馬車はゆく
「先生、休んだら、どうですか?」
床というよりも足場がガタガタ揺れている。
「僕は昼間寝たからね、大丈夫だよ。君の方こそ今のうちに体を休めておいたほうがいい」
こんな環境じゃそれも難しいかもしれないが、と後付けされた意見は最もで。下がりかかった目蓋をこすりあげて、百瀬は辺りを見回した。
狭苦しい檻のような箱の中には、自分達の他にも幾人かの人々が、折り重なって毛布やら上着やら、果てはただの布に埋もれている。
多くの人が眠りについている様だが、暗がりに眼を尖らせた大人が何人か。
まるで主に忠実な番犬がそこにいるみたいだ、百瀬は本能的に感じた。
「どうしたの?まだ寒いかい」
寒さのおかげで落ち着かないと思ったらしく、先生が心配気に尋ねてきた。
「いえ、そういう訳ではないのですが……」
獰猛な生き物が静寂を守っている事が不自然で、百瀬は知らずちろりと辺りに眼をやった。
その事に目敏く先生は気付く。
「何もしなかったら、何もされないよ」
そんな一言に毎回あった安心感もこの時ばかりは皆無。百瀬は不安をなんとか押し込めて自分も毛布にくるまった。
とにかく寒い。
夜明け前だというのも手が真っ赤に霜焼けする理由のひとつに上げられるだろうが、単純に北の地は身が凍るようだ、比喩でなく。
僅かな隙間から外を覗き見ると、ランプの微かな明かりを頼りに馬達が闇の中を突き進んでいる。
今回の目的も向かう場所さえも、百瀬は知らされてはいない。先生が「行く」と言うのなら百瀬も「否」とは断れないのだ。
まさしく百瀬は闇の道を歩んでいた。
「お休みになりたかったら、声をかけて下さい、よ……」
先生の暖かい手が頭に置かれるのを感じながら、百瀬はゆっくりと黒い世界の中心に意識をおいていった。
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