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3 思い出―加瀬栄司―

「おい、大丈夫か?」

 土曜日に待ち合わせの駅にやってきた目の前の同級生は、目に見えて緊張していた。

 2学期終了間際の土曜日、加瀬家ではいつもクリスマスパーティ兼冬休みの始まりを祝う会がある。そこに巻貝を招待しよう、と母親が言ってきた。

 巻貝とは、あの日から挨拶くらいはするようになった。

「おはよ」と言うと、こっちを見はしないけど、ちゃんと「おはよう」と言ってくれる。帰るとき「じゃあな」とこえをかけると「うん」と頷く。できれば俺としては「じゃあね」とか「また明日」とか言ってほしいんだけど。それはまだ高望みか。できれば、こっちを見て言ってくれるようになんねえかなー。

 栄司は結局、志望校を変えずに奨学金をとることにした。高校時代のあるていどの成績と家庭の収入条件を満たせばだれでも大丈夫で、毎月何万かをかしてくれる奨学金だ。それとバイトを組み合わせれば学費はなんとかなる。大学にはいってからは独自の学費免除制度を申し込もうと思っている。それが通ればなおさら助かる。

 あれから両親と話し合ってそう決めた。

 うちの誰もそんな制度があるなんて知らなかった。学費は全額、自力ではらわなきゃいけないものだと思っていた。

 父は奨学金のパンフットを真剣にめくっていた。

「巻貝くんは、すごいな」

 栄司も母も頷いた。

「巻貝くんは、どうして知ってたの?」

 そう聞かれたけれど、俺にもわからなかった。なにせいままでほとんどしゃべったこともないのだ。それを素直に言うと、

「じゃあ今度、うちに連れてきなさい」とお決まりの言葉。

 会ったこともないのに、巻貝はすっかりうちの家族のお気に入りだ。


 そういうわけで、我が家恒例のクリスマスパーティーに巻貝をご招待、ということになった。

 妹たちも楽しみにしていて、「どんな人?」とか「かっこいい?」とか聞いてくる。あいつらは少女漫画の読みすぎで、高校生男子に夢見てるんだ。都合よく兄は除外して「お兄ちゃん以外の高校生のお兄さんはかっこいいはず」だとさ。

 巻貝の返事も待たず、すっかり巻貝歓迎ムードになった。あんまり期待されんのも巻貝がかわいそうかと思って、「アイツ暗いから学校ではアンモって呼ばれてる」と家族に教えてった。

「アンモナイトって学校で習ったー」と下の妹。

「絶滅したんだよね」と上の妹。

「暗くて絶滅しそうな感じなとこが似てんだよな。名前も巻貝だし」

 そんな会話の後、結局うちでは『アンモ君』と呼ばれている。

 すまん、巻貝。



 その当人は、待ち合わせの駅にきてもまだ怖気づいていた。

「ほんとに、いいの?」

 人の家に招待されるということは、なんと初めてだそうだ。実は最初は断られたんだ。「どうしていいかわからないから行けない」と。俺はこいつが何言ってるんだかわからなかった。

 2回くらい聞き返して、言葉を足しながら説明してくれて、やっと意味がわかった。つまり人の家に上がる作法がわからないし、うまく話せる自信もないから行けない、と。

「そんなこと気にする必要ぜんっぜんないから。もう俺の家族は巻貝がくること前提で話が進んでるから、予定がないなら来いよ」

 やや強引に話を進めると、やっと巻貝はうなずいた。

 じゃあ、土曜の夕方に駅で、と待ち合わせの約束をした。ちゃんと来てくれてよかった。

 うちに近づくにつれて、だんだん足の進みが遅くなるのを辛抱強く待ちながら進んだ。

巻貝ののろのろ足のせいで駅から20分もかかった。ちなみに俺がふだん歩くときは15分もかからない。

「少なくとも、そのケーキだけでうちの妹どもは大喜びだ」

 巻貝の手には、クリスマスケーキの箱があった。丸くてでっかいケーキらしい。巻貝がその箱を持っていたのを見て、口では「手土産なんてよかったのに」と言ったけど本心はでは素晴らしいと拍手したくなった。なにせクリスマスパーティと銘打っていても、今年の加瀬家のパーティはケーキなしが決定されていたのだ。いまは節約生活だしな。妹たちもだいぶむくれてたけど、もう事情が分からない年じゃないから、文句を言うのは我慢したようだ。


 ただいま、とドアを開けると母が玄関まで出てきて、いらっしゃい、と巻貝を迎え入れた。居間からは妹たちが様子をうかがっている。

「あ、お、お邪魔します」

 どもりながら巻貝がそう言うのを笑いをこらえながらきいた。どんだけ慣れてないんだよ。

「はい。どうぞ」

 きちんと靴をそろえる巻貝をみて、ちゃんと予習してきたんだな、とまた可笑しくなった。でも、うちに来るような友達でいままで靴をそろえるようなのはあんまりいなかったから正解とは言いがたいけどな。

 巻貝がケーキを母に手渡すと「手土産なんてよかったのに」と俺と全く同じことをいった。


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