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蕾たち  作者: 風鈴
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日常

第1章





―――私は、ここを出れますか



蝶の羽音のようにか細い音が、私の鼓膜を揺らす。



―――ここを出て、何ができますか



例えどんな尊い名言も、今の彼女には何も届かない。

夢も希望も自由も……自身も知らぬ彼女には。





* * *



「天気はいいけど最近寒くなってきたわね」



言葉通り、昨日までの雷雲や雨風はどこへやら、カラリと晴れた今日は絶好の菜園巡り日和だ。


級友の声を受け流しつつ、彼女―――百瀬(ももせ)は蔓を愛でていた手を止める。



「そうね。でも、おかげで植物達は生き生きしているわ。多少風にやられた子達もいるけれど……」



言いながら体を縮こめて、傍らのちっこい苗を両手で持ち上げた。



「折角キレイに咲いていたのになぁ」



惜しむようにそう呟けど、級友の意見は違うらしい。



「自然に負けるのは生きる力が足りなかったからよ。草でも人でも大差ないわ。同情する余地なしね」



大和撫子を絵に描いたらこうなるのだろうと見る者全てに思わせる彼女は、なかなかシビアだ。腰まで垂らした黒髪は一つに束ねられ、猫のごとくつり上がった目尻が彼女を象徴している。



しかし、そうと納得出来ないのが百瀬である。




「草木にはとてつもないエネルギーが秘められているのよ?それをどうにか引き出せないものかしら」



「他人の心配する前に自身の心配なさいよ。研究所に残るっていうのは生半可な覚悟じゃあ浮かばれないわ」




まあ、相手は草なんだけれどね、なんて可愛い気のかけ方をしてくれるから百瀬は彼女と友でいられるのだ。



後半年で、百瀬らの学年は学舎を旅立つ。



生き残ると言ってしまえば大袈裟だが、そのくらいの気概を持たねば研究者への道は断たれてしまう。



来年からは念願の医院機関で働くことが既に決まっている彼女は、荒波などにあったこともなさそうなぽんやりした級友を彼女なりに心配している。



百瀬がお礼など言おうものなら全力で否定し、面白がって見ているだけだとむきになるだろうが。




「……それもそうね。出来ることは、やり尽くさなければ」



ふと空を見上げると、青い空の中を飛行機が泳いでいた。








「―――では、今日の講議はここまで。明日までにレポートを書き上げてきなさい」



言うやいなや、ガタガタと机やら椅子やら意味もなく音を響かせ学生らはランチタイムへ突入する。



教授もなれた様子でこちらを一瞥もせず去るのはいかがかと考えてしまうが、これが大学のありようだ。改善すべき点は見直されても直接的な害がない限り、より良い学舎を目指す策などありはしない。




「百瀬、お昼にしましょ。いつもの中庭でいいのよね」



えぇ、頷こうとした一瞬前だった。




「あぁ百瀬君、高中教授が時間が出来たら来なさいとおっしゃっていたよ」



しゃがれた声は先程まで講義をされていた年配の先生だ。さっさと行ってしまったと勝手に思っていたが。



百瀬は自然、溜め息を吐きたくなった。仕方あるまい、一日で最も楽しみな一時を引ったくられたのだから。




「……いつまでふて腐れているつもりよ。待っててはあげないけど行ってきなさい、高中ってことは確実に研究所の話でしょうよ」



そうなのだ、何を隠そう彼こそが生物・生態系の研究をなさっている先生様である。百瀬の今後を握っていると言っても過言でない。




「……あぁもう!どうしてこんな時にお呼びなのかしらっ。下らない用事なら噛みついてさしあげたいくらいだわ」



それでお先がパーになってもいいならね、などとのたまう級友が恨めしい。



後ろ髪を引かれつつも、百瀬は教室を後にした。







職員が集うこの棟は、いつ来ても流れる空気が重苦しく感じられる。



何かの道に目覚めた者達がまとう独特のオーラのせいかもしれない、そんなことを考えながら、百瀬は"変わり者"と大学内で称される高中教授のもとへと急いだ。



―――ゆとりの部屋



一風変わった表札のかかる、ごく普通の木材の扉の前。ノックをすれば、乾いた軽い音が響きもせずにただ鳴った。



―――コン、コン、コン




「教授、百瀬です。お呼びと聞き参りました、入ってよろしいですか?」




返事はない。しばらく待っていてもなんの反応もないまま、日差しのあたる窓際からちらりと外を覗き見てみた。



天気はいい、風も心地よい、しかし日陰は寒い。




級友の言葉が、実は今一番百瀬の華奢な体を貫いていた。




「"生きる力が足りなかった"……か、」




何気なく呟いてみたが、これが生命の究極を突いているように感じてならない。けれども、頭では理解していても心が腑に落ちないのだ。



それだけで済ましていいのだろうか、自問自答しようにも答えは出てこない。



誰かに問いただしたい気持ちも確かにあるが、探さなければならない使命感を拭えなかった。



百瀬は節々にこんな感覚を抱えることがあった。説明しようにも、これを口に表そうとすると喉に餅が詰まる思いをしてしまう。



故に、大切な級友にも相談したことはない。



もしかすると彼女も同じ感覚を持っているかもしれないが、迂闊に話して気味悪がられる可能性を否定できない限り、百瀬は口を閉ざす他ないのだ。



とにもかくにも、今すべきは教授の用を確認することだ。ぼんやりとしていた視界に気付くと百瀬は教授の私室の引き戸に手をかける。




「教授、失礼して入りますよ」




こんなに太陽が暖かく感じれる午後。昼寝が三度の飯より大好きな彼が起きている訳がなかったのだ。




―――ガララ




安物の引き戸が派手な騒音をたてながらも百瀬を迎いいれる。にも関わらず、洋風のこじんまりとした部屋の主はガーガーいびきをかき続けていた。



外出先から戻ったまま寝落ちしたのだろうか、外套をまとったまま顔にハットを被せ、器用にも座って夢の中。




「またですか」




慣れた手つきでその帽子をもぎ取ると、横に備えられた本棚へ帰してやる。そこがお帽子様の定位置だ。



続いて、こちらは既に定位置についた教授様。百瀬は顕になった彼の白髭をそっと摘まんでみた。そして、容赦なく引っ張りあげる。




「あっ、いでででで!」


「お務めご苦労様です先生。百瀬です、お呼びになったと聞きましたが」




髭が抜ける勢いにたまらず目覚めたモッサリとした彼。年は百瀬もはっきりとは知らないが、四十はとっくに過ぎているだろう。




「髭が抜けちまうっ、放してくれ!」


「あら、お目覚めになりました?」




パッと身軽に百瀬は体を捻る。先生は相当堪えたのか少々涙目になりつつ顎さすりさすり身を起こす。



教授に対しあんまりな態度ではあるが、百瀬も高中もこれが日常なのだ。




「やれやれ、久しぶりに会ったらこれかい。お転婆なのはもう変わらんのだろうねぇ、百瀬君は」


「何をおっしゃるんですか先生。三週間に渡る集会に行ってらした先生がお戻りになったのですから、熱烈な歓迎は必須ですよ」




君のそんな所を買っているのは確かだがね、一人言を呟いてもこの距離では聞こえない筈がない。百瀬は最上級の誉め言葉に、にんまりとした笑みで応えた。




「こんな節操もない態度も、先生にしか取れませんがね」




面白おかしく続けようとした話がただの皮肉に聞こえたことに、百瀬は知らず苦笑していた。




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