4 再会―巻貝由有―
物語を紡ぐことは、山に登るのと似ていると思う。
まず、山を選ぶ。そして、その山に登るための装備をそろえる。参考になる本を読んだり、人に話をきいたりして準備をする。登ることを決めたら、木々が生い茂る山道を必死に進む。重力に逆らないながら、坂道を登る。息を切らしながら、登る。
けもの道が見えていて、すんなりと山中に進めることもあるし、必死で自分で草をかき分けてかき分けても道が見つからないこともある。
ふと道が見つかっても、その道は行き止まりかもしれない。
行き止まりじゃなさそうな予感がしても、行きたい方向がそっちじゃなかったら意味がない。僕自身にとって魅力的な道じゃないといけない。
しっかりと舗装をしてから山を登りに行くこともあるけれど、その道のわきで見つけたまだ切り開かれてない道に進みたくなることもあって、なかなかうまく用意した道を登ることはできない。
それに、どんな道を行くにせよ、登頂するために必要ないろんなものを集めながら進まなきゃいけない。その道を進むにふさわしいアイテムを集めて行かないといけない。山道で水をのみ飴でカロリーを補給し、木の枝を杖にするみたいに。物語では、主人公の家族や友達、恋人、過去、未来・・・いろんなものを集めなきゃいけない。でも集めるものにはきりがなくて持ちきれない。どれを持っていけばどの道をうまく進めるのか。どれかをもって進んでは、違ったと引き返してみたりして、これはどうだろう、この道をすすむならこっちかな、とか試行錯誤を続けて、登り続ける。
だんだん進むうちに選択肢も少なくなってくるけど、頂上に向けてさらに険しくなる道を重力に逆らいながら登って、書き続ける。
そうして書き終えたときの達成感は、本物の山登りの比じゃないと思う。
でも、たまに奇跡みたいなことがあるんだ。山につくとすでに道が見える。アイテムを集めるのも自然とどれを手にとればいいのかがわかって、まるで導かれるように登頂にいたれることがある。
僕も一度だけ奇跡に会ったことがある。それは普通の高校生の日常を描いただけの話だった。起こる事件と言えばちょっとした家庭の問題くらい。主人公の男の子にはには仲のいい家族がいて、友達がいて、平和に生活している中で悩む姿を描く話だった。
実際の由有の生活にはほど遠い主人公。
由有の作品はいつもそうだ。
だから読んだ人に勘違いされていることもある。
――巻貝さんは楽しい高校時代を過ごされたんですね
――先生のご実家は明るい家族なんですね
そういうときには曖昧に微笑むことで、返事をする。
文章の中では、由有ではない誰かになることでしか、生きられないから。
そこに自分自身はいらない。
でも。
こんな手紙が来るなんて。
まるで、自分自身が小説の主人公になったみたいじゃないか。
『由有ちゃんへ
ごめんなさい
もう許してもらえないかもしれないけど
会いたいです
母より』
それだけ書かれた便箋を手に、しばらく動けなかった。
いったい、どうして今頃・・・。
あの頃のことはもう何とも思わなくなった。
でもそれは、長い時間をかけて、祖母や栄司の力をかりて、栄司の家族にも助けられてやっと箱にしまい込むことができただけだ。
なのに、どうしていまごろその蓋をあけようとするんだろう。
「由有」
手首をぐっとつかまれた。その温度がじんわり伝わってきて、やっと息を吐き出せた。
「ごめん、もう大丈夫」
便箋を折って封筒に戻す。
「栄司、お昼ごはんなに?」
「今ある材料じゃあたまごチャーハンくらいしかできない」
「大丈夫。好きだから」
「そう?そう言われちゃあ、がんばって作りますよ」
「うん、ありがとう」
いつもの軽口を流して、封筒を机の端に置いた。




