1年後のアンモナイト *7* PM3:15
「ん?それじゃあ、由有も何もわからないってことなのか?その男と波瑠が何か話したってところ以外はなにも?」
「そうだね」
やけに大きい車内アナウンスが鳴った。
次の駅が、家の最寄り駅であることを告げている。
電車はスピードを落として、見慣れたホームに滑り込んだ。
「まあ、妹が迷惑かけたみたいで悪かったな」
「ううん、それはいいんだけど」
意外なのは、栄司が冷静なことだ。
こんな話したら、その男ぶっ飛ばしてやるくらいな気概で飛び出して行きそうだと思ったのに。
「怒らないんだ?」
「別に、波瑠の問題だろ?俺が口出すことじゃないって」
「え、じゃあなんでさっきあんなに喫茶店で怒ってたの?」
「由有が泣かしたっていうんなら、話は別だから」
「なんで見知らぬ男は良くて、僕はだめなの?」
それを聞くと、栄司はううんと首をひねって頭をかいた。
「よくわかんないけど、由有が波瑠泣かすってことは、波瑠にも由有にもあり得ない事態が起こってるってことだから、かな?」
電車が停まって、ドアが開いた。
快速電車も停まらない地味な駅には、ちらほらとしか降車客はいない。
改札へ行くための階段へ向かう。
ホーム中ほどにある階段からは、けっこう遠い位置に乗ってしまった。
少し歩いて、その階段を降りようとしたときだった。
「お兄ちゃん、由有くんっ!」
後ろから、声がかけられた。
振り向くと、話題の彼女の姿。
立ち止まると、彼女は駆け寄ってきた。
「ごめんなさい。お兄ちゃんも由有くんも。私、駅で二人が電車に乗るの見かけて。買い物の予定だって言ってたのに台無しにしちゃったって思って・・・」
それを謝りたくて同じ電車になんとか飛び乗ってここまで来たらしい。
「別にいいよ。そんなこと」
「うん、僕も栄司の買物に付き合うだけの予定だったから別に」
栄司と顔を見合わせる。
「あのね、由有くんがさっきみた人は彼氏っていうか、まあそういう感じなんだけど・・・由有くんと会う少し前にけんかしちゃって・・・。それで私はあの公園で頭冷やしてたの。その時に由有くんにあって、追いかけてきた彼がそれを見て誤解しちゃって・・・」
なんていうか、知らぬ間にドラマみたいな展開に巻き込まれていたらしい。
「『早速新しい男かよ』みたいなこと言われて私もムカってきちゃって。由有くんはそんなんじゃないしって言ったの。そしたら、じゃあ何だよって言われて・・・私うまく答えられなかったら、余計誤解しちゃったみたいで・・・」
それが悲しいやら悔しいやらで、涙が止まらなかったのだという。
「何だよ」と言われても、何と答えていいものか。僕もわからない。
「お兄ちゃんの友達」というのが正しい答えなんだろうけど、その言葉で想定されるものと実際は結構違う気がする。それに、素直にそう言ってしまったら、彼の警戒対象から外されることはないと思う。
「なんていえば、良かったのかな」
幼馴染でもない。近所の人でもない。
同じ学校の先輩でもないし・・・
波瑠ちゃんからすれば、「家族ぐるみで面倒見ている兄の友達」というのがしっくりくると思うけど、それはさすがに面倒だろう。
「僕は、波瑠ちゃんのこと本当の妹みたいに思ってるよ。波瑠ちゃんさえよければ、第二のお兄ちゃんくらいにしてもらえるとありがたいけど」
由有くんがお兄ちゃんだったらよかったのに、と昔から何度も言ってもらってきた。
何かと問われたならば、そう答えてもらうのがいいんだと思う。
波瑠ちゃんは僕を見て、一度長めの瞬きをした。
「そうだね。難しく考えなくていいね。由有くんも私のお兄ちゃんだ」
加瀬家にいるときと同じ笑顔で波瑠ちゃんはにこりと笑った。
「私、さっき言い返せなかった分、100倍にして言い返しに行ってくるね」
波瑠ちゃんの言葉に合わせたように、上り電車の到着アナウンスが鳴った。
「ほどほどにな。それにもとの喧嘩のほうも、忘れるなよ」
「うん、そっちはもういつものことだから」
すぐに解決だよ、と明るく笑った。
「じゃあね」
彼女はくるりと電車のほうを向いて、黒髪を揺らし、早足で電車に乗り込んだ。
ふと、彼女と始めて会ったときのことを思い出した。
まだ中学生だった彼女はくりくりとした小動物みたいな瞳でじっとこっちを見てたっけ。
そのあと、にこって笑って「いらっしゃい」と言ってくれたんだった。
その頃の面影が残る彼女は、電車の中から手を振っていた。
彼女の姿が見えなくなるまで見送って、今度こそ階段を降りた。
「うちで美味しいお茶でも飲まない?」
「賛成」
夕飯の買い物もあとでいいや。
まずは、落ち着ける椅子に座って休みたい気持ちだった。




