に地に膝を着いたまま、立ち上がることが出来ない。
ざっ、と男の靴が今一度地面を噛み、男は立ち止まった。
「……幸い今日は高校生活最初の日や。今までの自分の性根を更正するには最良の日やろう。
あと三年、目立たんようにひっそり過ごせ。
そしたら弾丸が自分に飛んでくることはあらへん……ほな、さいなら」
今度こそ、男は振り返ることなく俺の元を去っていった。
もう、諦めるしか……ないのか?
〜同刻、風紀委員室〜
「あ、おかえりなさい、さーちゃん。はじめ君は無事?」
「うん。ちょっと脅しつけてやっただけ」
「そう……お疲れさま」
そう一言返すと仕事に戻る入鹿。二人にとっては今日のことなどなんでもないことらしい。
「それでさ……さーちゃん、あんたこれどうするつもり?今期の予算に余裕なんてないのよ?」
二人の目線の先には粉砕された扉。
砂漠は特に何か反応することなく机の上に皮財布を放り出した。
「……修理費はここから捻出して」
「参考までに聞くけどさ……誰の財布?」
「……あの不届き者」
「あぁ……そう。まぁ、ありがたく接収させて頂くわ」
その財布は入鹿の懐に消えた。もう二度と肇の元に帰ることはないだろう。
「……そろそろ時間ね。スピーチ、頼んだわよ。委員長の替わりにね」
「抜かりはない……準備は万端」
「そう……じゃあ、行きましょう」
二人は体育館へと歩き出した。なんてことのない日常業務を果たすために。
〜放課後〜
「……いてぇなぁ」
血は止まったけどまだ額がジンジン痛みやがるぜ……股の湿り気も気持ち悪いし最悪だ。
こんな無様な気分があっただろうか。いやかつてこんなことはなかったね。
「くそっ……胸糞わりぃぜ」
「あれ、はじめか?」
「ぎくっ!」
なんでよりによってこんな時に知人に遭遇するかな、俺様は!?
し、しかし、いついかなる時も知り合いを無下には出来ない!俺が麒麟塚肇である限り!
「よ、よう……ヒロ君じゃないの。久しぶりだねぇ」
「おっす、はじめ。俺だけじゃなくてみんないるぜ」
「よう、はじめ君」
「ま、マッシー」
「はじめちゃーん、やっほー」
「ユキヒロ……」
「はじめさん!押忍っす!」
「こ、こーちゃんまでいるのかよ……」
「おうよ。麒麟塚愚連隊、総員集結だぜ」
……ぜ、全員集合かよ。やべぇ、ピンチだ。
「いやぁ、五人揃うのなんて卒業以来だな」
「いやいや、あんときははじめ君卒業延期で補習漬けだったじゃん」
「三月三十一日まで卒業証書貰えなかったんだよねー、ぷぷ」
「さすが、はじめさん!やることが漢っす!」
「そーいうのは馬鹿ってんだよ、こーちゃん」
「お陰でお礼参りの時もいなかったしなぁ。もったいねぇよ、タムセンのヅラ剥ぎ祭見れなかったなんて」
「ありゃ傑作だった」
「したっ!」
くそっ、言いたい放題言ってくれやがるじゃねぇか……いや、それよりよろしくないぞ、この集まりは!?
「それでよ、首尾はどうだったんよ?」
き、来た!
「しゅ、首尾ってなんのことだい?」
「なんのことだい、じゃねぇよ……“学園最強をぶっ倒して学園支配しようぜ大作戦”の首尾に決まってんだろ?」
ハズい!そんなダセェ作戦名だったのか!?
いや、そんなことよりもどう言い逃れすればいいんだ!?
「いやいや、はじめ君のことだから上手くいったに決まってんだろ」
「もう百人くらい血祭りっすよ、ねぇ?」
「いやいや、はじめちゃんだから、きっと学園中の女共を全員奴隷にしたのよ」
「どうなんだ、実際のところは?」
え、えーと……。
「……たりめぇだろ、今日、麒麟塚肇の伝説が新たに刻まれたのよ」
って、なに言っちゃってるの俺――!?
『おー!』
感心するな!止めろ!その疑いを知らぬ赤子のように輝く瞳を誰か止めてくれぇ!!
「そ、それでどんな伝説が……」
「敵は俺の伝説を既に耳にしていた……奴らは俺を恐れていたのさ……骨の髄までな……」
「さすが、はじめ君だ……敵国にも伝説が」
止めて!止まって!
「奴らは卑劣だった……居城を複雑精巧な迷宮に作り替え、俺の到来を拒んだのさ……」
「そこまで……なんてことだ……」
俺の自尊心に油を注がないで!フルスロットルしちゃうから!
「だが俺は敵の圧政に苦しむ一人の女に導かれ、ようやく敵の居城を突き止めた……」
「はは、モテモテだなぁ、はじめちゃんは」
らめぇ!そんなこと言っちゃらめぇぇ!!
「俺は奴に苦しめられてきた全ての人間の思いを、願いを、希望を拳に乗せて奴を粉砕した……奴の巨大が宙を舞ったよ」
「ぐすっ……相変わらず、お前は変わらねぇな……俺たちのかっこいいはじめのまんまだ……」
ぐすっ……泣きたいのはこっちだよ。
「敵は死にかけだが辛うじて俺の手から逃れたらしい……明日……決着を付けて……奴の息の根を止めてやる……」
「はじめ!俺はお前を一人で行かせたりはしねぇよ!」
「そうだな……俺たちも行くぜ」
「だって……俺たち友達だもんな。ね、はじめちゃん?」
「麒麟塚愚連隊が力を合わせれば怖いもんなんてなにもないっすよ!」
「おめぇら……ふ、わりぃな……恩に着るぜ」
「へ……今さら水臭いぜ、はじめ!」
「そうだぜ、はじめ君」
「はじめちゃんが行くところたとえ火の中、水の中……でしょ?」
「それが俺たち麒麟塚愚連隊っすよ!」
「よーし、じゃあ、みんなで行くか!せーの!」
『麒麟塚愚連隊、万歳!万歳!万歳!』
……どうしようかな、明日。
死んだかも……俺。