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2 加瀬栄司(18)

 栄司も手に冷たさが残ったまま、階段を下りた。教室につくと誰の姿もなかった。巻貝もいない。カバンもなくなってるから帰ったんだろう。

 自分も帰るために机の中のものをカバンへ詰め込む。詰め込み終わって、重いかばんを持ち上げたところで気が付いた。

 これ、もう持って帰らなくていいんだ。

 受験しないなら、勉強はもうしなくていい。勉強道具なんてずっとこの机とロッカーの中に入れておいて毎日に授業をしのげばいいんだ。バイトを始めるまでは帰ってテレビを好きなだけ見れるし、漫画だって読める。眠くなったら寝ればいい。

 鞄を机の上に落とした。ドサリと重いものが落ちる音がする。

 中身を出して、机にしまって、筆箱と財布と定期と弁当箱だけがはいったすかすかのカバンを持って帰ればいい。カバンを開けるためにもう一度席に座る。そこまではできた。

 でも、カバンを開けて中身を取り出すことはできなかった。

 席に座ったままぼうっとしていた。

 何も考えたくなかったし、指の1本も動かしたくなかった。

 ガラガラ、と教室のドアが開く音がした。ゆっくり振り返ると、帰ったはずの巻貝の姿。

 黙って自分の席へ行って、机から分厚い辞書を取り出してカバンにいれた。そのまま教室を出て行くとおもいきや、俺の目の前で足を止めた。

 机の上に放りっぱなしのカバンをじっと見て、それから俺のことを見た。

「あきらめないって選択肢はないの?」

 アンモのくせに、何言ってんだ。そんなことしか思えなかった。

「僕は高校を卒業したら自立する」

 ぼうっとしていた頭が一気に現実に引き戻された。え?とつぶやいて顔を上げる。巻貝らしくないはっきりとした口調の大きな声だった。

「親から援助を受けないで、大学に通う」

 援助を受けないってお金をもらわずにってことだよな?

「そんなこと、できるわけ・・・」

 ないだろう、まで言わせてもらえなかった。

「そのためにいろんな制度も調べたし、努力もしてきた。正直できるかどうかはわからないけど・・・」

 巻貝の両手がこぶしを握っていた。細い肩が小刻みに揺れている。できるかわからないなんて絶対に言いたくない言葉だったに違いない。そうやって少しでも自分の弱さを言葉にしてしまったら、それを認めてしまった気がして、現実になるような気がしてしまう不安は栄司にもよくわかる。

「それでも」

 巻貝のこぶしが握りなおされたのを感じた。肩の震えは止まっている。すうっと息を吸ったのがわかった。

「できないことはやらない理由にならない」

 巻貝は顔を上げてそういった。琥珀色の目と、目が合った。ドキリと胸が鳴る。目をあわせたままではいられなくて、先に目線を外した。

 巻貝は重いカバンを背負いなおすと、今度こそ教室を出て行った。

 眼鏡ごしの色素の薄い目が、睨むように栄司を見ていた。

 その目にすべてを見透かされたような気がした。バカじゃないのかと言われた気がした。まだあきらめなくていい道があるかもしれないのに、ろくに探しもしないで、可哀想ぶって、家族想いなふりをして。

 あいつは全部お見通しだったってわけだ。あいつの目から見た俺はどれだけ滑稽だったんだろう。

 俺だって、さっきまでに自分に蹴りを入れてやりたい。

風が強くなったのか、カタカタと教室の窓がなる。冬至を控えた季節の日は短くて、まだ早い時間なのに教室に夕日が差し込んできた。

 立ち上がって、重いカバンを肩にかけ、教室を出る。

 足は、進路相談室に向いていた。夕日が差し込む廊下を歩く。進路相談室にはもともと行く予定だったけど・・・こうなるはずじゃなかった。

 予定では、今からでも就職ってできますか、と学校に来た求人を見せてもらう予定だった。でも、いまは・・・。

 相談室の扉を開けた。大学の過去問やパンフレットが並んでたり、求人票が掲示板に張られていたりするだけの狭い部屋。部屋の真ん中に大テーブル、部屋の奥には個別相談ブースが1つ。どちらにも生徒はいなかった。常駐の進路相談の先生が作業していたけど、ドアの音を聞いて、栄司のほうを見てくれた。

「いらっしゃい、どうしたの?」

 先生は母と同じくらいの年齢で、ふくよかでやさしそうだった。いままで相談することなんてなかったから、名前は知らない。

 自然と言葉がでてきた。

「お金ないけど大学に行く方法ってありますか」

 先生は目を見開いて驚いた顔をしたあとに、席を進めてくれた。

 名前と志望大学を聞かれて、その大学にある援助制度や奨学金制度のことを教えてもらった。奨学金制度は俺が思ってるよなやつじゃなかった。

 幸い志望校の学費は安いほうだったし、いろんな援助制度があった。その他にも援助制度がある大学をいくつか紹介してもらった。すべり止めにと考えていた大学のランクをさらに下げて、成績優秀による学費免除が狙えるところにするというのも手段としてはあるな・・・。

 食い入るように各大学のパンフレットを見ていった。

 ふと顔をあげると先生と目があった。

「あなたのこと見てたら、1年くらい前にも同じような子がきたの思い出しちゃった。その子もいまのあなたみたいに一生懸命お金のかからない方法調べてた」

 いまの俺には、そいつが誰だかわかる。

「1組の巻貝ですか?」

 そう聞いたけれど「内緒」と笑われてしまった、プライバシーは大事にしなきゃいけないから、と。



 その夜、再び両親と膝をつき合わせて座った。

「学費は自分で何とかするので、進学させてください」

 真剣に親に頭を下げたのなんてこれが初めてかもしれない。

 進路相談室で調べてきた資料を出して、説明するとものすごく真剣にきいてくれた。

「なんとかなるのなら、大学へ行きなさい」

 親父はそう言った。母も隣でうなずいている。

「こんな制度があるなんて私たち知らなかった。栄司は知ってたの?」

「いや、教えてくれた奴がいるんだ。そいつは高校出たら自立するって言ってた」

「しっかりしてるのね」

「うーん、たぶん」

 しっかりしている、というのとはちょっと違う気がしたけどほかに適当な言葉が思い浮かばなくて曖昧にうなずいておいた。

「なんにせよ、その子に感謝ね」

 母は、今度その子をうちに連れてきなさい、と言い添えた。

 父は、ふぅと息をついて目頭を押さえた。

「栄司が進学できる方法があるのなら、よかった」

 進学に賛成してくれただけじゃなく、喜んでくれた。

 俺が高卒で働き始めたほうがぜったいにうちは助かるはずなのに。

「俺さ、できるかぎりバイトもするし、そうしたらうちにいれるようにするから」

 それを言うと、父は「そんなことは考えなくていい」と言った。お前は自分のことだけ考えろ、と。

 また涙が出そうだったけど、家族の前で泣くなんてできるわけなくて必死に耐えた。


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