鎖
私の鼓膜に振動する音は叫び声と私の名前を呼ぶ声だった。
ここはどこだろう?凄く心地よくて、眠たくなる。このまま永遠に眠ってしまいたい衝動に駆られてしまうそうな心地よさ。
表と裏の間に鏡はあって、私の左手、あたしの右手を、呪縛のように鎖が絡みついている。
ジャランと音がした気がする。ここは暗闇の中で何処なのか分からないけれど、左手をグンと引っ張られてる気がする…。
まるで戻ってこいと言わんばかりに。
『戻りたくないのなら、戻る必要はないよ』
髪の長い女の子が私の正面に現れてそう告げる。
「あなたは?」
そう聞くと勿論返事などは返ってこない。
その代わり、返事の代わりにただ一言だけ残して。
『もう遅いよ、おねぇちゃん…』
歯車はぐるぐる回りながら、運命の針も狂っていく。
勿論私達自身も、バランスを崩し本来の姿を壊し、残ったのは壊れかけたアンバランスな自分。
遠くで声が聞こえる。
私の背中の向こうでケラケラと笑い声が聞こえて、私は見たくない現実を見てしまう。
引っ張られる左手を庇いながら、振り向くと、そこには大きな鏡があって、私の姿が見える。
私の目線には鏡の向こうの私は私であって私じゃない。妙な違和感と微かに見える鎖の姿に自分の左手と向こうの自分の右手を確認して言葉を失う。
暗闇に塗れてる私と鏡越しのあたしは繋がれていて、あたしが怒りに反応する度に、大きな力で引っ張られそうになってしまう。
「あれは私?」
咄嗟に出てきた言葉に我を失いそうになる。凄くショックな現実。
これは私の脳みそが溶けてしまい、見せている幻想の欠片なのかもしれない。
そんな、色々な考えを巡らせていると、少女はこう言った。
『あたし達、三人はおねぇちゃんだよ?』
「え…?」
『だから、おねぇちゃんが現実に耐えられなくて、あたし達を作ったんだよ?言ってたじゃない、鏡に向かってあたし達に助けてって…もう忘れたの?』
「…」
何もしてない、そんな事する訳ない、ふとそんな言葉が口から零れそうになったが理性がそれを止める。
どうして何も言えないのだろうと考えながら、過去の記憶へと糸を辿ってゆく。
あれはいつもと同じ時間帯。
地獄の時間帯を耐え終わる時だった。
「たすけて…、もう痛い。あれ?痛い?どこが?何が?痛いて何?分からない」
「わからないわからないわからないわからないいいいいいいい」
私は頭を押さえながら、床を這いつくばりながら、ゆっくりと力を振り絞りながら身体を起す。
「ううっ…」
長く続く廊下の先には小さな洗面所と蛍光灯の光がある。
眩い光なはずなのに、目を背けながら、闇に溺れる私の感情。
「なんでぇ…わたしが…こんな目にあうのよぉおおおおおお」
右手で、洗面所の横にある小さな鏡をパンチし、砕く。
私の心も鏡と同じ瞬間に割れた気がした。
鏡の割れた破片が右手に食い込み、少しずつ出血してゆく。
まるで血の涙のようだ。
そんな光景を見ていると、安心したような、苦しみから解放されたような錯覚に陥りながらも、所詮錯覚は錯覚でしかないと思い知る。
私は流れる血を止める事なく、再び鏡に向かい縋り付く。
今度はヒビの入った鏡に、まるで私の心みたいな鏡に。
「だれかぁぁぁぁぁぁ…たす…け………て……」
力なく項垂れる身体は精神の限界の現れ。
何が本当で何が嘘か、何が現実で何が夢か、もう理解が出来ない。
無色透明な鏡が徐々に血で濡れていく。まるで化粧しているみたいに。
『あたし達が助けてあげるよ』
『あたし達を求めれば楽になれる』
『あたし達に委ねたら、上手くいく』
『あたし達を殺したら、自分も殺せる』
『自分が憎いのでしょう?一番。だったらあたし達とゲームをしましょうよ』
自分の声とは似つかない、妖艶な声が耳の中をぐるぐる回る。
私は耳を抑えようとして行動したが、誰かに睨まれてるように感じて、動けなくなってしまう。
「たすけて」
『たすけてあげるよ、おねぇちゃんあたし達は、いつでも貴女の味方なの』
今度は幼稚園児みたいな喋り方だ。この子の言っている私達って誰と誰の事?
狂ってる私には理解出来なかった。