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止まった命



何が正しくて、何が間違っているの?


何が本当で、何が嘘なの?


何が幸せで、何が不幸せなの?


当たり前に分かる事なのに


壊れかけの私には、もう分からない。


壊れた瞳には何が映るの?


灰色の風景?それとも…。





『何をしているの?かおる、さっさと家の中に入るのよ』


 そう怒鳴る母の声が耳を突き刺し、心を揺さぶらす。


少しの希望に縋り付きたくて、今の自分なら自分の意見が言えるんじゃないかと淡い想いが広がってゆく。


そしてそれが私の背中を後押しし、言葉と行動を変えていくんだ。


それがどんな結果になるかなんて、その時の私には分かり切れない現実。


それでもあがいてみたかった。


「嫌だ、まだ外にいたい。おじいちゃんと雪を見ていたい、少しだけでいいから」


 いつも言う事を聞く私が、少しの抵抗を見せると、母のヒステリックさはどんどん加速していき、鬼みたいな表情がより、般若になってゆく。


『…貴女はいつからそんな聞き分けの悪い子供になったの?変な影響を受けたのね…』


 そう言葉を吐くと、母の目つきが変わり、ターゲットがあたしからおじいさんに変わっていく。


『貴方のせいですよ、おじい様。かおるはいつも私の言う事を聞く聞き分けのいい子なのに、変な影響を与えないでください』


『かおるは自分の意志で言うただけだ。影響なんかじゃなくて、本当に想っている事を口に出しただけじゃよ。お前さんがいつも重圧をかけて、かおるを支配しているから、この子は言う事を聞いているだけ。お前さんにかおるの気持ち、理解出来るのかい?』


 おじいさんはそう言うと私を守るように、ギユッと抱きしめた。悲しそうな表情を私に向けると同時に耳元でこう囁く。


『大丈夫、私が守ってあげるから、かおるは何も心配しなくていいんじゃよ』


 その言葉が冷たい世界の中で、心に駆け回り、浸透してゆく。


雪のように、温かく、冷たい香りを残して…。


(神様がいるなら、この幸せな温もりをもう少しだけ、感じさせてください)


 心の声に影響を受けたのか、私の瞳から雫がポタリと零れ堕ちる。


私の痛みと共に…。


これから起こる悪夢を呼び寄せるように、静かに壊れていく。


私はおじいさんの言葉に力をもらった気がして、少しの勇気を振り絞り言葉を綴っていく。


ため込んでいた心をゆっくり言葉に変換し、母の耳へと届かす為に…。


いつもの私なら分かっていたはずなのに、その言葉達を口にするとどうなるのか。


何が壊れていくのか理解していたはずなのに。


感情が抑えられない私は人間に戻りかけていた。


「私は家に帰りたくない。お母さんの側にいたくない」


 その言葉を吐いてしまった時にはもう遅い。


母の表情はもっと険しくなるどころか、感情の抜けた人形みたいに、無表情になってゆく。


私の知ってる母は、もういない。


こんな母を見るのは初めてだった。


私の知らない怒鳴らない母の姿。


冷たい空間がドス黒い空間に移り変わり、ドクンと心臓が飛び跳ねる。


これが本当の恐怖と言うものだろうか。


その時の私は気づくのが遅かった。


自分の立場や環境によって、言っていい言葉といけない言葉があると言う事に…。


『聞き分けの悪いガキ。聞き分けの悪いガキ、聞き分けの悪いガキ、聞き分けの悪いガキ…』


 何度も何度も、そう呟き、繰り返す母は亡霊に取りつかれたように、空虚な瞳で空を見上げ、唇からはダラリと涎が流れている。


何かのスイッチが入ったみたいに、唇が微笑み、ケラケラ笑いだした。


その瞬間だった。


母の手が私の首を掴み、引き寄せる。


まるで言う事を聞かないペットを躾けるみたいに…。


『私の言う事を何故聞かないいぃぃいいいいいい』


狂った母は、私を引き寄せると、細い首を両手で締め付け、死ね死ね、と笑っている。


(もう自分は死ぬんだ)


 そう実感しても、自分の想いを言えた事に後悔はなかった。


今自分が死んでも、おじいさんを守れるなら、よかったと思う冷静な自分がいて、少し怖く感じた。


でも、それは私の儚い夢の一粒。


それを阻止するのが、おじいさんだから…。


私の希望や、願いは届かないのが現実なんだ。


『紀伊さん、やめなさい。その子は何も悪くない!』


そう叫びながら、私と母を引き裂き、間に入って、今の状況を変えるのがおじいさん。


いつもそうだった。


それだけで終わっていたのに、今日はいつもと違ってた。


『私のかおるを取るな、私のものだ。私の子供だ、私の人形だ』


『違う、かおるはかおるだ。貴女のものじゃない』


『違うぅぅうううううう。私のものだ、私だけのもの、誰にも邪魔させない』


「やめて!」


母の両手が私の首を離れる。その瞬間におじいさんが私を庇うように、抱きしめ盾になるんだ。


バシンバシン、母の手がおじいさんの背中を叩き上げる音が耳に響く。


私はなんて事をしてしまったんだ、と自分の本音を言ってしまった自分を責める事しか出来ない。


『大丈夫、安心しなさい』


弱々しく微笑むおじいさんは、私を安心させる為に、ずっと言葉を吐き続けている。


『人を憎んではいけないよ?かおる』


『大丈夫、君を守ってくれる人、いるから』


『私がいなくなっても、恨んだりしてはいけないよ?』


『かおるは一人じゃない。皆かおるの幸せを願ってる』


『私はお前を守る事しか出来ない…守れているのか分からないけれど』


『人を愛する事をやめないで』



シンシンと振り続けていた雪が止んでいく。


人の心臓と同じように。


ゆっくりと、機能を奪っていく。



それがおじいさんの最後の言葉…遺言だった。






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