殺意
突然、目の前に落ちてきた少女をアイビーは信じられないという表情で見る。
(嘘、あり得ない!何、この魔力!)
少女から発せられる魔力は尋常ではない。
アイビーとハナビシの魔力を足しても、遠く及ばない桁違いの魔力。
その魔力は……おそらく吸血鬼にも匹敵する。
(ケーブ国の兵?それとも冒険者?吸血鬼に捕まった人達を助けに?でも、こんな魔力を持つ人間なんて……)
少女が何者なのか、アイビーには判断出来ない。
「あ、あの!」
アイビーは少女に声を掛けた。少女の視線がアイビーに向く。
「ひっ!」
その目を見たアイビーは、恐怖で後ずさりした。
少女の目には……強い殺意が宿っている。
(何で?どうしてこんな―――いえ、今は理由なんてどうでも良い!)
アイビーは、自分が今取らなければいけない最善の行動を考える。
戦う?
ダメ。絶対に勝てない!
アンドウ君を連れて逃げる?
ダメ。きっと逃げられない!
話し合う?
ダメ。この殺意……話し合いに応じるわけがない!
いくら考えても殺される未来しか見えない!
少女が僅かに動く。
殺される。とアイビーは思った。
「アイビー!」
その時、ハナビシが鋭く叫んだ。
「ハナビシさん!」
「アイビー、アンドウを連れて逃げろ!」
ハナビシもアイビーと同じく、少女の力と殺意を感じ取った。
その上で、ハナビシは迷わず『少女と戦う』という選択をした。
自分が戦っている間に、安藤とアイビーを逃がすために。
「うおおおおおお!」
ハナビシは少女に向かって走る。
「『肉体強化』……二百倍!」
ハナビシは限界まで己の肉体を強化し、フルパワーで少女を殴った。
普通の人間がこの力で殴られれば、即死は免れない。
しかし―――。
「ぐあああああ!」
ダメージを負ったのは少女ではなく、ハナビシの方だった。
ハナビシの拳は潰れ、そこから血が噴き出す。
攻撃を受けた少女は無傷。平然とその場に立っている。
少女の体は、薄い防御魔法で覆われていた。
その防御魔法はハナビシ最大の攻撃を防ぐだけでなく、逆に深いダメージをハナビシに与える。
それ程までに強力な防御魔法だった。
「く、くそおおおお!」
ハナビシは無事な方の拳で、再び少女を殴ろうとする。
「ダメ!ハナビシさん!」
アイビーが叫んだ。しかし、ハナビシは止まらない。
すると、少女がポツリと呟いた。
「『デス・トルネード』」
少女が呟くと、巨大な竜巻が発生した。
竜巻はハナビシの体を飲み込み、空中に舞い上げる。
「ぐおああああ!」
まるで紙のように空中を舞うハナビシ。その体から突然、血が噴き出す。
竜巻の中には何万という小さな刃も一緒に舞っていた。その刃がハナビシの体を切り裂いたのだ。
「ぐああああああ!」
刃はハナビシの全身をズタズタに切り刻んでいく。
「ハナビシさん!」
アイビーは手を伸ばすがどうする事も出来ない。
まるで雨のように、ハナビシの血がそこら中に飛び散る。
数秒後、竜巻が消えた。
空中を舞っていたハナビシの体が地面に叩きつけられる。
顔、腕、胸、腹、背中、足……。
ハナビシの体は、至る所が深く切り刻まれていた。
まるで赤いペンキでも掛けられたかのように、ハナビシの全身は血で真っ赤に染まっている。
「ハナビシさん!」
アイビーは急いでハナビシに駆け寄った。
「ぐっ……がっ……」
ハナビシは辛うじて生きている。
しかし、このままでは出血多量で確実に死ぬ。
「ヒール!」
アイビーは瀕死のハナビシに回復魔法を掛けた。
だが、アイビーは回復魔法が得意ではない。彼女の回復魔法では、とてもハナビシの傷を治しきる事は不可能だ。
「ハナビシさん!しっかりして、ハナビシさん!」
「……逃……げろ」
ハナビシは息も絶え絶えに声を振り絞る。
「逃げろ……逃げるん……だ。はや……く」
「―――ッ!」
アイビーにとって、最も大切なのは安藤優斗だ。
少し前のアイビーだったら、迷わずハナビシを見捨てて安藤と逃げていただろう。
しかし、今のアイビーにはそれが出来ない。
何故か?答えは簡単だ。
アイビーにとって、ハナビシは生まれて初めて出来た友達だからだ。
「早く……逃げ……ろ……アン……ドウと……一緒……に……」
「ダメだよ……ハナビシさん。決めたでしょ。私達二人でアンドウ君の恋人になるって!」
アイビーは涙を流しながらハナビシに回復魔法を掛け続ける。
「私達のどちらかだけじゃダメなんだ!二人でアンドウ君の傍に居ないといけないんだ!」
「アイ……ビー」
「だから、死じゃダメ!一緒に……二人でアンドウ君と幸せになろう。ね?」
「………」
「ハナビシさん?」
「………」
「嫌!目を開けて!ハナビシさん!ハナビシさん!」
アイビーの絶叫が周囲に響く。
安藤は動かないハナビシと、彼女の名前を必死に呼ぶアイビーを呆然と見ていた。
これと似たような光景を、安藤は前にも見ている。
ホーリー・ニグセイヤとの結婚式で。
安藤は、目の前に居る少女の名前を口にした。
「―――由香里」
安藤に名前を呼ばれた三島由香里は、嬉しそうにニコリと微笑む。
「また迎えに来たよ。優斗」




