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1 巻貝由有(26)

 インターホンの音と同時に、扉の向こうから聞きなれた声がして、目が覚めた。

 巻貝由有は机に伏せていた重い体を持ち上げる。窓の外はもうすっかり暗く、しんしんと冷気がつたわったくる。いつの間にかうたた寝をしてしまったようだ。寒さに体を震わせながらカーテンを閉めて、エアコンの温度を少し上げた。

 その間にも、おーい、とドアの向こうから声がする。玄関まで行くのが面倒くさいと思いながらも、叫び声をそのままにしておくわけいはいかなくて、書斎兼寝室にしている部屋を出た。1人には広すぎる12畳のリビングを通り抜けて、玄関へ向かう。

 玄関扉の向こうの声が書斎にいても聞こえるなんてどれだけ大きな声で叫んでるんだ、と由有はため息をつく。このまま放っておくとマンションの隣人から苦情がくることは必至だ。

玄関で土足に履き替えるのも面倒くさくて、靴箱に手をついて体を伸ばしてカギを開けた。向こうがその音を聞けば、勝手にドアを開ける。ドアが開けば、その向こうから冷気がぶわりと襲い掛かってきた。 入ってきた本人はその冷気を振り払うようにドアを乱暴に閉めて、マフラーをとって冷気を払った。

「お邪魔しまーす。ちゃんと今日も生きてるな」

 いつもの決まり文句を言って、加瀬栄治は靴を脱いで玄関へはいってきた。

「あー寒かった。この家あったけえ」

 仕事帰りのスーツで、この近所のスーパーのビニール袋をがさがさ言わせながら、家主より先にリビングへ上がっていく。

 近所迷惑、とつぶやいた由有の声は聞こえたのか聞こえなかったのか。栄司は勝手知ったる様子でビニール袋の中身を冷蔵庫へしまっていく。

「お、ヨーグルトなくなってるじゃん。安かったから買ったけど正解だったな」

 これ以上文句を言っても無駄だとわかっているから、もう何も言わない。堂々とあくびをしながら、由有は書斎へ戻った。用があれば呼ぶだろう。さっきうたた寝して滞らせてしまった分の仕事を取り戻さなければ。

 ノートパソコンのスリープ状態を解除しようと、電源ボタンをおすと、ウィーンと大きな音がする。買ったころはこんな音はしなかったのに。いつの間にかこのパソコンも古くなったのかもしれない。これは大学を卒業したときに買ったからもう4年か。自分も26になった。

 26の誕生日は意識することもないまま先月に終わっていた。由有のように世間と離れていきているといまが西暦何年なのかも、下手すると何月なのかもわからなくなることがある。ふとした時に、いま何月だっけ?と考える時間がある。こういうことは、勤めている人にはあんまりないそうだ。といってもたった1名からの情報だけど。

 その1名は、近くの市役所で働いている。何をしているのかまで詳しくは知らないけど、それなりの苦労とメリットがほどほどらしい。時期によっては忙しいみたいで、とくに春先はなかなかここに姿を現すこともなかった。逆に夏は3日とあけずに来ることも多い。

 いつも好きなときに来て、好きなことをして、好きなことをしゃべり、帰っていく。

 栄司が「さみぃ」とか「あっちー」とか言いながら、旬の野菜を買ってきて何か作っていくおかげで、由有の季節感が保たれていることはちゃんと自覚しているから、栄司には好きなようにしてもらっている。

 食べるものの心配がなくなったから、もう少し頑張ろうとパソコンの中にある物語と向き合った。



 昔から本が好きだった。特に小説が好きだ。

 幼少期、お気に入りの絵本はどこに行くにも一緒だった。ぼろぼろになるまで読み返したし、それでも捨てられなかった。

 小学校にはいって、学校に図書室というものがあることを知った。気になるタイトルの本は片っ端から読んだ。中でも気に入った本は何度も何度も読み返した。

 小学校の高学年になると、地域の図書館へ行くことを覚えた。学校の図書館とは比べ物にならない数の本があった。大人向けのはまだあんまり読めなかったけれど、児童書コーナーにある本はほとんど読破したんじゃないだろうか。いつも閉館ぎりぎりまで図書館にいる子どもとして職員さんに覚えられていた。

 中学生になると、大人が読むほうの書架にも足を運ぶようになった。

 1日に数冊読むなんてざらだった。学校と食事以外の時間は、本を読むことしかした覚えがない。自由時間のほとんどを図書館で過ごすのはもはや日課になった。

 本ばかり読んでいたからなのか、気がつくと自分の周りには本しかなかった。友達もほとんどいたことがない。

 暗いヤツ、とまわりから思われていることも知ってたし、実際に何回か言われたこともある。由有自身も自分がうまく他人とコミュニケーションをとれる人間ではないとわかっている。

 でも、別に好きでそうなったわけじゃない。

 明るくて、みんなの人気者っていう存在がうらやましいと思うこともあった。

 でも、本の中なら由有は何にだってなれた。いつだって主人公になれて、いろんな人に囲まれながら過ごすことができる。名探偵もなれるし、建国の王になることだってある。

 それこそ、無限に本の数だけ、由有の人生は広がっていく。

 彼らの悲しみや葛藤を自分のことにように感じながら、一緒に苦しんで、歯を食いしばりながら人生を生き抜く。そんな話が好きだ。

 読むだけではあきらたず、そのうち自分でも書き始めるようになった。

 そのきっかけは高校生のころに出会った同級生だった。

 彼を見ていて「自分がこういう人間だったらな」と思った。

 彼はいつも友達に囲まれて、大きな声でしゃべっていた。でもそれは全然不快じゃなくて、遠くで聞いている自分まで少し明るい気持ちにさせてくれるような、そんな声だった。その内容が、だいたい「昨日妹がこんなことしてさー」という妹バカみたいな内容なのも、またよかった。

 幸せな家族、明るい性格、たくさんの友達。まぶしいなという気持ちとすこしのうらやましさを持って彼を見ていた。


 たとえばその全てが自分にあったなら。


 僕は違う人生を歩めたかもしれない。どういう風になったんだろう、と。


 それが、筆をとった始まりだった。 


 そして、それが僕の人生を変える大きなきっかけになった。


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