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2 加瀬栄司(18)

 屋上のドアを開けると、冷たい空気が流れ込んできた。それに逆らうように、外へ出た。

「屋上って入ってもいいの?」

「いんじゃね?カギあいてるし。でも夏は暑いし、冬は寒いからめったに誰もいないけど」

 それでもみんな1回は来てるもんだと思ってた。入ったことないやつのほうが珍しいと思う。

 巻貝は珍しそうにフェンスごしに校庭を眺めた。その前髪が風で揺らされるのを見ながら、もう1度あの瞬間が来ないかな、と期待していたら、ふいに巻貝が振り返った。

「加瀬くん?どうしたの?」

 いつの間にか、ぼうっとしていたみたいだ。

「ああ、わりぃ」

 コンクリートの出っ張りがちょうど椅子の高さになっているところへ2人で並んで腰かける。ここは日の光がさんさんとあたって、この時期でもそれなりに暖かかった。

「昨日は・・・その、悪かった」

 巻貝が「ん?」と言うように首をかしげたから、こっちまで何か変なこと言ったのかと不安になる。

「悪いことは、してないんじゃないの」

 まあ、そう言われればその通りだけれど。

「でも、ティッシュとか、ありがとう」

 それを言うと、ああ、と合点がいったようにうなずいた。

「あのさ、昨日のことは忘れてくれ。誰にも言わないでほしいんだ」

 まあ、今日誰にも話さなかったんだからもう誰にも言わないだろうな。ここで巻貝がうなずいてこの話し合いは終了ってなるはずだったんだ。

「それは・・・どうだろ」

 思わず、巻貝の顔を凝視してしまった。相変わらずうつむき加減のまま、小さい声でぽつぽつとしゃべる。

「だって、求人雑誌、持ってた。あんなに悔しそうに」

 ああ、あの雑誌をもったところ見られていたんだ。

「どうしたの?って聞いてもいいのかな」

 その聞かれ方は予想外だった。踏み込んでくるれど、土足でづかづか入られるんじゃなく、ノックの上スリッパでそっと入ってくるみたいだと思った。

 そんな風にされたから、ちょっと入ってみろよと言ってみたくなった。入った先が快適とは限らないけどな。

 何があったのか話した。言葉にすれば、1分にも満たない話だ。こんな数秒にまとまる一言で人生は変わる。悔しい気持ちは昨日の涙と共に流れ去ってしまったのか、話しおえたらら乾いた笑いが口から洩れた。

 巻貝はじっと黙ってた。ほんとに貝みたいだ。そりゃあいままで話したこともないようなクラスメイトからこんな重い話をされたんじゃあ、ビビるよな。

 はぁ、と息を吐いて、空を見上げる。

 冬晴れの青い空にわたのような雲がうかんでいた。

 タバコがあるなら、吸ってみたい気持ちだった。こんな気分の時に煙をふーっと吐き出したらすっきりするのかな、と考える。

 雲が動くのを眺めていたら風が強くなってきた。風向きが変わったのかもしれない。

 いつまでも貝にさせておくのは気の毒になって、そろそろ戻るか、と声をかけようとした。

「それであきらめるの?」

 ぼそりとつぶやかれただけなのにしっかり耳に届いた。

 そんなこと言われるなんて、予想外すぎた。

「しょうがないだろ。家庭の事情ってやつだ」

 取り繕うようにそう言った。『家庭の事情』ってよく聞くけど初めて使った。朝のホームルームで出席をとってるときに『誰それは家庭の事情でお休みです』なんてよく聞いてたけど、その内容が何かなんて考えてこともなかった。その言葉がまさか自分の口から出ることになるとは。

「奨学金とかは?」

 奨学金。名前はきいたことがある。

「でもそれって、すげー成績いいやつが特待生みたいになるやつだろ?」

 志望校に合格するだけでぎりぎりな奴が取れるようなもんじゃないよな、たぶん。

 巻貝はまた貝になった。じっと黙って、うつむいている。

 今なに考えてるんだろうな、なんて思いながら、風がまた巻貝の髪を揺らす。

「なあ、眼鏡とってみてよ」

 びくりと巻貝の体が動いた。

「目、悪いの?」

 答えは帰ってこない上に、顔をそむけられてしまった。

「もう、戻る」

 突然巻貝が立ち上がった。そのまま歩き出そうとしたから、ちょっと待てと言いながら腕をつかんだ。

 そして驚いた。その腕の細さに。

 ブレザーに隠れててわからなかったけど、栄司の半分の太さもないかもしれない。

「巻貝、ちゃんと飯食べてるのか?」

 そのまま手の甲をぎゅっと握ってみる。そこも驚くほど冷たかった。つめてぇ、と素直に口に出す。本当に氷みたいだ。よくドラマとかで、俳優がヒロインの手を握りながら、氷みたいに冷たい、なんて言ってる姿を見るけれど、そんな奴いないだろうと思ってた。

 いま俺が触っているのは残念ながらドラマのヒロインとはかけ離れた奴の手だけど、ほんとうに氷みたいな冷たさの手ってあるんだ。

「加瀬くんは、自分の心配したほうがいいよ」

 巻貝は反対の手で、栄司の手を押し戻した。

「昨日のことは、別に誰にも言わないから」

 今度こそ、巻貝は屋上を出て行った。


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