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薄暮昔語之巻  作者: 神奈保 時雨
第一章 深山の里の話
2/11

人と妖

「今日中には謝りに行きなさい」

 後ろから聞こえた声に、無視することで答える。

紅霞(こうか)

 呼ばれた名前も無視すると、声の主――オレの父親が、小さく溜息を吐いたのが聞こえた。

「どうしてお前はそう頑固なんだ。人間の子供と喧嘩なんかするものじゃないと、いつも言っているだろう」

「あいつらが(みさお)を泣かせたから」

 反射的に口から零れた声は、自分で思ったよりも強張っていた。床に胡坐をかいたまま目の前の壁を睨みつけ、ゆっくりと息を吐き出す。

「操に謝れって言ったんだ。でもあいつら謝らないから――」

「謝らないから、喧嘩していいわけじゃない」

 言葉は途中で遮られる。それに頭が一瞬で熱くなって、オレは思わず後ろを振り返った。すぐ傍に立っていたらしい父親を見上げると、穏やかな目と視線がかち合う。その目の静けさに、余計腹が立って仕方がない。

「じゃあ、謝らなくても、妖怪だから我慢しなくちゃいけないっての?」


 人間と、妖怪。ふたつの生き物の差がどこにあるかなんて、オレにはよく分からない。(あやかし)が人間よりずっと長生きなことを除けば、そしてヒトの形をとれない弱っちい雑魚妖怪のことを勘定に入れなければ、違いなんて目に見えるものではなかった。

姿かたちだって似ている。言葉だって同じように話すことができる。確かに人間は、オレたち天狗みたいに背に翼を広げて飛ぶことはできないかもしれないが――ただの取っ組み合いにそんなのは関係ないじゃないか。


 それなのに、妖怪だから人間だから、そんな理由で喧嘩をするなというのだ。目の前の堅物な父親は。

「妖怪の腕力は人間に比べて強いんだ」

「多対一なら丁度いいくらいだろっ」

「それにお前は天狗の中でも妖力が多いんだから、もし神通力を使おうものなら――」

「んなことするわけねーだろ!!」

 「もし」という話に、本気で頭が熱くなった。あ、これ駄目だ、と頭の冷静な部分が呟くのが分かる。

「ただの喧嘩で殺しかねない真似するか! オレは――」

 父親の静かな目を睨むが、その目は静かなままだった。こうなってくると、怒っている方が馬鹿馬鹿しい。むきになっていると思われるだけだ。

 やめよう。そう自分に言い聞かせて、何度も大きく呼吸する。

「……オレは、あいつらが操に謝ってくれればそれでよかったんだ」

 半ば無理やり落ち着いた声を作った。ただ、従妹を泣かせたことに怒っていただけで、何もあいつらが憎いわけじゃない。天狗だけが持つ術なんか使うわけがない。それも含めて、ただの取っ組み合いに妖怪と人間の差なんかないと言っているのに。

「ならば彼らにもそう言いなさい。人間の子らが操を泣かせたことは確かにその子らが悪いだろう。それでも、安易に人間を殴るもんじゃない」

 目の前の父親がその場にしゃがみ、オレと同じ位置まで目線を下げてくる。

「妖怪の傷は妖力さえ尽きていなければ治るがな、人の子はそうもいかないんだ。お前が子供らにつけたたったひとつの痣でも、治るのに何日もかかる」

 目の前でそんなことを言われれば――少しは、自分が悪いような気がしてくる。それが父親の作戦通りだったとしても。

「……あいつらが操に謝るっていうんだったら、オレもちゃんと謝るよ」

 それでも、この条件は譲れない。あいつらが操に謝るのが先だ。オレがそう言ったのを聞いて、父親は何度目かしれないため息をつく。

「お前は本当に強かだな。そういうところはお前の母にそっくりだ」

 そして、今までにも何度も聞いた言葉を吐いた。そんなこと言われたって、オレは母親の性格なんか、知る由もないけれど。母親はオレが物心つく前に死んだ。

「……そうかよ」

 だから、オレはいつもそんな反応しか返せていない。

「まあ……謝る気になったならさっさと行ってこい。後からではどんどん切り出しにくくなる」

「オレが行くのかよー」

 さっき、謝られたら謝ると言ったばかりなのに。口調から不満を感じ取ったのか、「いいからさっさと行け」とばかりに父親は手をひらひらと振ってみせる。

 オレが渋々立ち上がったと同時、家の外から一人の少女が駆け込んできた。

「紅兄ぃっ」

 その呼び方で、声の主を見ずとも正体はわかった。

「操?」

 たった今、散々話題に出ていた従妹だ。この従妹とは人間でいえば二歳ほど、実際には三十くらい年が離れている。それもあって兄と呼ぶのだ。それ以外にこんな呼び方をする奴は、天狗にも人間にもいなかった。操の面倒を見ているときに、からかうように呼ばれたことがあったぐらいだ。

「どーした、急いで」

 家の出入り口のところまで行き、自分の胸くらいのところにある操の顔を見下ろす。息を切らしているから、多分走ってきたんだろう。

「さっき、紅兄ぃが喧嘩してた子たちが来てね、紅兄ぃに会いたいって」

「……なんで?」

 操の額に張り付いた黒い髪を避けてやりながらも、自然と声が低くなった。

「謝りたいって! あたしにも謝ってくれたよ!」

オレが不機嫌になったのを察したのか、操は元気に声を張り上げる。正直、うるさい。

「……行ってくるか」

 それはともかく、事実が操の言った通りなら、突っぱねる理由もない。操に先に謝ってもらうという条件は満たしているんだから、オレも謝って、それで手打ちだ。

「親父殿、」

「行ってこい」

 全部言う必要はなかったらしい。伝言の礼を操に伝えて頭を撫でてやってから、オレは家の外に出た。



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