2 加瀬栄司(18)
深呼吸を繰り返すと、勝手に出てきた涙が収まってきた。
もう大丈夫だ、普通に話せる。鼻水が出てきたのが難点だけど、なんとか耐える。
さあ、顔をあげよう、と思ったとき、肩を叩かれた。
目の前に、ティッシュが差し出されていた。
「加瀬くん、電車きてるよ」
目の前にアンモがいた。
ああ、そういえば。いたんだったな、とぼうっとしたまま考える。
ティッシュを受け取って、思いきり鼻をかんだ。
「サンキュ」
使わなかったティッシュを返そうとしたけど、それごとあげる、と言われたからありがたくもらっておくことにした。
そんなことをしているうちに、ホームに止まった電車のドアが開いた。
あわてて一緒に待合室を出て、電車に乗った。上りの電車だからすっかすかだったけど、暖房がきいてて暖かい。アンモは一番端っこにすわった。離れて座るのもへんだと思ったから、1つ分の席をあけた隣に座った。足元から、暖かい風がふきでている。
アンモは本を開かなかった。かといって話しかけてくるわけでもない。沈黙が気まずくて、話しかけずにはいられなかった。ただ、本名はいまだに思い出せない。
「どうしてここにいるんだ?」
「電車、乗り過ごした」
本当はどこで降りるはずだったのか聞くと、わりと自分の家の近所だった。こっちから行くと栄司の駅の2つ前だ。そこでもこの駅から30分以上あるけど・・・乗り過ごしたってレベルじゃない。
「よくあるんだ。夢中になると、止まらなくて」
アンモがそっとカバンに手をおいた。たぶんあの手はカバンの中にある本に触れているんだろう。
「ふうん、何読んでたの?」
軽い気持ちでそう聞いたのが間違いだった。小説家の名前と作品名がちりばめられたアンモトークがはじまった。正直ほとんど意味不明だった。だって文字だけの本なんて読まないし。
こいつこんなにしゃべる奴だったのか、なんてことを考えながら適当に相槌をうって聞いてた。うん、うん・・・と言いながら、寒さに冷えた体に暖房の風がしみわたって、いつのまにか目を閉じていた。
「加瀬くん、僕は降りるから」
肩をゆすられて、目を覚ました。返事をするより早くアンモは電車を降りて行ってしまった。起こしてくれてよかった。さすがにここからまた寝過ごして乗り過ごすのは勘弁願いたい。アンモのやつ、礼くらいいわせてくれてもよかったのに。
てかあいつ、俺の名前よんだよな。俺のこと知ってたんだ。
家に帰って、いつも通りにご飯を食べ、妹たちが寝静まった時分。
俺は両親に、明日進路相談室にいってみるよ、と伝えた。
妹たちのこれからの学費も必要だし。
父親は目頭をおさえて、すまん、と小さくつぶやいた。
そして部屋に戻るときに、なぜか思い出した。
あいつの名前、「巻貝」だ。だからアンモナイトでアンモだった、と。