内と外
「ごめん!」
「もういいって。オレこそ殴って悪かったよ」
並んで頭を下げる人間の子供三人に、こちらも謝罪を告げる。操がもう泣いていなかった、その時点で、怒りなんかどこかに行ってどうでもよくなっている。
今は、相手の顔にある青紫の痣の方が痛々しい。オレの方は無傷……というか、もう治っているから余計だ。オレにも向こうの拳骨が何度かぶち当たっているはずだけど。
なるほど、このことに関しては、親父殿は正しかったらしい。言い方がむかつくんだけどな。
「母ちゃんに喧嘩したっていったらさ、それで紅霞と操に何言ったか言ったらさ、こっぴどく叱られたんだよぉ」
そのうちの一人が情けない声を発したことで、そもそもの発端が何だったかを思い出す。
「……『百年生きてもまだ子供だなんて気持ち悪い』だっけー?」
からかうように再現してみせると、彼らは居心地悪そうに肩を竦める。
「怒ってねぇよ、冗談だって」
目の前の三人は、確か十二、三歳ほど。見た目でいえばオレも変わらないくらいだ。背はこっちの方が少し高いけど。
それでも、実際の寿命にも成長の速度にも、縮めようのない隔たりがある。実際のところ、オレはもう百八十年ほどはこの現世に存在しているのだから。こいつらの歳に十を掛けたって足りないくらい生きているのだ。
「まあ、お前らが生まれて今まで、こっちはぜーんぜん姿も変わってないから。別にそう思ったって仕方ないとは思ってるよ、こっちも。ただ操をしつこくからかって泣かせたのは話が別だっただけ」
この差だけは、埋められない。それはオレもなんとなく分かっていた。オレがようやく、そろそろ一人前と認められそうな歳になったっていうのに、人間の側はもう何回も世代を変えている。それでも次の命を繋いで育んでいるのが不思議なくらいだ。
「で、何て怒られたわけ?」
目の前でみんな居心地悪そうにしてるものだから、それとなく話題を変えてみた。でも、この変え方はあんまり効果がないかもしれない。
「なんてってぇ……『こらぁっ、佐之助ぇ、あんたまた天狗の子に変なこと言ってぇー!』って怒鳴られたよ、いきなりさぁ。何で知ってるんだって思ったら四郎が自分の母ちゃんにゲロったせいでこっちもばれてさー」
「だって母ちゃん俺の痣見た途端『何やらかしてきた!』って怒るんだぜ! 俺がいじめられたんじゃないかとかミジンも思ってねーからな!?」
途端にぎゃあぎゃあと騒ぎ出すのを見ると、こんな話題でも割と変えた効果があったらしい。割と単純だな、こいつら。
オレは笑いを堪えながら、引き続き佐之助に話題を振ってみた。
「お前が怒られたとき、お前の父ちゃん何してたの?」
「何か部屋の隅で知らんぷりしてた」
「だろうな、お前の父ちゃんが小っちゃいころ、オレにおんなじこと言ったもんな」
多分秘密にされていたであろうことを口にすると、佐之助は「嘘だろ!」と絶叫した。操よりうるさい。
「嘘じゃねぇよ、後で聞いてみろって、紅霞に聞いたーって言ってさぁ」
笑って助言してやると、三人はお互い顔を見合わせた。
「なんつーか……俺父ちゃんの子なんだな」
「お前も将来お前の子供に怒るのか?」
「佐之助の母ちゃん知ってんのかな、それ」
思い思いに感想を述べているが、その姿までそれぞれの親に似ていた。それはさすがに黙っておくことにする。話しすぎると、後でこいつらの親に文句を言われるだろうし。
「あんまりここにいると、今度はどこで油売ってんだって怒られるぞ」
「うわー! それは嫌だ! 帰る! 今日はごめんな!」
あんまり話し込んでいたからからかってみると、三人は慌てたように手を振って去って行った。三人が走って行った方には、人間の集落がある。何となくそっちを眺めていると、また違う一人の子供が走ってくるのが見えた。
「紅霞ぁー」
オレの名前を呼びながら、手をぶんぶん振っている少女には見覚えがあった。
「サチじゃん。どしたの。またお使いか」
佐之助たちより少し年上のサチは、よく人間の里から使いっ走りによこされていた。
「そーよ。またお使い。何、紅霞、佐之助たちと喧嘩した?」
「した」
「それがどーしたみたいな顔で言わないでよ」
呆れ顔をしたサチに肩をどつかれそうになり、笑いながら避ける。
「今回はまた、何で?」
同じように笑顔を浮かべたサチが首を傾げている。オレは頭を軽く掻いてから言葉を探した。
「寿命の話っていうか。オレらの見た目が変わらないことをからかわれて操が泣いた」
「定期的にやってるわよね、同じようなこと」
サチの言うとおりだ。天狗が歳をとらないのを人間の子供が気にするのは、よくあることだ。全部が全部諍いになるわけではないけれど、ヒトは案外、自分と違うものが不思議でたまらないらしい。
「深山の里で暮らしてて、今さらな疑問だと思うんだけどな」
名前の通り、山奥にあるこの里では、天狗がいて、人間がいて、それがすべての世界なのに。どうして思い出したように疑問を持つのか、オレには理解できない話だ。
「まあ、人からしてみたら、昨日まで年上だった人が年下になってるようなものだから、不思議は不思議なのよ。それに……」
苦笑のようなものを顔に浮かべて話していたサチが、ふと黙った。それにサチの顔を見つめたけど、サチは何かを考えるようにしている。
「それに?」
促すと、サチはようやく口を開いた。
「……紅霞、私たちはね、あくまで人間だから、外の世界ありきの暮らしをしてるのよ」
「ん? ……おお」
話が読めずに、相槌にもならないような間抜けな声を出すと、サチはくすりと笑ってみせた。
「山の外の世界で、たとえば戦が起こったとしたら、私の父親なんかはその戦に行かなきゃならないのよ」
そういえば、サチは人間の里を治めている武士の娘だったっけ、と考えを巡らせる。普段気さくに話しているものだから、あんまり意識をしたことはないが。
「他のみんなだって、もしかしたら外の世界に出ることがあるかもしれない。だから外の世界のことは色々習うの。この山でしか生活したことがないのに、外の世界のことを知っているっていうちぐはぐな状態」
何と相槌を打っていいか分からないから、オレは黙って聞いておくことにした。こうして話してくれるのだから、聞いておいて無駄はないし。
「それで……天狗と人間が一緒に暮らしているこの里からしたら考えられないけど、外の世界では妖怪は『特殊』で、人間が『普通』って考えられてるみたいでね」
「オレらが特殊?」
妖怪からしたら、人間の方が特殊なんだけどな。そんなことを考えていると、「気を悪くしないでね」とサチが笑った。
「あくまで人間から見てって話。……でも、そう教えられたら『自分たちが普通なんだ』って思っちゃうの。よくも悪くもね。だから、天狗は変なんだ、自分たちと違うんだ、って思っちゃうんでしょうね」
「ふーん……」
天狗が変、か。
考えたこともなかった話に、ただ相槌を打つ。人間と妖怪、どちらの側に立つかによって、だいぶ考え方が違うらしい。
「サチもそう思うわけ?」
サチの方に身体を向けて尋ねると、サチは「私?」と首を傾げた。
「あんまり意識したことないけど、これからはそう思ってるフリはするようになるかもね」
「何の必要があってだよ」
サチは一度黙ってから、ゆっくりと歩き始めた。よく分からないまま、オレもそれに従って足を動かす。
「私、そろそろ外の世界にお嫁に出されるみたいでさー」
軽い調子で吐き出された言葉だったけれど、サチの顔は見えない。何となく下手なことを言うのがはばかられて、「もうそんな歳だったっけ」とだけ返事をした。
「年が明ければ私も十五になるからね。ちょうどいい頃合いじゃない? ……まあ、関東管領に連なる家に出されるって言うし、こんな山間を治めている武家の娘にしては上出来な嫁入りだわ」
「関東なんとかって、何」
「簡単に言えば、幕府が武蔵国によこした偉い人よ」
「……ばくふ……」
人間の世界のことはてんで知らないから、間抜けな声を返すしかない。妖怪に縁のないことだとサチも察したのだろうか、「とにかく偉い人の家に嫁に行くのよ」と言いなおす。
「詳しく知りたかったら私の父に聞いて、ね。……だから、外の世界の規則に従わないとならないの。天狗と仲がよかったって知られたら里帰りもままならないかもしれない。……法師と巫女のことなら紅霞も知ってるでしょ?」
法師と、巫女。どちらも妖怪退治を生業としている存在だと聞く。確か、外の世界では妖怪が悪さをすることもよくあって、そうした妖怪を倒すことのできる存在が必要なんだとか。父親がそう言っていた。
「まあ、一応は」
「そっか。法師と巫女が妖怪と敵対してることが多いから、外の世界では妖怪の印象ってよくないんだって。私たちは一緒に遊んだり、こうして話したりしてるのに、変な話だけど」
サチは歩き続けながらそう零す。同じところをぐるぐる歩き続けるサチがそろそろ心配になってきたころ、サチはぴたりと足を止めた。
「……嫌な話。悪い妖怪ばかりじゃないって知っているのに、外の規則に従わないと生きていけないの」
小さく呻くように吐き出された言葉。サチの顔はオレからは見えなかった。何を言っていいのかもよくわからなかったが――ひとつ、気になったことを尋ねてみる。
「それが、人間の世界では正しいのか」
「そうみたい」
即答だった。サチの話を、頭の中で繰り返す。もし佐之助たちとのいざこざが、外の世界で起きたものだったら。オレが問答無用で悪くなっていたのだろうか。だとすると、親父殿の叱り方なんてまだ生ぬるかった。
どうやら、外の世界はこの深山の里とはだいぶ違う仕組みで成り立っているらしい。それに驚くと同時に、疑問も溶けたような気がした。人間の子供たちの態度が変わっていくのは――オレたちと違って、他に気にするべき世界があったからだったんだ、と。
この山の外には、知らない世界が広がっている――という実感だけが、何となく胸の中に残った。