言霊
一台の馬車が山道を走る。その荷台には大勢の人間を乗せていた。
やがて馬車は、とある豪邸の前で止まる。
「おお、待っていたよ!」
「へい、カネガネ様。いつも、ありがとうございます」
馬車を運転していた男は、豪邸の前で待っていた男にヘコヘコしている。
「で?私の商品は?」
「へい、ちょっとお待ちを」
馬車を運転していた男は、荷台に上がると一人の男を指さした。
「おら!お前、早く降りろ!」
馬車を運転していた男は先程までの笑顔から一変し、般若のような顔で怒鳴る。
「は、はい!」
「早くしろ!……はい、カネガネ様。こちらが商品になります」
「ふっははっは、なかなかいいじゃないか!これなら、マリーの遊び相手も十分に勤まりそうだ!」
「はははっ、そうですとも!そうですとも!」
二人は上機嫌で笑い合う。笑いが収まると馬車を運転していた男は一枚の紙を取り出した。
「では、こちらにサインを」
「うむ……これでいいかな?」
「はい、ありがとうございます!」
「また、いいのがいたら買わせてもらうよ」
「へへぇ、ありがとうございます!」
男が馬車に乗り込むと、馬車は再び走り出した。
馬車の荷台から安藤は屋敷の方を振り返る。荷台から降ろされた男が引きずられて行くのが見えた。
「マリーってのは、魔物らしいぜ」
誰かがポツリと呟いた。
「魔物?」
「ああ、ダイダイモンキーって言う、馬鹿でかい猿の魔物だ。他の生き物を玩具にして遊ぶ習性があるらしい」
安藤の背中がゾクリと震えた。安藤だけではない。馬車の荷台にいた全員が恐怖のあまり目を伏せた。
一時間後、馬車がまた止まった。次の客の元に到着したのだ。
「おら、次はお前だ!来い!」
馬車を運転していた男が今度は若い女性を指さす。男に指を指された瞬間、女性は馬車から飛び降りた。
「いやあああああああああああああああ!」
「おい、俺の買った商品が逃げたぞ」
「へへっ、ご安心をキンナリ様……『レイト』」
「がっあああ!」
「あっ、倒れた」
「あいつらが嵌めている首輪には魔法が施されています。様々な呪文により、体の自由を奪ったり、強烈な痛みを与えることができるのです」
「へぇ、それは、それは……後でどんな呪文があるか教えてくれ」
「かしこまりました」
客の男は、ゲスな笑い声を上げ、倒れた女性に近づく。
「いやぁ、楽しみだなぁ!何して遊ぼうかな!!」
「ひいいいいいいい!」
客の男に女性が引きずられていく。女性は馬車の荷台にいた安藤達を見た。
「助けて!誰か!」
女性は手を伸ばし、助けを求める。
「くそ!」
安藤は思わず馬車から飛び降りようとした。その腕を初老の男性が掴む。
「行っちゃ駄目だ。アンタまで酷い目にあうぞ!」
「でも……」
「諦めなさい。もう手遅れだ」
「くっ!」
安藤は屋敷を見る。
「誰か、誰か、嫌ああああああああああああ!」
バタンと屋敷のドアが閉まる。同時に女性の悲鳴も消えた。
「ああ……」
安藤はその場に崩れ落ちるように座わる。
「仕方がないんだ」
初老の男性はまるで自分に言い聞かせるように呟いた。
馬車は何事もなく、走り出す。
「ええと、次は……うっ」
馬車を運転する男が息を詰まらせた。
「あそこか……」
次に到着した豪邸は、先程まで屋敷とは比べ物にならないほど大きかった。
馬車を止め、男が荷台にやって来る。
「お、お前、来い」
震える声で、男は安藤を指さした。
「……」
安藤を連れて歩く男は一言も口をきかない。とても緊張しているようだ。
豪邸の前まで来ると、男はドアを叩いた。
「はい」
ドアがゆっくりと開く。その先に一人の女が立っていた。馬車を運転していた男が頭を下げる。
「ご、ご機嫌麗しゅうございます。本日は商品を届けに……」
緊張のためか、男の声は震えている。
だが、女は男を無視して、安藤に駆け寄ってきた。
「先輩!」
菱谷忍寄は嬉しそうに安藤に抱きついた。
「は、離せ!」
安藤は菱谷の肩を掴み、押し返す。
「お、お前!」
男が怒鳴る。
「大事なお客様に向かって!」
(くっ!)
安藤は先程の女性を思い出し、身構えた。男が何かを言おう口を開ける。
「『レ……』」
「『黙れ』」
男が呪文を唱えるよりも早く、菱谷がポツリと呟いた。
男はまるで、陸に打ち上げられた魚のように口をパクパクしている。
「お前……今、先輩に何をしようとした?」
菱谷は冷たい声で、馬車を運転していた男に詰め寄る。
「まさか、先輩を傷つけようとしたんじゃないだろうな?」
「――――ッ!?」
「いいか、もし、この人を傷つけたら……」
菱谷の暗い目が男を射竦める。
「お前を殺す」
暗い表情で菱谷はさらに続ける。
「お前の妻も殺す。お前の娘も殺す。お前の父親も殺す。お前の母親も殺す。お前の弟も殺す。お前の叔父も殺す。お前の叔母も殺す。お前の従妹も殺す。お前の甥も殺す。お前の姪も殺す。お前の友人も殺す。お前の上司も殺す。お前の部下も殺す。お前の同僚も殺す。お前と関わった人間は、お前も含めて全員殺す」
分かったな?
「―――ッ!」
男は壊れた玩具のように首を何度も縦に振る。
安藤を菱谷に引き渡すと、男は一目散に馬車に乗り込む。馬車は凄まじい速さで安藤の前から消えた。
馬車が去ると、安藤と菱谷が残される。
「ようこそ、先輩」
先程と打って変わり、満面の笑顔で菱谷は、ほほ笑んだ。
***
「さあ、遠慮しないでください。先輩」
菱谷は安藤の手を握り、豪邸の中に引っ張り込んだ。
「こ、これは……」
豪邸の中に入った安藤は驚き、目を見開いた。
家の中は外観以上に豪華絢爛だった。床や壁は金で装飾されており、高価な宝石が埋め込まれていた。天井は信じられない程高く、上にはシャンデリアが飾られている。その屋敷を多くの人間が掃除している。
いや、よく見るとそれは人間ではなかった。働いているのは全て人形だ。
人間大の人形達が床を箒で掃いていたり、雑巾で壁を拭いたりしている。
『ヒシタニサマ』
菱谷に気付いた人形達が一斉に膝まずく。しかし、菱谷は人形達を見ようとしない。菱谷の視線は安藤に固定されている。
「どうです、先輩?」
菱谷がニコリとほほ笑む。対して安藤は、頬を引き攣らせながらゴクリと唾を飲み込んだ。安藤が驚いたのは、金色の壁や床でも、自動で動いている人形でもなかった。
「な、なんだよ。これ……」
「凄いでしょ」
菱谷はさらに笑みを深めた。
「先輩がたくさんいます!」
豪邸の中には、そこら中に安藤の絵が飾ってあった。
笑っている安藤、怒っている安藤、走っている安藤、欠伸をしている安藤、授業を受けている安藤、友人達と話している安藤。眠っている安藤、漫画を読んでいる安藤、ゲームをしている安藤……。
安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤、安藤……。
壁にも床にも、そして天井……あらゆる場所に安藤の絵が飾られている。
その異様な光景に安藤は息を飲んだ。
「お前……これ……」
「さぁ、先輩、行きましょ!」
菱谷は安藤の腕をグイッと引いた。
「い、行くって……どこに?」
「決まってるじゃないですか」
菱谷は、ニコリとほほ笑む。
「私の部屋です」
***
菱谷は安藤を部屋の一室に押し込むと、バタンとドアを閉めた。部屋の中はベッドが一つだけある簡素な造りだ。
「先輩!」
「うおっ!」
菱谷は安藤に抱き付くと、そのままベッドに押し倒した。
「お、おい!」
「先輩!」
「んぐっ!」
菱谷は安藤に唇を落とす。安藤の口の中に菱谷の舌が侵入してくる。
「んっ……や、やめろ!」
安藤は菱谷の肩を掴み、引き剥がす。しかし、菱谷はもう一度、安藤に唇を重ねてきた。
「やめろ……やめろって言ってるだろ!」
安藤は菱谷の体をどかすと、ベッドから立ち上がった。
「先輩?どうしたんですか?」
菱谷は不思議そうな目で安藤を見る。
「何するんだよ!いきなり!」
「何って……決まってるじゃないですか」
菱谷はベッドに寝転がり、下から安藤を見上げる。
「男と女がベッドの上でやることと言ったら……ひとつでしょ?」
艶めかしい目で菱谷は安藤を見る。一瞬、安藤の心臓の音がドクンと鳴った。
「ふ、ふざけるな!」
安藤は大きく手を振る。
「お、お前、俺に何をしたか分かってるのか!?お、お前のせいで俺は死んだんだぞ!」
怒りのままに安藤は叫ぶ。
「お前の、お前のせいで俺は、こんなわけのわからない世界に!」
「先輩」
「俺は、お前を許さない。絶対に許さないからな!」
「先輩」
菱谷はベッドから起き上がと、安藤に近づく。
「先輩」
「な、なんだよ!」
「怒った顔も可愛い!」
「んぐっ!」
菱谷はまたしても安藤にキスをしてきた。
「や……やめろ!」
安藤は慌てて、菱谷を引き剥がす。
「もう、先輩ったら、照れ屋さんなんですから」
菱谷はフッと笑った。安藤の背中がゾクリと震える。
(こ、此奴……ダメだ。話が通じない)
逃げなければ。そう思った安藤はドアに走る。
「『止まってください』」
ドアノブを掴もうとした瞬間、安藤の体はピタリと止まった。
「な、なんだ?」
体が全く動かない。まるで石になったのようだ。
「先輩」
動けなくった背中に菱谷が抱き付く。
「逃げちゃだめですよ。先輩はもう、私の物なんですから」
「こ、これ……ま、まさか、お前が……?」
「そうですよ。“言霊”の魔法です。どんな相手も自分の思い通りに動かせる魔法なんですよ」
菱谷はクスクスと笑う。
「くっ」
安藤はなんとか動こうとするが、全く動けない。
「先輩は照れ屋さんですね」
安藤の耳元で菱谷が囁く。
「本当は私としたいのに、照れてできないんですよね?」
甘く艶めかしい声が耳を責める。安藤は必死に菱谷の言葉を否定する。
「ち、違う!お、俺は……」
「分かりました」
菱谷は納得したように頷く。
「先輩は何もしなくていいです」
「はっ?」
「私が先輩を素直にしますから……」
「な、何を言って……」
「『私を押し倒してください』」
安藤はクルリと振り返り、菱谷の肩を掴むと、そのままベッドに押し倒した。
ベッドがギリシと音を立て、激しく軋む。
(えっ!?)
安藤は自分自身がした行動に驚く。菱谷の言葉が耳に入った瞬間、体が勝手に動いていた。
「先輩『菱谷、愛してるって言ってください』」
(くっ……だ、誰がそんなこと……!)
「菱谷、愛してる」
(なっ!?)
安藤は混乱する。思ったことと全く違う言葉が自分の口から出た。
「ああ、先輩……嬉しい!」
顔を赤らめながら、菱谷は下から安藤に抱き付く。安藤と菱谷はそのままベッドに倒れた。
安藤は菱谷に覆い被さる形となる。花のような甘い匂いがした。
「先輩!先輩!」
(やめろ……やめてくれ!)
菱谷は安藤に頬擦りをする。やめさせたいが、体が全く動かない。
安藤の耳元に唇を寄せ、菱谷は囁く。
「先輩……『キスしてください』」
(だ、ダメだ!)
なんとか抵抗しようとするが、安藤の意思は少しも体に伝わらない。安藤の顔がゆっくりと菱谷の顔に近づく。
そして、そっと菱谷の唇に自分の唇を重ねた。
「んんっ」
「んんんっ!」
唇を重ね合う安藤と菱谷。安藤自身も唇を動かしているため、先程のキスとは比べ物にならない程の快感が脳に伝わる。
長い時間を掛けキスをした安藤と菱谷は、静かに唇を離した。
「先輩、『私の体を触ってください』」
菱谷の命令通り、安藤の手が菱谷の全身を這い回り出した。
頭、頬、首筋、胸、足……。
優しい手つきで安藤は菱谷の全身を隅々まで触っていく。
(くっ、くそ、て、手が……手が勝手に動く……!)
「ああ……先輩、先輩!」
菱谷は顔を赤くしながら何度も「先輩」と呼ぶ。
(ダメだ。こ、こんなことをしたら……と、止まれ!止まってくれ!)
しかし、安堵の意思とは裏腹に手は菱谷の体を堪能している。
(く、くそ、ダメだ!)
安藤は必死に手から伝わる感触に抗おうとする。
(お、俺には……俺にはあいつが!)
安藤の脳裏に一人の女性が思い浮かぶ。
三島由香里。
安藤の幼馴染で、今は恋人。
小さな頃からずっと好きだった。何度も何度も告白しようと思った。だが怖くて出なかった。もし、告白して断られたら……そう思うと、途端に何も言えなくなった。
だが、安藤は勇気を出して告白した。そして、OKを貰うことができた。
(俺が好きなのは三島なんだ。こんな……こんなことしたら……ダメだ!)
安藤の理性が菱谷を拒絶する。しかし、安藤は普通の男だ。豊満な肉体を持つ美人の体を触り続けて、まともでいられるはずがない。
理性とは裏腹に、安藤の体は次第に菱谷を求め始めていた。
「先輩……」
菱谷がまた安藤に命令をしようとしている。
(やめろ……これ以上は……やめてくれ!)
「先輩、『私を……』」
菱谷は一瞬言葉を溜め、囁くように言った。
「『抱いてください』」
安藤はニコリとほほ笑む。
「ああ……分かった」
安藤の手が菱谷の服のボタンに触れる。それから、丁寧にゆっくとボタンを外し始めた。
(くそ……止まれ、止まれえええ!)
安藤は心の中で必死に叫ぶ。だが、手は全く言うことを聞かない。
やがて、安藤の手は菱谷の服のボタンを全て外し終えた。
開いた服の隙間から、大きな胸とそれを包み込む黒い下着が覗く。
次に、安藤は自分の上着を掴むと、一気に脱いだ。
「……素敵」
半裸となった安藤を見て、菱谷は顔を赤くしながら呟く。
安藤はそのまま、菱谷の体に覆い被さった。
菱谷の大きな胸が潰れる感触が、直接肌に伝わる。
安藤は菱谷の手の平に自分の手の平を重ね、グッと握った。
菱谷もその手を強く握り返す。
安藤は菱谷の首筋にキスをする。菱谷も安藤にキスを返した。
(やめ……やめ……てくれ……)
しかし、安藤の体は止まらない。菱谷の豊満な体を堪能している。
(や……め……)
安藤の意識が体に引っ張られていく。激しい快楽により、抵抗する意思が徐々に消えていく。
(だ、誰か……助けて、助けてくれ!)
最早、自分ではどうにもできない。この状況から逃れるには、誰かの助けを借りるしかない。
もし、この部屋に誰かが入って来れば、流石に菱谷も続けようとはしないだろう。誰かが来てくれれば、助かる。
しかし、この屋敷には安藤と菱谷の二人しかいない。他いるのは全て人形だ。
誰かがこの部屋に入ってくることは決してない。
安藤の脳裏に、あの女性の姿が浮かぶ。助けを求められたにも関わらず、見捨ててしまった女性の姿が。
どんなに願おうとも、安藤を助けてくれる人間は誰もいない。
「先輩、『もっと激しくしてください』」
菱谷の命令通り、体が動く。安藤の体はさらに激しく菱谷を求めた。
「先輩……愛しています」
(やめろ、やめてくれええええええええええええ!)
安藤の体は、その日一晩中、菱谷と愛し合った。