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薄暮昔語之巻  作者: 神奈保 時雨
第二章 村の法師の話
9/11

天狗と法師(1)

 替えの着物と、いくつかの小刀、芋がらや(ほしいい)、それと鉄と変えられそうな少しばかりの銭が、外に出るオレの荷物だった。外の世界に出るには少なすぎる荷物だが、食料を多めに持たされたほかは、それで充分だと叔父叔母は言った。

 たぶん、余裕がありすぎると戻ってこないんじゃないか、と思われていたんだと思う。信用がなさすぎやしないかと思わないではないけれど、まあ、昔から山菜狩りなんかでは時間を忘れがちだった。外でもふらふらすると思われているのだろう。そう考えると、普段の行いが悪いんだと納得せざるを得ない。



「じゃあ、行ってくるから」

「二年に一度は、」

「それこの前から数えて五回目な。分かってる。文も出す。危険なことがあったら逃げる」

 出発までに何度も約束事を反復して聞かされたせいで、すっかりそらんじてしまった。結局この叔父も、叔母と一緒で心配性だった。似たもの夫婦だ。それでも、里の外に出ることを許してくれたのだから、感謝してるけど。

「そうしてくれ。こっちのほうも、お前に頼まなきゃならない用事があれば、烏に頼んで連れ戻すよ」

 叔父は満足そうに頷いた。叔母は心配そうに、操は不満そうに、オレの方を見ている。

 ここは里のはずれ。空き家が数件あるのみの、さびれた場所だった。そして、外の世界との境目でもある。この辺りを囲んでいる森を飛び越えてしまえば、あとはあっという間に、山の麓だ。早朝の冷たい空気の中、オレは今から里を出ていく。

「……ちゃんと帰ってくるよ」

 言い訳がましい言葉が出てきたのは、罪悪感がないわけじゃなかったから。もう『風巻』はオレしかいない。唯一の鍛冶屋が外に出れば不便もあるだろう。もちろん、いつかは鉄を仕入れに行かなきゃならないだろうけど、今回はそれがいちばんの理由じゃあないときてる。ほとんどオレのわがままで出るようなものだ。

「外のお話、聞かせてね」

 そんなオレの心境なんて知る由もない操のおねだりが、正直ありがたかった。

「いくらだって聞かせてやるよ」

 笑ってみせて、ただ手を振った。それに笑う操に、オレも笑い返す。それ以上は何も言わなかった。別に今生の別れじゃない。叔父叔母は心配性だけど、その心配を裏切るつもりなんてこっちにもないんだから。

 普段は見えないように仕舞っている翼を広げる。見送るように視線を送ってくる三人に一度だけ視線を返してから、地面を蹴る。同時に風向きを操り、追い風を作る。風を操るのは天狗の持つ能力のひとつだ。それのおかげで、羽搏き一つすれば軽々と木々の高さを越えることができた。


三人の姿が、振り返るたびどんどん小さくなる。豆粒みたいに小さくなったところで、オレは振り返るのをやめた。


鬱蒼とした森の向こう、待ち望んでいた外の景色へと目を向ける。

その瞬間、目を奪われた。どこまでもどこまでも開けている広い空。樹海の向こう、眼下に広がる広大な大地。人なんかひとりもいない。草木だけが風でうねっている。見渡せるだけでも、こんなに世界は広いのだ。終わりなんかありそうにない。深山の里など、四半刻あれば端まで行けてしまうというのに。

これがオレの見たかった世界なんだ、そう思うと同時に、これでまだほんの一部なのかと、途方もない思いが湧き上がってくる。なるほど荷物を制限されるわけだ。約束がなければ我を忘れかねない。風に吹かれて、ただ空を突っ切るのが気持ちいい。この時点で、少し浮かれ気味になっているのは否めなかった。


 山の斜面を下るように、少しずつ高度を下げながら滑空する。麓にたどり着く前に、速度を緩めて斜面へと降り立った。外の世界には、妖怪を退治する人間たちがいるのだから。いわゆる異形の姿は見せないでおくのが得策だろう。耳にタコができるほど聞かされた巫女と法師については、警戒して損はない。

「……行くか」

 自分に言い聞かせるように、ひとつ呟く。思えば、まわりを見ても誰もいないほどに、一人の状態になったことは初めてかもしれない。深山の里は狭い。最近、家では親父殿がいなくなって一人だったけど、それでも喧騒や話し声は聞こえてきたものだ。

 ……寂しいのか。それはよくわからなかった。景色に浮足立っているし、どちらかといえば、珍しい気持ちの方が勝つかもしれない。一人だということも含めて、今この状態に対しては。

 それきりただ足を動かした。里では見たことのない広い大地や、草が掻き分けられた獣道、里より少しだけ高くなった空を眺めながら、行くあてもなくまっすぐ歩いた。今日のねぐらも、明日の予定もない。見る人が見れば、こんなのはただのやけっぱちだ。例えば親父殿が見たら眉を顰めるだろう。それでも、ただそれだけのことが、何となく楽しかった。旅の理由なんか、まだ自分でも見つけてないというのに。




 ただふらふらと歩くうちに、数回弱々しい妖気を感じることがあった。近くに妖怪がいるのかもしれない。とはいえ、これほど弱い妖気なら、言葉をもたない雑魚妖怪だろう。天狗の里では滅多にお目にかかれないが、力の弱い妖怪は人の姿を真似ることができないらしい。そんな弱い妖怪は、人の姿を持つ天狗に喧嘩を売るつもりはないと見えて、すぐに妖気を察知できないところまで逃げてしまう。外の妖怪を見てみたい気はするけれど、寄ってこないのならそれはそれで楽だった。追い払うために無駄に術を使って、法師とか巫女とかに目をつけられたくはないし。

 だから、雑魚妖怪に気を取られる必要はないだろうと思っていた。けれど、日が高く昇ったころ、少し強い妖気を感じた。強い個体ってわけじゃない。多分、群れだ。何の妖怪かは分からないけど、群れをつくるものなら、自分より強い個体も狙おうとするだろうか? ちょっとだけ警戒しておいた方がいいかもしれない、そう思いながらさらに歩を進めて、気づいた。群れの妖気は、オレの進行方向から感じられる。寄ってくるでもなく逃げるでもなく、ただその場に留まっている。何となく妙だ。

 気になる、と思うと同時、オレは走り出した。外のことなんか何も知らないのだから、考えるより行ってみるのが早い。そう思っての行動だった。

「――けて……!」

 その瞬間、確かに悲鳴が――人の言葉が聞こえた。遠くて不明瞭だけど、確かに悲鳴だった。妖怪の群れと、誰かの悲鳴。

「……まさか」

無意識に言葉を漏らす。走る足に力を込めた。


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