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プロローグ
プロローグ
カタカタ、となにかが小刻みに揺れる音がして、リビングルームをそっと覗いた。
暗い部屋で揺れていたのは、いつもの椅子に座った母の手だった。
その手の中にあるコップがテーブルにあたって、カタカタと音をたてている。
彼女はぼうっと口を開いて、虚空をみつめていた。
テーブルの上には、携帯電話が置かれていた。
『もしもし、どちらさま?』
携帯電話から、誰か女の人の声がする。
そこから数分にも感じられた寸刻の後、母の瞳は焦点を取り戻し、電話を手に取って終話ボタンを押して
「大丈夫、大丈夫」
自分に言い聞かせるようにそう言っていた。
僕はそっと部屋に戻った。
大丈夫じゃないよ、とつぶやきながら。
母は必死に隠しているけれど、僕は気づいているんだ。
中学2年ころからだと思う。
僕の背が伸びて、声がかわって、大人に近づいてくるにつれて、母は僕を見なくなった。
ふとしたときに目があうと、おびえるように目を逸らす。
中学生の僕には、どうすればいいのかなんてわからなかった。