じいちゃんが「認知症でも車を運転したい!」と主人公状態なんだが
じいちゃんは認知症だ。
「優翔、車の鍵どこいったか知らんか?」
最近は父さんと間違われることが多くなったが、この瞬間は俺の名前を憶えてる。
「父さんが仕事場に持ってったよ」
「なんで? 奴は自転車通勤だろ。車がないと仕事に行けんじゃないか!!どうしてくれるんだ!!」
「……」
今日、俺は大学が休み。
ばあちゃんと母さんは叔母さんの車で出かけている。
どうすれば、じいちゃんに車の運転をさせないか家族でよく話し合っている。
いろんな方法を試したがどれも上手くいかず……
父さんが車の鍵を持って会社に行くことで解決している。
平日は車を使いたくても使えず、家族、特に母さんは参っている。
どんな提案をし、方法を試したかというと……
①免許返納を理由にする。
意味がなかった。
そもそも免許を返納したことを忘れる。
それに、免許がなくても車は運転できる。
②車の鍵を隠し、家族全員が知らないと言って口裏を合わせる。
大失敗に終わる。
鍵を探してそこら中を荒らしまわり、物を散らかしたつくした挙句
盗まれたと思い警察に電話をかけ、
ご近所を巻きこんでの大騒動になってしまった。
③乗ってはダメだと怒る。
ケンカになるだけ。
じいちゃんの世界では自分はバリバリの現役元気で
怒られる意味が解らない。
④MT車にする。
家族全員が車を運転できなくなる。
⑤ホームに入れる。
思案中。
田舎のため認知症専門のグループホームが近くなく、
一番近いのは車で1時間半の場所にある。
特別養護老人ホームは要介護1のため入居条件を満たしていない。
(特別養護老人ホームは原則、要介護3以上。)
と八方ふさがりで今の方法が苦肉の策だ。
認知症のことを知らない善意の第三者が“○○すればいいじゃない”と言うが
何ら知識のない人が考えられる提案で解決したら苦労しない。
じいちゃんだって、家族だって0か100、黒か白みたいに割り切れない。
逆にお花畑の理想論を振りかざす人もいる。
これは有識者にも存在するが……
元々、じいちゃんは腕利きの左官職人、地元では消防団長やっていた有名人だ。
千年以上続く社寺の壁を塗ったこともある。
お金に困っている家には格安で壁を補修したこともあった。
消防団長としては、燃えさかった民家から子ども救出したり
放火犯を捕まえたこともある。
この一帯の家でじいちゃんにお世話にならなった家はないだろう。
俺はそんなじいちゃんが大好きだったし誇らしく思っていた。
俺だけじゃない家族全員がそう思っていただろう。
だからこそ、この状態をなかなか受け入れられない。
苦しいんだ。
認知症は昨日できたことが、今日できなくなる、ような単純なことではない。
できるとできないを繰り返していくうちにできなくなる。
「浩介、車の鍵知らんか」
今を俺を父さんと思っているようだ。
「父さんと病気だろ。だから今日は運転できないよ」
ここで孫だと否定してもわからないし、不快な思いをするだけだからなりきる。
「多少の病気なんて平気だ。何てったって俺の塗る壁を待っている人が大勢いる。
早く行ってあげないと」
物語の主人公のように目をキラキラさせているじいちゃんに俺は何も言えなかった。
小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。