旅立ちと自立
刀を打って、人のことを習って、ときどき「外に行きたい」と言っては周りに心配されて。そんな生活が、三十年ほど続いた。オレの見た目は、人間でいえばようやく十四になった頃。人間たちはその間にも、また世代が変わった。遊びにくる人間の子供たちの顔ぶれを見ると、人間との時間の流れが違うことを実感する。サチの弟も、自分の子供に家督を譲るとか言ってるし。早いものだ。
その間に、蛟が法師に掃討されただとか、偉い巫女が代替わりしたとか、と思えば妖怪が法師を殺したとか、そんな話も色々聞いた。でも、外の世界を見たい気持ちはそうそう変わらなかった。
ただ、変わったことがひとつだけ。
しばらくは病の存在なんて感じさせないくらいにいつも通りだった父親が、臥せっていることが多くなってきた。必然的に、オレの仕事の量は増える。結果的に上達が早まったとは言えなくもない。それでも、名前を継ぐ時が迫っていると考えると、どうにも気分が沈んで仕方がなかった。
「暑いな……」
鉄を鍛えるには、高温になるまで熱さなければならない。当然、仕事場はとんでもない熱気になる。汗が目に入ってくるし、髪や着物は肌に張り付くし、正直なところ地獄のような場所だ。
それでもオレはその熱気が何となく好きだった。それは父親も同じと見えて、体調がよくないというのに、熱い鉄の傍に寄ってくる。せっかく仕事場と家を分けてあるのだから、寝ていればいいものを。そう思って「寝てれば?」というと、「半人前だけに任せられるか」と返ってくるのが常だった。まあ、確かに二人以上いないとできないような工程もあったりする。
……でもこの堅物、大体一人で作業をやってた気がするんだけど。
そう思って、仕事を覚え始めて少ししてからどうしていたのか聞いてみたら、「人間の里にも鍛冶屋はいるから、手伝いが欲しいときはその人間に頼め」と返ってきた覚えがある。「頼んだことがある」と言わなかったのは、父親の意地だろうか。絶対あるだろうに。
「なあ、飯食える?」
一段落ついて、父親を振り向いてそう尋ねた。
「……いや、今日はいい」
近頃はこんな日が増えている。薬草の知識がある叔母が色々煎じてみても、それほど効果はなかった。食欲も体力も、減衰していくばかりだった。
「……そっか」
食え、とは言いづらい。父親が無理に無理を重ねているのは何となく分かっていた。その上食事でまで苦痛を与えたくない。
「じゃあ、水汲んでくるから。ついでに薪も割ってくる」
汗を拭い、外に向かおうとしたとき。
「……すまないな」
そう言った父親の声が、どことなく弱々しく聞こえた。
「何だよ、情けない声出して。今さらだろ」
笑ってそう答えたけれど、父親の顔を見ることはできなかった。
「紅兄ぃっ」
それから数日経ったある日。川で水を汲んでいると、慌てたように操が走ってくるのが見えた。
「どーした、操。あんまり急ぐと転ぶぞ」
「伯父さんが呼んでるっ」
からかおうとしたとき、血相を変えた顔で言われて、頭の芯が冷えた。
まさか。そんな考えが頭を支配していく。気づけば、桶も持たずに駆け出していた。履物が脱げそうになるのも構っていられなかった。
家に飛び込み、放り投げるように履き物を脱いで寝ている父親の傍に寄る。顔を覗きこむようにして座ると、目が合った。
よかった、生きている、と考えた自分の思考が恨めしい。でも思わずそう考えるほどに、父親の顔には血の気がない。
「……操が、呼びに来たけど、どうかした」
いつも通りの声が出たと思う。けれど、父親はなかなか口を開かなかった。
「――紅霞、」
もう一度訪ねようとしたとき、小さく名前が呼ばれた。あまりに声が小さくて、思わず耳を父親の口元に寄せる。
「……まだ、外の世界に行きたいか?」
その質問が唐突すぎて、しばらく何も言えなかった。それでも、父親には答えが分かっているのかもしれない。諦めたような目で、オレを見ているから。
「……本当に行きたいのならば、止めはしない……止めてもいつか行くのだろう」
「え、」
父親は今まで、外に行きたいという言葉にはいい反応を見せなかった。久遠の里というところが滅びてからは、なおさらのこと。
「その代わり、自分の行動には……自分で責任を負え。自分の行動の結果を見届けろ。外に行くことで危険な目にあったとしても、それは自分の選んだことだと」
自分の行動の責任を、自分で。筋の通った話だ。
「……何で、そんな話するんだよ?」
でも、何故。どうして今になって、意見を覆したのか。
「――お前を、一人前の男として認める時が来たからだ」
小さいけれど、芯の通った声。お互いの時が止まった気がした。
父親の言葉を心から聞きたくないと思ったのは、これで二度目。
「……今日から、『風巻』という名はお前のものだ。私のものでなく」
風巻。祖父と父が、刀匠として受け継いできた名前。父親が言った、「遺せるもの」のひとつ。
半人前でなくなったということ。父親に認められるということ。それは本来なら、嬉しいことのはずなのだろうに。
「……ちっとも嬉しくねーよ、馬鹿親父……」
「素直に喜んでおけ、馬鹿息子」
そんな言葉と共にオレの頭に乗せられた手は、病人のものとは思えないほど力強かった。
夜が更け、次の日の出を待たずに親父は逝った。風巻という名前だけを残して。