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2 加瀬栄司(18)

 外は、寒かった。

 今朝のニュースで『今日は木枯らし1号がふくでしょう』と言っていた。

 乾いた冷たい風に向かって歩いた。


 うちは裕福な家庭ではないと思う。

 アパートみたいな家で、栄司は4畳半の1人部屋。妹たちは2人で6畳の部屋。両親は6畳の居間に布団をしいて寝ている。

 フローリングはキッチンとその脇にあるダイニングテーブルの部分だけで、ほとんどが畳張りの古い作りの家だ。

 両親が結婚した時に中古の家を買ったんだ、と聞いたことがあった。そこで家族5人、喧嘩は日常茶飯事とはいえ、仲良く暮らしてきたと思う。夕飯の時にはいつも会話が絶えることはなかった。

 とはいえ、もうちょっときれいな家を買ってくれればよかったのに、と思っていた。でも、けっきょくあの家で正解だったのか、と今は思う。


 ローンて、どのくらい残ってんだろう。

 生活費ってどのくらいかかるんだろう。

 バイト探さなきゃな・・・。


 電車では、次の駅で大学生っぽい集団が乗ってきた。

 冬休みとか、バイトとか、私服の同年代からそんな言葉が漏れ聞こえてくる。

 俺も、ああなるはずだったのになあ。

 そこそこの大学にいって、4年間を謳歌しながら、彼女とかつくって、友達の家で遊んで、バイトもして、サークルとかにも入って、テスト前には勉強をして。未来はそんな風に訪れるはずだった。


 家の近くの駅についても、降りる気になれなくて、このまま乗ってみることにした。もうちょっと先まで。へーきな顔して家に帰れるようになるまで。バイト探してるよ、って両親に言えるくらいになるまで。

 もうちょっとだけ、遠くに行ってみることにした。


 気が付いたら、終点のアナウンスが流れていた。

『折り返し運転はいたしません。全てのお客様はこちらでお降りください』

 声に従ってホームへ出ると木枯らし1号が容赦なくふきつけてきた。反対方面行きの電車は10分後だ。さみぃ、とつぶやいてホームの待合室へ入った。

 待合室には1人の先客がいた。そいつはうちの高校の制服を着て、持っている本をじっと読んでいる。同じクラスだから、顔は知っていた。きっちり正しく着られた制服に、もうちょっといいのなかったのかよと言ってやりたくなるようなだっさい眼鏡。よくそれで前見えるよなと言いたくなるような長い前髪。いつも本を読んでるか勉強してるかしか印象がない暗いやつ。

 そのダサすぎるセンスが結構目立って、そいつがダサアンモとかアンモ君とかって呼ばれていることは知っている。ただ、本名が出てこない。アンモってなんでだっけ?安藤とかだっけ?違うな、ぴんと来ない。たぶん、聞けばわかるとは思うけど・・・。

 栄司の視線を感じたのか、アンモがふと顔をあげた。しっかり目があってしまった。

「あ、お、お疲れ」

 なんといっていいのかわからず、なんとなく口から出てきた。アンモは「どうも」とぼそりといって再び視線を本に戻した。

 待合室を出て行きたいくらい気まずかったけれど、この中にいてもヒューヒューと冷たそうな風の音が聞こえてくる。外に出る気持ちになれない。

 アンモから一番遠い席に座った。

 隣には広報誌が入ったラックがある。その中には求人雑誌もあったから、ふと手にとってみた。飲食店のキッチン、ホール、荷物の梱包、コンビニ店員、引っ越しスタッフ、ホテルレストランなんかもある。都心まで行けば、けっこう時給がいい働き口もいっぱいあるんだな・・・日給1万するのもある。休みの日に1日中働いたとしたら、月7日で7万。平日放課後に4時間の週3でシフト入れたとしたら、時給700円だとして、週に9千円くらい、月に3万5千くらい。

 合わせて、12万いかないくらいか。土日も全部働けるわけじゃないだろうから、9万くらいになるかも。

 例えば月に9万円稼げたとして、1年では9万×12か月だから107万か。

 100万超えるってきけば、すごいけど・・・。 

 志望校だった大学のパンフレットには「初年度にかかる経費の目安」というページがあった。入学金に授業料に施設管理費、実習費に、互助会費などなど。そこに積み上げられた金額は、100万あってもまだ足りない。

 なんでそんな金のかかるところに行けるって信じてたんだろう。

 ため息をついてガラス越しの夕闇の空を見上げると、ふと母の声を思い出した。

 『栄司は頭がいいから、いい大学へいって、いい会社に就職をしなさいね』

 小さいころから、そういわれていた。だから、何の疑いもなく大学まで進学するのだと信じていた。栄司がそう感じていることを両親も知っていた。だからあの狭くて古い家で引っ越しもせず、金を積み立ててくれていたんだ。

 母は妹たちにも同じことをよく言っていた。妹たちも、きっと同じように当たり前のように大学へいけると思っているんだろう。まだ中1と小4の妹たち。年が離れているから、あまり喧嘩はしたことがない。「お兄ちゃんうざーい」なんて言われても、やっぱりかわいい妹たちだと思う。

あいつらには、我慢なんて似合わないよな。


 明日、進路相談室に行くか。


 そう思った瞬間に、これまで積み上げてきたいろんなものが、手からこぼれ落ちて、失われていく感じがした。頑張って勉強してきたのにな、とか。大学受験を一緒に乗り越える友達とか。働き始めたら、そいつらと遊ぶ時間もきっともうない。

 目に何か熱いものがこみ上げてきた。

 あ、やばい、と思ったけど止まらなかった。

 俺は、別に何を勉強したいとか研究したいとか、そういう高尚な目的で大学に入りたいわけじゃなかったけど・・・それでも、当たり前にようにやってくるはずだった4年間が突然失われたことは重かった。

 ぼろぼろと、涙がこぼれてきた。カバンの中をごそごそと探してみたけど、ハンカチやティッシュなんてものがでてくるわけもなかった。

 うつむいて、制服の袖で目を押さえた。こすると跡になると思ったから、ぐっと眼球を押し込むようにまぶたの上から抑えるだけ。


 息を殺して、おさまるのを待つしかなかった。


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