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一、かくて壇上に上がりしは(三)

 電気ブラン水割り、五杯目。

 赤玉ポート、三杯目。

 バカルディ、四杯目。

 その他諸諸のアルコール、計数不能。

 歓声によって迎えられた俺は、矢継ぎ早に杯を進められ――わけもわからないままに、がぶがぶとグラスを空けた。

 もともとそこまで酒に強くはない俺である。最初こそ固辞していたが(それこそ帰れなくなってしまうし、だいたいこの正体不明な団体のさなかで泥酔撃沈は、あまりにも不用心な振る舞いだ)、強くはなくとも嫌いではないので、だいぶ心がぐらつく。

「おめでとうおめでとう、君もこれから我等の仲間ゆえ、何も遠慮はいらんのだぞ!」

「そうは言われましてもですね……どうなってるのかさっぱり」

 テーブルから移ってきた海軍将校が、恐ろしく響く声でがなった。

「どうもこうも説明など後でよろしい! 一睡の酔夢はるかに茫茫として、つまりとにかく飲むがよい! 飲むがよいのだ! おい界風、ラムだ、ラムを出せ」

 店主があきれるほどに巨大なボトルをカウンタアに引きずりだすと、海軍将校はまるで清水でも汲むがごとくにざばざばとグラスに注ぐ。

「とまれ乾杯! 新たなる同士に!」

「乾杯」

 いつの間にか隣に書生風男が座っていて、俺に差し出されたグラスを空けていた。

「まあ……混乱するのも仕方あるまいが、ま、ともかく飲みなさい。そういうものだから」

 仕方がないので俺もラム酒をぐびりと飲み下す。甘ったるい独特のにおいが悪魔的である。

「君は雀ヶスズガモリ君とか言ったかな? 私は降幡フルハタという。よろしく」

 書生男――降幡が言うなり、また海軍将校ががなった。

「俺は棺野カンノだ。棺野直志、所属は……ああ、軍機に触れる。これ以上は聞くな」

「見れば海軍サンだって直ぐわかるがね」

 降幡はもう三杯目を空けた。

「海軍にもいろいろあるだろうが! ともかく、『昴機関』の一員とて、おいそれと身元を語るわけにはいかんのだ。察してくれ」

 俺のグラスが空なのを見て、なんの間髪も入れずに店主がラムを注ぐ。カイゼル髭が禿頭に映えて恐ろしい男である。まるで海坊主のようだ。

「そして私が、この『六連星』のマスターだ。呂畑界風ろばたかいふうと言う。ともかく飲みたまえ。じきにすべてを話そう」

「はあ、いただきます」

 一種の緊張状態から解放されて、さりとて気を許すというわけにもいかず、俺はひたすら飲むことにする。海軍将校の棺野は俺の頭越しに降幡と、なにやらわけのワカラン話に興じ始めた。

「だいたい貴様、その蓬髪はなんだ。毎度毎度言うようだが、皇国男児ならまずは短髪だ。軟弱にブンガク気取り染みた風体で、恥を知れ!」

「ふん、それこそ脳味噌まで軽油航空燃料でたぷたぷの軍人に言われたくはないね。だいたい何を聞いてもお前さん、軍機軍機でさっぱり語らんではないか。そうやって秘密を抱えて歩いているのは、明朗快活が売り文句の海軍サン的に、かなり駄目駄目じゃあないのか?」

「口ばかり回って、まったく心技体が充実しておらんな。精神注入棒があれば、貴様の腐った性根を今すぐ叩き直してやるが……」

「潮臭い海軍精神なんぞ、たといバーボン割りでも御免だ」

「なんだと! 貴様いい根性だな、表でやるか」

 対してテーブル席の陸軍将校は、さっきから黙りこくって静かにうつむいている。カウンタアの奥に座る使用人姿の娘は、丸い大きな眼鏡を拭きながら、やはり黙っていた。うるさいのはこの一角だけだ。

 があがあと騒ぎ立てる二人の話を聞き流しつつ、俺はいつの間にかかなりの酒を飲んでいたらしい。なにせ二人とも会話に熱中しているかと思えば、俺のグラスが空き次第にさっとそつなく次の酒を用意する。半ば自棄になっていた俺は片端からそれを飲む。おかげで、既に店に入ってからどれほど時間が経ったのか、そもそも何のためにここに来たのか、それさえあやふやになってきていた。

「も……もう限界です。店主さんなにか、なにか冷たいものを……」

 俺の顔色が灰のような色身を帯びているのを見た店主は、静かに冷珈を突きだした。

 それをちびちび飲みながら、俺は煙草に火をつける。ともかく聞くべきことを聞かねばならんと、不意に思い出した。

「……で、結局なんなんです。その『昴機関すばるきかん』ってぇのは」

 急に、降幡と棺野が黙った。おかげで嫌な雰囲気の沈黙が、カフェー全体に満ちる。

「月岡さんには何も聞いてないよな?」

 大家はひたすら思わせぶりだっただけである。

「何も」

 店主は神妙な顔をして、すっかり忘れかけていた先ほどの葉書を取り出した。

「――この葉書は。ただの葉書ではない」

 それはわかっている。あぶり出しのごとく文字が浮かぶ葉書などあるものか。

「ある特殊な薬品で文字を書く。その薬品は無色透明でにおいも味をしないし、普通の紙の上では水と同じだ。だが……この葉書、これは陸軍が開発したものだが、この『八十式特殊隠蔽要紙』に薬品が浸透した時、ある作用が発生する」

 喋りながら、店主は別の紙と、小さなビンを取り出した。紙は真っ白で、ビンには透明な液体が少し入っている。

「ま、百聞は一見に如かず。とかくこれを見ていたまえ」

 店主はおもむろにビンを開けると、小指で液体をすくい取り、さらさらと紙に何かを書きつけた。無論読めない。しかし、店主が指を離した瞬間――まるで紙の裏から染み出すように、真っ黒な文字が現れた。

「昴機関」と書いてある。

「我々『昴機関』に集められた面々は、能力の違いこそあれど、必ずこの用紙に書かれた文字を浮かび上がらせることができるのだよ。だから君が持ってきたこの葉書に、月岡さんの文字が表れたということは……」

「雀ヶ森君に、この皇国近衛軍直轄、特殊工作戦闘部隊。『昴機関』への入隊が認められた、ということになるわけだな」

 棺野が真面目な顔をして言った。

「……は?」

 近衛軍直轄? 特殊工作?

 どういうことであろうか。

「ここから先を聞くならば、君の拒否権は失われる。これは皇国の絶対的機密に関わる情報だからだ。話だけ聞いて逃げようなどと思ってはならない――この拳銃には、実弾が八発入っている」

「だから今までの酒は、新たなる『昴機関』入隊者へのささやかな歓迎であり、なおかつ君のまともな能力を奪うためでもあった、ということなんだねえ」

 降幡の声音も冷たい。

「さあ、どうする。ここから先を聞くならば、場所を移さねばならんが……」

 酔いと奇妙な現実に、いよいよ脳味噌が止まりかけていた俺はまるで思考が追いつかない。

「ま、待ってください。そんな急に言われても――」

「とにかく判断しろ。その答えもまた、ひとつの真理なのだ」

 黙っていた陸軍将校が急に口を開いて、俺の眼をじっと見据えた。

 そこでなぜだか腹が据わった。

「……わかりました。聞かせてもらいましょう――何もかも」


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