理不尽なる等価交換
異能とは、使い続けることによって進化する。
否
進化することも含めて俺の異能なのだろう。
そのことに気がついたのは、一体何時だっただろうか?
幼稚園、小学校と、俺の異能は地味ながら最強と言っていいような異能だった。
『理不尽なる確率』
俺の異能
ジャンケンで最終的に勝つ確率が約71%に収束するという無敵の異能。
まぁ、敵なんて出来るはずもないからある意味という意味での無敵なんだが、幼少期においてジャンケンの重要性とは語るまでもないだろう。
おもちゃの所有権、給食のプリン、ジャングルジムのテッペン、ありとあらゆる揉め事に対する絶対的な決定権こそがこのジャンケンであり、そのジャンケンで露骨でないが確かな有利を持っていた俺は、クラスの中でも中心的な立ち位置を確立していた。
子供なんてみんな単純なもんだ。
ジャンケンが強いことによる些細な獲得の積み重なりに過ぎないモノを俺の力と勘違いし、俺に寄ってきた。
だが、小学校も高学年、中学生あたりになるにつれ、そんな元から大したこともない俺のメッキは剥がれ落ち、目立ちも悪目立ちもしない程度の立ち位置へと落ち着いていった。
たしか、そんなかもなく不可もない、時たまチョットだけ得をする様な日々を過ごしていた時だったと思う。
俺の異能がこれだけではないとわかったのは。
後天的な異能の獲得や、異能自体の進化といった現象はネットなどの、俺が調べられる範囲においては存在しなかったのだが、子供の頃、不意に俺はジャンケンが強いと理解出来たあの感覚と同じように、自分の異能が進化することを悟った。
『理不尽なる等価交換』
・この異能は17歳の誕生日になると同時に発動ができる様になる。
・発動条件は単純明快、俺の『ジャンケンをしないか?』という問が耳に入った時点で発動する。
なを、相手からジャンケンを仕掛けられた場合は発動しない。
・ジャンケンには相手が残す天命が強制的に賭けられる。
天命とは、天から与えられた寿命であり、それが尽きる時原因がなんであれ必ず死ぬ。
ゆえに、幼子の天命が必ずしも多いわけではない。
・俺自身の天命の残量は、常に把握される。
・能力の発動時、対象は勝負を受けるか否かの選択が出来、受けるのならば問題は無いが、受けなかった場合、賭けた天命の半分を強制的に徴収される。
・俺が勝った場合、相手は賭けた天命を全て徴収し、負けた場合相手の賭けた天命と同量の天命が支払わられる。
・俺が相手の賭けた天命を支払えない場合、死後と来世を犠牲とする。
その時の支払いレートは倍々となる
・17歳の誕生日と同時に、『理不尽なる確率』は消去される。
あまりにリスキー
あまりに理不尽
しかし、強力
悪魔的
人の命を簡単に奪え、そして人の命を簡単に繋げる。
そんな能力。
この能力の理不尽な点は、『自分が提案した瞬間』に発動する所にあり、相手は勝負を受けてデッド・オア・アライブの賭けにでるか、逃げ出して天命と半分を奪われるかという2択しかない。
なぜ俺にこんな異能が発現してしまったのか。
こんな異能、絶対に使わない。
使えない。
とは、思った。
思ったんだ。
信じてほしい。
だが、ふと考えて、ふと見てしまったんだ。
『なぜ、俺のくだらない異能が今になって進化したのかを』
『なぜ、進化する異能がココまで進化しなかったのかを』
簡単だった。
実に単純だった。
それがこの異能の一種の制限なのだろう。
…俺の天命は、あと1年すらものこっちゃいなかった
今、身体に異常が見られないことから、恐らく事故死だとは思われる。
俺は、17歳の誕生日の312日後になにかが原因で死ぬ。
コレは天命によって決められており、抗うことなど出来るわけが無い。
逆に、今すぐ自殺しようとしたところで、恐らく、いや確実に俺は生き残る。
異能の進化はコレを待っていたのだろう。
能力を使って負けたなら、恐らくどんな人間であれ天命は俺のものより上回るというこの時を。
死の恐怖と殺す恐怖が同居して、わけがわからなくなった。
死にたくない。ただ、殺したくもない。
でもやっぱり、死にたくない。
だから、死んでいいやつを探すことにした。
死んでいいやつを殺す事にした。
死んでいいやつの群れの中で、ジャンケンをしよう。
ジャンケンに勝ったら、死んだ奴を尻目に全員にジャンケンを仕掛けてやろう。
まず間違えなく逃げられる。ただ、ジャンケンをしようと言った時点で異能は発動するから、逃げるヤツらの天命の半分は貰えるはずだ。
天命がある限り死なないことはわかっているから、安全マージンが出来るまでどんどんジャンケンを仕掛けよう。
だって、俺は死にたくないから
そう決意し、足を踏み出した17歳の誕生日
俺は今
異世界にきている。