獣と狩人
菱谷はニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「先輩と私は、何度もキスをしました。何度も体を重ねました。何度も何度も何度も私と先輩は愛し合いました」
菱谷は勝ち誇ったような口調で話す。
「もう、先輩は私の物です!身も心も先輩は私の物になりました!」
貴方が入る余地は、もうありませんと、菱谷は笑う。
「……」
「私は、これから先輩の子供を産みます。十人も二十人も……そして、先輩と私、子供達とで永遠にこの世界で、幸せに暮らすのです!」
菱谷は頬を紅く染め、幸せそうに話す。
まるでお伽噺に憧れる少女のようだった。
その話を聞いた三島は……。
「フウ」
深いため息をついた。
「貴方……馬鹿じゃないの?」
「……何?」
思いがけない三島の言葉に菱谷は眉根を寄せた。
「今……なんて言いました?」
「貴方……馬鹿じゃないの?って言ったの」
周囲の温度が一気に下がる。
「優斗と貴方が愛し合っているなんて、そんなことある訳ないじゃない。だって……」
優斗は私を愛してるんだから。
「……貴様」
菱谷の雰囲気が変わった。菱谷は、まるで獣のような目で三島を睨みつける。
「ふざけたことを言うな!」
菱谷の影が明かりとは関係なく、ユラユラと揺れ始めた。
「先輩と私は、愛し合ってるんだ!先輩がこの世界に来てから、私達は何度も何度も愛し合ったんだ!私と先輩は魂で結びついているんだ!」
「はぁ……」
三島は再び、深いため息を吐く。
「“言霊の魔法”で操ったんだでしょ?さっき、王や貴族を操ったみたいに」
「―――ッ!」
三島の言葉に、菱谷の口が閉ざされる。
「君は“言霊の魔法”を使って、優斗と無理やり関係を持った。嫌がる優斗の意思を無視して」
「……違う」
菱谷は、か細い声で反論する。
「先輩は何度も私に『菱谷、愛してる』って言ってくれた。だから……」
「それも“言霊の魔法”を使ったんでしょ?」
三島は狩人のように、菱谷を追い詰める。
「君は、優斗に無理やり『愛している』と言わせた。でも、それは“言霊の魔法”で言わせただけで、優斗の意思じゃない」
「違う」
「優斗は君なんか愛してない」
「違う!」
「優斗が愛しているのは……」
私だよ。
「……殺す」
菱谷は静な声で宣言する。
「『死ね』」
そして三島に対して“言霊の魔法”を発動した。
言霊の魔法。
相手を意のままに操る魔法。どんなに頭の中で拒絶しても、必ず命令した行動をとらせる恐ろしい魔法。
その“言霊の魔法”で三島は『死ね』と命じられた。
三島は落ちていた剣を拾い、それを自分の喉に向けた。
そして、剣先を自分の喉に向かって動かした。
三島の喉を剣が貫通した。
ように見えた。
「なんてね」
三島はおどけた口調で笑うと、剣を放り投げる。喉を貫通したように見えた剣だったが、実際には三島の喉の横を通り過ぎただけだった。
「チッ……」
菱谷は軽く舌打ちをする。
「やはり、お前……」
「そうだよ」
三島は軽く頷く。
「私に“言霊の魔法”は効かない」
「……」
菱谷は思い出す。
先程、菱谷は“言霊の魔法”を使い『全員、死ね』と言う命令を下した。この『全員』というのは、『玉座の間にいる人間全員』という意味だ。
それは、当然、玉座の間にいた三島も含まれる。
王は死んだ。貴族も兵士も菱谷の“言霊の魔法”で命じた通り、死んだ。
しかし、三島はだけは、生きている。
「君が使う魔法はすでに調査済みだ。君が使う魔法で最も恐ろしいのが、その“言霊の魔法”だ。だから、対策を取らせてもらった」
菱谷は目に魔力を集中させる。三島の体が光輝いて見えた。
「新魔法か!」
「その通り」
『新魔法』……文字通り、新しく開発された魔法のことだ。
「そう、新しく“言霊の魔法”を無効にする魔法を開発した。何日も徹夜してようやく身についたよ」
その魔法は、自分の体を薄い魔法の膜で覆うというシンプルなものだった。
ただ、効果は絶大だった。この魔法は、あらゆる魔法を遮断し、術者を守る。それは“言霊の魔法”も例外ではない。
「開発したばかりだからまだ名前はないんだ。後から考えておくことにするよ」
軽い口調で言うが、三島がしたことは、魔法史に名が残る程のとんでもない偉業だった。
凡人の魔法使いは、何人集まっても“言霊の魔法”を無効化する魔法を開発するどころか、どういうメカニズムで“言霊の魔法”が発動しているのかすら、理解できない。
三島は、それを一人で成功させた。『大魔法使い』と呼ばれる程の天才である彼女にしかできないことだった。
「なら……直接殺す!」
“言霊の魔法”が効かないことが分かると、菱谷は即座に別の攻撃に移った。
菱谷の影が玉座の間に広がる。影は枝のように細かく分岐し、玉座の間にある死体に触れた。
「オオオオオオオ」
「ゴオオオオオオ」
死体が、ゆっくりと起き上がる。起き上がった死体は不気味なうめき声を上げながら、武器を拾い、それを三島に向けた。
動く死体の中には、王や貴族の死体もある。
「お前さえいなければ、お前さえいなければ、お前さえいなければ、お前さえいなければ、お前さえいなければ……」
菱谷はブツブツと呟き始める。
「先輩は私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物だ。私の物なんだ!」
菱谷は三島を指さす。
「殺せ!」
「グアアアアアア!」
「ガオウアアアア!」
菱谷が命じると、動く死体達が一斉に三島に襲い掛かった。
「あの時も言ったよね」
三島はパチンと指を鳴らす。その瞬間、まばゆい光が玉座の間を照らした。
「ウギャアアアアア!」
「ギギャアアアアア!」
光に当てられた動く死体達はこの世の物とは思えない悲鳴を上げ、バタバタと倒れ出した。
そして、二度と起き上がることはなかった。
「お前えええええ!」
狂乱する菱谷とは対照的に、三島は静かに言葉を紡ぐ。
「たとえ、君が優斗を奪ったとしても、必ず奪い返すって」
***
「死ね」
菱谷は迷いのない動作で、三島にナイフを振るった。
次の瞬間、菱谷の持っていたナイフは宙を舞っていた。
「―――ッ!?グハッ!」
いつの間にか、菱谷は地面に倒れていた。地面に打ち付けられた顔、そして腕に痛みを感じる。
「だから、落ち着いてって言ったでしょ?」
菱谷の上から声が降ってきた。そこで初めて、菱谷は自分の身に何が起きたのかを知る。
菱谷は三島に腕を取られ、地面に組み伏せられていたのだ。
持っていたナイフが宙に舞ったのは、三島がナイフを蹴り飛ばしたからだった。
「ぐっ!」
菱谷はなんとか拘束から逃れようと暴れる。
しかし、三島の拘束は全く緩まない。
「暴れても無駄だよ」
三島は静かに呟く。
「菱谷忍寄さん」
「ッ!?」
菱谷は目を大きく見開いた。
「どうして、私の名前を……」
「もちろん、知っているさ。優斗の周りにいる女は、全員調べてあるからね」
微笑みながら、三島は菱谷に告げる。
「まさか、優斗の周りにいる女の事を調べていたのが、自分だけだと思った?」
「くっ!」
「彼氏の周りにいる女の事を調べるのは彼女として、当然の事でしょ?」
三島はギリギリと菱谷の腕を締め上げた。
「ぐっ、があああ!」
あまりの痛みに菱谷は悲鳴を上げる。三島がもう少し、力を込めれば、菱谷の腕は確実に折れる。
「ぐっ!」
菱谷はまたしてもポケットに手を入れた。今度は小さなスプレー缶を取り出すと、三島の顔めがけて、勢いよく噴きかけた。
「!!」
菱谷がスプレーを噴き出す前に、三島はとっさに菱谷から離れた。
菱谷は動作で素早く立ち上がると、腕を抑えながら叫んだ。
「奪ってやる」
手負いの獣のように菱谷は吠える。
「必ず、お前から先輩を奪ってやる!」
喚き散らす菱谷に三島は答えた。
「いいよ。やってみなよ」
三島も叫ぶ。
「たとえ、奪われても必ず奪い返す」
「クッ」
菱谷はギリッと歯ぎしりをすると、そのまま夜の闇に消えた。
***
「あの後、君は優斗と無理心中をしたんだよね」
「死ね!死ね!死ね!」
菱谷の影が茨のような形状となり三島を襲う。だが、菱谷その茨は三島の体を覆う光に全て弾かれた。
「くそ!」
怒り狂う菱谷に三島は問い掛ける。
「ねぇ、どうして、君は優斗と死んだの?」
「―――ッ!」
三島の言葉に菱谷は顔を歪めた。
「君はあの時、言った。優斗を奪うと。確かに君は優斗と死ぬことで私から優斗を奪い去った……でも、死ぬことはなかったんじゃないの?」
「くっ!来い!」
菱谷が命じると、突如、何もない空間から魔物が現れた。
骸骨の姿をした魔物は布で体中を覆っている。
「創造魔法……マジック・スケルトンを造ったか」
「ウカマウナウアオナウアウナウ」
骸骨姿の魔物は不気味な言葉を発し、三島に魔法を放つ。
全てを燃やす暗黒の黒い炎の塊。
「マジック・スケルトンのブラック・フレイムか……」
そう呟いた三島の手から、光の剣が伸びる。
三島は長く伸びたその光の剣で、骸骨姿の魔物ごと黒い炎の塊を斬った。
「グアヤアエイエアアア」
光の剣で切られた骸骨姿の魔物は、そのまま塵となって消える。黒い炎の塊も一瞬で消えた。
「チイイイイイ!」
菱谷はイラつきながら、攻撃を繰り返す。しかし、その攻撃は三島には届かない。
「君はあの夜、気付いたんだ。私には勝てないって」
「黙れ」
「だから、君は優斗と死んだ。私がいる限り、優斗を自分の物にできないと理解していたから……」
「黙れ」
「もしかして、こう思ってたんじゃない?『この世界なら、魔法がある。魔法を使えば、私に勝てるかもしれない』って。でも、残念だったね。この世界でも私の方が君より上だったみたいだ」
「黙れえええええええええええ!」
菱谷は狂乱して三島に襲い掛かる。
その焦りこそが、三島の言葉が真実である事を示していた。
あの夜。菱谷は安藤と別れさせるつもりで、三島を襲った。だが、菱谷は逆に返り討ちにされてしまった。
その時、菱谷は本能的に気付いていしまったのだ。
自分はこの女には勝てないと。
あの日、電車の中で菱谷は安藤を自分の物にするべく、彼を誘惑した。
しかし、菱谷は安藤に完全に拒絶された。安藤の頭には三島由香里がおり、菱谷には入る隙がないことを思い知らされた。
菱谷が安藤を自分の物にできる手段は、もう一つしか残されていなかった。
それは、三島がいない場所に安藤を連れて行くこと。
「お前さえ、お前さえいなければ……!」
菱谷の怒号は玉座の間どころか、王宮そのものを揺らした。
「せっかく、お前のいない世界に来れたのに!せっかく、先輩と二人になれたのに!異世界にまで追ってきやがって!」
菱谷は人間とは思えない形相で三島を睨む。
「また邪魔しやがって!何が『大魔法使い』だ!お前なんて……お前なんて『大魔法使い』なんかじゃない!先輩に付きまとう唯のストーカーだ!」
憎悪を込めた声で、菱谷は叫ぶ。
「この……“ストーカー魔法使い”が!」
菱谷の怒りが爆発する。黒い影が玉座の間を暗く覆った。
***
彼に会いたい。
早く彼に会いたい。
屋敷に行ってみる。彼は、いなかった。どこに行ったのだろう?
私は魔法で、彼の痕跡を辿ってみた。どうやら、彼は森へ逃げたらしい。
私は迷わず彼の後を追った。
彼の後を追うと、森の中にある家に辿り着いた。
こんな森の中に何故、家があるのか。そんなことは、どうでもよい。彼はまちがいなく、この家の中にいる。
家には鍵が掛かっていた。私は、魔法で鍵を開け、中に入る。
魔法で探索する。地下室を発見した。
そこに、二人の人間がいた。
私は、迷わず地下室の階段を下りる。
「だ、誰だ!?」
地下室から、声が聞こえた。
彼ではない。無視して階段を下り続ける。私は、地下室の扉の前で止まった。
血の匂いがした。彼の血の匂いだ。
私は怒りに体を震わせる。
「だ、誰だ!?誰だって聞いているだろう!」
扉の向こうから、また声がした。彼ではない。
こいつが、彼を傷つけたのか?怒りがさらに燃え上がる。
「く、くそう!」
地下室の扉が開き、ナイフを持った男が出てきた。
私は魔法を発動させる。
男は真っ黒に焦げ、床に倒れた。
黒こげになった男を無視して、私は地下室を進む。
いた。彼だ!
彼は、椅子に拘束され動けないでいた。目を固く閉じているのは私の魔法のせいだろう。悪いことをしてしまった。
彼は怯えていた。
私は、彼を落ち着かせるため、耳に息を吹きかけてみた。
「フッ」
「―――ッ!?」
彼の体がビクリと震えた。可愛い。
「なっ!?うっ!」
気が付くと、私は彼の唇を自分の唇で塞いでいた。
「くっ、や、やめ……んんっ!?」
「んっ」
私は彼の唇にさらに自分の唇を押し付けた。彼が首を逸らして逃れようとする。私は彼の頬を両手で挟み、抵抗を防いだ。
幸せだ。まるで、天国に来たみたいだ。
「んっ」
「んっ、くっ……ふはぁ……ハァ、ハァ」
数分後、私は彼の唇から自分の唇を離した。本当はもっとしたかったけど、今はこれくらいにしておこう。
これ以上すると歯止めが効かなくなる。
私はパチンと指を鳴らした。彼を拘束していた手錠と鎖が切れ、地面に落ちる。
彼がゆっくりと目を開ける。
私は満面の笑みを浮かべると、彼に手を差し出した。
「さぁ、行きましょう!」
私がそう言うと彼は私の顔を見て、こう言った。
「由香里……?」
私の名前を呼んだ彼……優斗に、私は笑顔で応える。
驚き、目を丸ている優斗は、とても愛らしかった。