第八十二話 夢湯
「裕ちゃん、なんかえらく寂れているというか……」
「客の姿がないな」
数軒の温泉宿が見えるが、人はあまりいなかった。
温泉が止まっているので、お客さんが来ないのであろう。
宿の中で一番大きな建物の前にマイクロバスが止まると、中から和服姿の若い女性が出てきた。
「本日は、わざわざありがとうございました。温泉宿『夢湯』の女将をしております。佐高明美と申します」
温泉宿の女将というからおばさんだと思ったら、二十代前半ほどに見える、とても綺麗な女性であった。
この人目当てに通う客がいそうな気がする。
「女将、約束の除霊師を連れてきたぞ。若いが実力はある」
「菅木先生、ありがとうございます」
「温泉が復活してくれないことには、ワシも湯治に来れないのでな」
菅木の爺さんと、女将は顔見知りのようであった。
この温泉宿の常連でもある……もしかして……。
「(菅木さん、女将さん目当てで通っていたのかな?)」
「(そこはかとなくそんな気が……おかしいとは思ったのよ。政治家なのに浮いた噂も聞かないから)」
「(そういうのは、芸能界でもあったわね。政治家って女好きが多いから)」
「(忍は、そういった方々の情報を知ることが多いですね)」
「(うちの生臭ジジイもそうなのかしら?)」
「お前らな……」
菅木の爺さんと女将さんとの仲を疑った久美子たちに対し、彼は呆れた表情を浮かべていた。
「友人の娘さんなのだ。裕、女将の父親は、剛の友人でもあったのだぞ」
「それは初耳だ」
「広瀬さんのお孫さんですか。雰囲気が似ていますね」
女将さんは、俺の顔を見ながらしみじみと言った。
昔を思い出しているのであろう。
「あれ? でもちょっと変じゃないかな?」
「どこが?」
俺は久美子に対し、そのおかしな部分を問い質した。
旧友の娘のため、菅木の爺さんが一肌脱いだんだろう。
別におかしな点はないと思う。
「女将さんって、裕ちゃんのお祖父さんのお友達の娘というよりも孫って感じの年齢だよね?」
そう言われると、確かに娘さんにしては若すぎるような……。
でも、遅くに産まれた娘さんならあり得るのか?
「裕、嬢ちゃんたち。女将は……女性の年を言うのはどうかと思うが、なあ」
「ええ、四十を超えたおばさんですからね」
「「「「「ええっーーーっ!」」」」」
「いやいやいや、全然四十代になんて見えないから!」
久美子たちが驚くのも無理はない。
この人、なにか特別な魔法にでもかかっているのではないかと思うほど若く見える。
大学の構内を歩いていても、学生にしか見えないであろう。
「こう見えて娘もいますから。今、若女将として修行させていますけど」
「驚いたなぁ……とにかく、今は除霊だ」
女将さんになにか霊障があるわけでもなく、まずは温泉を止めている悪霊についての情報を集めることにしたのであった。
「本当に突然、一週間前に源泉が止まったのです。実は、この夢湯の敷地内に、戸高夢温泉の源泉がありまして……」
まずは詳しいお話をということで、俺たちは今日宿泊する予定の部屋に案内してもらい、女将さんにお茶を淹れてもらった。
ちなみに部屋だが、男子部屋と女子部屋に分かれている。
ファミリー用の大きな部屋なので、竜神様たち、菅木の爺さん、お稲荷様、山狗がいても……。
部屋が広くても、存在感が半端ないな。
というか、茶菓子ばかり食わないで話を聞け!
「ここは、以前は戸高家専用の温泉屋敷があったそうなので」
江戸時代、戸高夢温泉は戸高家の一族か、彼らが許可した家臣しか泊まれなかったそうだ。
つまり、温泉を独占していたわけだ。
それが明治維新になり、戸高夢温泉には民間が経営する宿屋が参入し、ようやく地元の人たちが楽しめるようになったという。
「その源泉に悪霊が、ですか……。なにか心当たりは?」
悪霊は、基本的にそこになにか関係がないと留まらない。
源泉か夢湯に恨みでもなければ、いきなり源泉を止めてしまうなどしないはずだ。
「物理的に温泉を止めてしまっているから、かなり強力な悪霊だと思うわ。でも、それほどの悪霊なら事前になにか前兆があるはず」
ある日いきなり、温泉の源泉を止めるほど強力な悪霊が現れた。
普通ならなにかしら前兆があったり、強力になる前の悪霊がそこに居たりするはず。
突然というのはおかしいと、涼子は自分の考えを述べた。
「それが、心当たりがなくて……」
「女将さん、この宿や温泉で亡くなった方はいないのですか?」
「話に聞く限りだと、三十年ほど前に湯船で亡くなったお客さんが……病死だと聞いております。ですが、悪霊化はせず、念のため広瀬さんにも見ていただいたそうです」
「裕ちゃんのお祖父さんが見てなんともなければ、三十年後に突然悪霊化するなんてあり得ないよね」
「となると、浮遊霊かな?」
結局のところ、実際に見てみなければわからない事例だったというわけだ。
源泉に移動すべく俺たちは席を立ったが……。
「女将、温泉饅頭をお替り!」
「甘さ控えめで美味いの。裕、早く源泉を復旧させ、我らを温泉に入らせるのだ」
「温泉、楽しみだね」
「封印されていたから、温泉なんて百年ぶり以上だぜ」
竜神様たち、お稲荷様、山狗は茶菓子を食い散らかしているだけなので、放置して早く源泉をどうにかすることにしよう。




