二、熱き血潮の冷めぬ間に(二)
曰く「昴機関」とは。
なおもて繚乱の一途をたどる大陸に、諸国連合こぞって植民地を形成しようとするこの時代にあって、その魔手がこの皇国に至るのはまったく当然の道理。先人の明によって、今でこそ亜細亜において唯一の近代的国家として覇を唱えてはいるが、しかしそれでも隙あらばいか様にも混乱させようと、日夜に渡って間諜は多数侵入し、機密漏洩から破壊工作にまで幅広く、活動しているのである。
これらを蟻の一穴とて漏らさずに発見、確保し、この皇都の治安を裏から守護する――それが、「昴機関」の現在任務である、らしい。
「――ということです。了解して頂けましたか」
「ははあ、まあ大体解りましたが、でも一体どうしてそんな特務部隊に、俺が? だいたい近衛軍直轄だって言うのなら、それは真面目に訓練された軍人ばかりなんでは……」
一夜明けて四畳半、ふらふらと帰って来た下宿屋にて爆睡していた俺を、大音声のノックが目覚めさせた。時刻は午前十時半、普段からよく眠る俺にとって、昨夜からの疲労は未だ解消されていない。
面倒くさがって返事をせずにいると、そのうち部屋の扉はどかんと激しく打ち破られた。もとより鍵はかかっていないので、そう乱暴にする必要もないのだが。そう説明しようと立ち上がったところで、来客者がいやに瀟洒な娘であることに気付く。白黒の使用人服に、妙に丁寧な物腰……。
「おはようございます、雀ヶ森さん。昨日もお会いしましたね」
「『昴機関』の……」
「その名前はあまり大きな声で呼んではなりません。私の名前は宍喰零子、ぜろちゃんと覚えていただきます」
すうと部屋に滑り込んで、ぺたりと零子は座り込んだ。
「……この家は、来客に茶も出さないのですね」
嫌味な娘だった。
仕方がないので零子を置き去りに共同給湯室へ歩いてゆき、ついでに顔を洗って歯を磨き、出がらしの煎茶を淹れた急須を持って帰る。
「で、どうしたんですか? 一体」
「結局昨夜にはましな説明ができませんでしたので、本来ならば現機関長の呂畑が足を運ぶべきところ、多忙にて参ずることあたわず、しかるに私が用向きを拝領しました」
「はあ」
まじまじと零子は俺を見た。ただでさえうらぶれた四畳半の小部屋、二年の浪人生活ですっかり貧乏暮らしに適応した俺は、そうまっすぐ眺めて素敵な顔をしているわけではない。それを何か特殊な生物を観察するような視線で、じっくりと見据える零子の瞳はかなり目つきの悪い三白眼だ。少々乙女的に切りそろえられた黒髪と、あまり似合っていない。
「なぜ自分が……とお思いでしょうが、それは私も同じです。私も一年前のある日に突然召集令状を受けました」
「召集令状?」
「いわゆる赤紙です。が、私は見ての通り兵役義務がある男ではありませんので……困惑しておりましたところ、直接、呂畑機関長が来られまして。簡単な試験の後、入隊しました」
「試験」
「はい。あなたの受けたものと同じ、葉書を運ぶ試験です」
ずずと、零子は茶をすする。
「まずい」
「そりゃすいませんね。ところで、あの葉書は結局なんなんです? 今もってさっぱりわからない」
呂畑機関長の説明は、まったく意味不明であった。
「あの特殊隠蔽用紙は、実はとある能力のある人間にだけ使用できるものなのです。その能力というのがなんなのか、お見せしましょう」
零子は小さな首飾を懐から取り出して、それを軽くちゃぶ台に落とした。すると瞬間的にちゃぶ台が恐ろしい音を立ててきしみ、歪んで、二秒ほどめきめきと鳴きながら、首飾に吸い込まれてゆく。
「ふぁあ?」
五秒後にはすっかり、そこにはなにもなくなっていた。
「私の能力は――このように、なんでも吸い込むものです。知る人はこれを『墜景』なんて呼びますが……」
「ちょっちょっちょっとまった。どういうことだかわからんのですが」
「端的に言ってしまえば、いわゆる超能力者です。私も呂畑も棺野も降幡も、そしてあなたも。正確には降幡は超感覚者ですが」
「……」
なにが出てきても驚くまいと、昨夜から腹は据わっていた。しかしこれは……かなり予想外。完全にノーマークの事態である。
「……煙草吸っていいですが」
「おかまいなく」
俺は仕方がないので、とりあえず煙草に火をつけた。すると零子もおもむろに紙巻き煙草をポケットから出し、細身の燐寸を擦る。
しばらく二人とも黙り込んだ。
「あの……」
「なんでしょう」
「俺、今まで生きてきてそういう、超能力とか出したことは一度もないんですが」
活動映画や小説にはよく登場する、異能の超人。それが超能力者ではないのか。そういう連中は(物語の中では)馬鹿みたいに力があったり、触れずして車を吹きとばしたりするが、はたしてそういう能力が俺にもあるというのだろうか。
「問題ありません。すべては適性によるものですから。つまりあの葉書の試験は、その適性を見る試験だったのです」
「字を浮かばせる能力があるか、ってことですか」
「そうではありませんが……つまり身体には微弱な電流が流れておりまして、この電流に何らかの意思因子が電圧を変化させて――ああ、実は私も細やかな部分はよくわかっていないのです。すべては陸軍の司令部にて説明がありますよ」
「陸軍……」
「というわけで出立します。準備はよいですね」
「ええ! そんなに急に?」
「無論です。急ぐに越したことはありません」
「とはいってもホラ、親連中に連絡とか」
零子は煙草をもみ消して、脅すような声音を出した。
「そういう暇はありません。あなたが『昴機関』に接触したことは、既に『青陵公司』にも、『第三部機関』にも割れています。連中にとっては、無自覚の機関員なぞ殺害になんの造作もありませんから――失礼ながら昨夜からずっと、見張りはいたしておりました」
「……」
ともかくここにいては危険だ、と零子が急かすので、俺は着の身着のまま外へ出て、編み上げの革靴を履き込んだ。
「さ、行きましょう」
言うなりに零子はどこからか巨大な発動二輪を引きずってきており、それにまたがって発動機が唸りだすと、俺はまったく不思議な既視感を感じるのだった。