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薄暮昔語之巻  作者: 神奈保 時雨
第一章 深山の里の話
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変化と決断



 親父の骸を燃やすときも、涙は出なかった。操がオレにしがみついてひどく泣いていたからっていうのもあったのかもしれない。でも、何となく、実感が湧かなかったのだ。いなくなる前は怖くて仕方なかった父親の死に。

 それは多分、確かに遺されたものがあったから。父親が長い間培ってきた技術と、父親自身の名前。

父親の鍛えた刀。仕事場に残された道具。そうしたものを見ていると、すぐにも後ろから小言を言われそうな気がして。風巻と呼ぶ声に、オレじゃない他の声が答えるような気さえして――泣くことなんかできそうになかった。



「こーかぁ」

 父親が死んでから、数か月。仕事場から出たオレに、人間の幼子が手を振ってきた。二つ三つくらいの子供には、名前が変わったなんてことは理解できていないのだろう。オレだって馴染みきっていないくらいだ。

「何だお前また一人できたのか……あんまほっつき歩いてるとじいちゃんに怒られるぞ」

 抱え上げてやると、嬉しそうに手をじたばたと動かしている。こっちは苦言を呈しているというのに。

「ほんと、佐之助にそっくりだよお前……」

 ひとりごちたところで、この子供はまだ自分の祖父の名前なんか頭に入っていないだろう。じいちゃんはじいちゃん、くらいの認識だ。案の定名前を出しても、こっちのことなんか見やしなかった。どこで拾ったのか、大切そうに持った石を眺めて笑っている。

「……お前らはほんとあっという間に大きくなるな」

 地べたに降ろしてやると、子供はめぼしい石を拾って遊び始めた。この前まで立てもしなかったのに――なんて思ったけれど、それを「この前」なんて言えるのは天狗の側だけだろう。つい「最近」まで一緒に遊んでいたような人間に、もう孫がいるのだと思うと、割と感慨深い。

「あっという間にいなくなっちまうし」

 うちの父親の病が分かって死ぬまでに、いったい何人の人間が死んだだろう。生まれたかと思えば、すぐに世代が代わってしまう。同じように見えても違う生き物なのだ。ここのところは特に、それを実感していた。

 話しかけているつもりでいたのに、幼子はすぐに遠くへ駆けて行ってしまった。走って行った先でも石を拾っているのを見ると、大分ご執心らしい。

「……オレの背がようやく伸びきる頃には、あいつもじいちゃんなのか」

 あんなに無邪気に遊んでいるのに。思わず、ため息が漏れた。


「……さて」

 しみじみと考えてしまったせいで、外に出た目的を忘れてしまうところだった。子供から目を離し、足を前に踏み出す。向かう先は、自分の家――の一軒隣。叔父叔母が住む家だ。



「あ、紅兄ぃ来たよー」

「お前はわざとだよな」

 入口から顔を覗かせると、ちょうど炊事をしていた操が奥へと声を掛けた。こいつは意地でもオレを「風巻」とは呼ばない。その気持ちは分からなくもないけど。

「……だって何か、そんなにすぐ切り替えられないよ」

 何について言われたのかはすぐ分かったらしく、そんな言葉が返ってきた。

「まあ……だよな」

「それより、上がって上がって! すぐできるから、ほらっ」

 呟いた途端、操の声の調子がわずかに上がる。気遣われているのだろうか。オレが名前を継いでからというもの、操はずっとこの調子だ。空元気なのは分かりきっている。それでも、ずっと沈んでいるわけにもいかない。残された者は残された者で生きていかなきゃいけない。

「あー、はいはい」

「はいは一回!」

「ったく、えらそーにして」

 悲しむのも必要かもしれないけど、いつも通りに過ごすこともきっと必要なんだろう。実際、操が笑っているところを見ていると、何も悲しいことなんかなかったみたいで。

「……、」

 父親が自分の後ろから顔を出しそうだなんて。そう思って後ろを振り返ってしまうのは、それでもいただけないような気はするけれど。自分が父親の死を受け止められていないんじゃないかって、そんな不安がちらつくから。


「紅霞、仕事はどうだ」

「どうも何もなー……そもそも頼まれてる仕事も今のところないしさ。鍛え直しとか研ぎ直しならちょくちょく引き受けてるけど」

「それがうまくいっているならいいことだろ」

 叔父といくつか言葉を交わしながら、夕餉に出された川魚を箸でほぐす。父親が死んでからというもの、オレは叔父叔母の許で食事を摂るようになった。こちらで寝起きすればいいとも言われている。でも、それは父親の遺品の整理がついてからになりそうだ。それほど物はないけれど、どうにも片づけにくいのだ。オレが勝手に触ると怒ることが多かったから。生きているうちに「死んだらどう片付ければいい」なんて聞けるはずもなかったから、片づけは難航している。

「ねぇ紅兄ぃ、今度あたしの小刀研いでくれる? 薬草採ってたら切れ味落ちちゃって」

 オレの心中を知ってか知らずか、この従妹は本当にお喋りだ。

「ちゃんと手入れしないからだろ」

「してたよ!」

「操、静かに食べなさい」

 案の定叔母に叱られ、操は結局大人しく青菜の汁ものを飲み始めた。ここまでがいつもの流れだ。


「……あのさ、」

 いつもなら、このまま食事を済ませてオレは家に戻る。でも、今日はきっといつもの流れにはならない。偏にオレのせいで。

 ぽつりとこぼした声に、他の三人の視線が集まった。言うのは、少し緊張する。申し訳ないとも思う。

「話があるんだ」

 でも、もう決めた。父親の遺品とにらみ合いながら、仕事場で汗を拭いながら、さんざん考えて。


「オレ、やっぱり一度、山の外に出てみようと思う」


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