父と刀
問いに答えたきり、サチはしばらく無言でその場に立っていた。何かを考えるように。
先程の話し方からするに、サチは外の世界の仕組みにいい印象を持ってはいないんだろう。そういう世界にこれから出ていくのだから、何か思うところがあっても当然かもしれない。オレもしばらくは、無言でサチに付き合っていた。でもサチは確か「お使いに来た」と言っていたし、このまま放っておくわけにもいかない。
「サチ、」
「紅霞」
声を掛けたところで、サチがこっちを振り返る。その顔にはいつも通りの笑みが浮かんでいた。
「ごめんね、話が逸れちゃって。お使いの話なんだけどね、風巻さんに会わせてほしいの」
唐突に出てきた父親の名前だったけれど、すぐに納得することができた。
「親父に……ってことは、刀か何か?」
父親は、天狗の里で唯一の刀鍛冶だった。オレの祖父にあたる人が鍛冶を始め、父親は二代目だと聞いたことがある。武士であるサチの家とは、その関係で懇意だった。
「そう。風巻さんが鍛えた刀は手に馴染むんだって。私には分からないけどさ」
「……オレにもよく分からないけどな」
下っ端みたいな仕事を手伝わされはしても、実際に完成した刀を握らせてもらったことはない。こんな平和な里では、戦いだって迷い込んだ雑魚妖怪を退治するときぐらいのものだから、刀を振る必要なんて天狗にはないし。風を操る力と、神通力を併せ持つオレたちに武器は不要だ。不要なものを鍛えるのを生業にしてる父親は、そう考えると酔狂だ。
それでも何となく、父親の持つ技術はどうやらすごいらしい、ということは知っていた。本来、刀はそれぞれの段階――鉄を掘りだし、溶かし、鍛えて研ぐまで――に合わせて、それぞれの段階に特化した職人がいるんだという。刀鍛冶の仕事は鍛えることだけ。でも、父親はそれをほとんど一人でやるのだ。まあ、さすがに鉄を掘りに行ったことはないだろうが。確か鉄や炭を仕入れるときばかりは、父親も里の外に出ていたはずだったし。けれど、鍛えて、研ぎ、鞘をつけて一振りの刀にするまでは、少なくとも一人でやっている。
「長命だからこその仕事っぷりだしなぁ……」
数百年生き、長く技を磨ける妖怪だからこその方法。人間にして数人分の寿命を以て、数人分の技を習得する。人間の刀鍛冶ではなかなか有り得ない話だろう。ひとりごちると、サチに「え?」と聞き返される。首を振ると、サチは気を取り直したように笑った。
「ということで、ちょっとお邪魔してもいい?」
「分かった」
頷き、先導して歩き始めようとした瞬間。サチの手がオレの頭に乗せられた。
「……ん?」
そのまま、数度頭を撫でられる。
「何だよ、どーした」
「ううん、何でもない。案内、お願い」
サチはそう言って笑った。笑顔はいつも通りだったけど、やっぱり今日のサチはどこか変だ。
「親父殿。サチが来た。仕事の話だってさ」
「サチ……ああ、屋敷の子か。入ってもらいなさい」
家に入ると、いつも通りの穏やかな声が聞こえた。敷物の上に座っている父親が、「謝ってきたのだろうな」と念を押してくる。
「謝ったよ。んなこと誤魔化してどうすんだ」
肩を竦め、サチを招き入れてからオレは壁際に移動した。普段は温厚な父親も、仕事を邪魔されるとひどく怒る。だから、邪魔するつもりはないという意思表示としては、この堅物の視界の外にいるのがいちばんだ。
「こんにちは、おじさま。父が、弟のための刀を誂えてほしいのだって。そろそろ元服して、腰に刀を差すようになるから」
「……もうそんな時期だったか」
二人の会話を聞き流し、外を見て日の高さを確認する。そろそろ、夕暮れ時だ。夜になる前に、水を汲みに行った方がいいかもしれない。二人がまだ話しこんでいるのを確かめ、外に出ようと足を動かす。
「紅霞」
それを見計らったように、父親の声が呼び止めてくる。
「……何?」
珍しいことだった。父親が仕事の話にオレを引っ張り込んだことなんて、いまだかつてなかったのに。
「こちらに来なさい」
今までなかったことだから、どう反応すべきか分からない。とりあえずはその言葉に従った方がいいんだろう。
オレが父親のそばに行くと、手の動きで座るように指示された。
「何だよ?」
二人の近くに腰を下ろしても、父親はすぐには口を開かなかった。オレが促してようやく、その目がこちらを向く。
「……そろそろ、仕事を覚えてみるか」
「へ?」
思わぬ言葉に、間の抜けた声が出た。
確かに、いつか継ぐようには言われていたし、父親が外から弟子をとらないのなら、継ぐことも別に苦だとは思っていなかった。だからこそ細々とした作業は手伝っていたし、よく父親の仕事は眺めていたけれど。
「そろそろって……この前、『まだ早い』って言ってただろ?」
本格的に仕事を覚えるのは、人間でいう十三、四くらいのときからにするという風に話がまとまっていたはずだ。それをどうして、いきなり早めようというのか。
「嫌とかって言うんじゃなくってさ……」
それにも父親が何も言わないから、さらに質問を投げかけようとしたとき。父親が手で口を押さえ、大きく二回、咳き込んだ。
「何だよ、どうし――」
背中をさすろうと手を伸ばした瞬間、父親の手から何かが零れた。
赤い雫が一滴、二滴と垂れてくる。頭が急激に冷えた。
「――サチ! 叔母さん呼んで! 向かいの家にいるから!」
勢いよくサチを振り返ると、目の前の光景に固まっていたらしい彼女が慌てて立ち上がる。
「……紅霞、」
彼女が転がるように外に出ていったと同時、しゃがれた声が聞こえた。
聞くな、見るな、と自分に言い聞かせる。聞かなければならないことは分かっていた。でも、聞きたくなかった。知りたくなかった。
「紅霞」
強い力で腕を引かれ、強制的に振り向かせられる。鉄のような匂いがする。いつも父親の手に残っている匂いとは違う、もっと生々しい命の匂い。
「……きっと、私はもう長くない」
時間がないと、小さな声で告げられる。思いっきり頭を殴られたような衝撃で、言葉なんかまったく出てこなかった。
「それでも、今ならお前に遺せるものがある。……継いでくれるな、紅霞」
首を縦に動かす、それだけのことがこんなに難しいなんて知らなかった。