六、干戈混じゆる幾星霜(二)
「お、お久しぶりです……」
自然、身体が堅くなる俺である。
「うむ、今ようやく舞鶴から戻ったところだ」
す、と前髪を直し、棺野は真っ白な軍服の襟を正した。
「今のはいったい、なんなんですか」
「今の? ああ、それは着陸地点にいた奴が悪いのだ。まったくなっとらんな」
なんでもないように言う。
棺野直志、「昴機関」の一員にして、俺の(体力面での)鬼教官である。一見すればただの四角四面な海軍将校、しかし彼が「昴機関」に籍を置いている理由は、並はずれた頑強な肉体――「無限蝙蝠」の識別名を誇る、無敵の狂戦士だからである。
つまり今、棺野は上空を飛行する戦闘機から、落下傘どころか命綱もなく、ただ単身飛び降りてきたのだ。
その逸話だけは聞いていたが、しかし現実に目の当たりにすると、あの夏の猛訓練でさえ、彼にとっては手を抜いていたのだとわかる。
零子の言う援軍とは、航空隊のことなんかじゃなかったのだ。
「なにをぼんやりしておるか? 見ろ! まだまだ敵は尽きんぞ!」
指差す方を見れば、まさに広場の異変を察知した駅構内の工作員たちが、わらわらと飛び出してきたところであった。
後方にいるはずの月岡中佐のことも気になるが、ともかくはこの有象無象を一掃せねばならない。しかしそう気合いを入れたか入れないかというところで――。
「うおりゃあああああッ!」
砲弾のごとき破壊力で突撃した棺野のただの体当たりによって、人垣は端から崩れ去ってゆく。
負けじと俺も駆け寄って、幾発かの弾丸を叩き込む。だがしかし、さすがは「無限蝙蝠」。俺の手伝いなど意にも介さず、またたく間に立ちふさがる敵は消滅した。その足元には累々と、打ち倒された工作員たちのうめきが満ちている。
「朝一にこんな仕事とは、まったく軍人というのは因果なものだな」
「……はあ」
強すぎる。
「貴様だけか? 戦っているのは」
「いや、後ろに月岡中佐が……」
と言いつつ、俺は振り向いた。しかしそこには誰もいない。
「あれ?」
眼を離してほんの数分。確実にさっきまで、すぐそこで二人は打ち合っていた。
「……本当にいたのか?」
疑わしげな顔を作って、棺野は顎に手をやる。
「本当ですよ――どういうことなのか」
考えられるのは、相手の男が――「能力者」であった、可能性。既にさまざまな可能性が、「能力」には秘められることを俺は知っている。だから敵の力がどういったものなのかは定かならない。だが、姿を消した、というのは――不可解である。
「ともかく向こうの、零子の援護に向かわなくては。月岡中佐なら、たといどうなっても死にはすまい」
「そうは言っても、どうなってるかわからんですよ。助けるべきでは?」
「――俺は月岡中佐とは長い付き合いだ。あの人の心配はするだけ無駄なのだ。だから行くぞ。ほら、走れ!」
「……はい」
棺野は素早く駆けていく。俺はそれを追いかけながら、ひとまずは自分の敵に専念することにした。
――皇都駅は、この皇国でも随一の巨大さを誇る駅である。その西洋風の建築は、随所に大理石と赤煉瓦を配した近代的なそれであり、玄関ホールの広さはそれこそ、月岡中佐の下宿くらいは優に入ってしまいそうなほどだ。
天井の色硝子から、朝日がこぼれるように降っている。それ自体は平和そのもの。そして、ホールも静まり返っていた。
「敵が、いませんね」
てっきり広場以上の攻撃を想像していた俺は、一歩足を踏み入れて驚く。
「恐らく、この正面に配置されていたのはあれがすべてだったのだろう。もちろん動員数を考えれば、後方にはもっと大量の敵が回っているはずだが――青陵公司も、この計画に二正面作戦をとれるほどの抵抗を、我々が示してくるとは考えていなかったのだろう」
「なるほど」
この爆破作戦は奇襲である。しかも情報漏洩は昨日の晩遅くだ。たとい「昴機関」が兵力を動員できても、所詮は一方向からの短期戦闘――と、相手は考えたのだろう。
実際これほど圧倒的に、我々が敵を蹴散らせるとは俺自身、考えてはいなかった。
零子のほうがどうなっているのか、それはわからないのだが。
「作戦はどうなってる?」
「俺たち正面突破組は、南側の空中回廊へ回ることにしています」
そうか、と棺野は頷き、そして北側へ向かって走り出した。
「ちょっと、そっちは違いますよ!」
「零子の援護へ俺は行く! もともとの作戦通り、お前は月岡中佐と合流して南側へ向かえ!」
瞬きをする間もなく、棺野は通路の先へ姿を消した。
「嵐のような人だな。まったく」
とまれ、ここに月岡中佐がいないことを除けば、おおむね作戦通りではある。
「……無事でいてくださいよ。月岡さん」
ひとりごちて、棺野とは反対側へ俺は歩きだす。右手には拳銃を油断なく構え、すり足でできるだけ、足音を立てぬように。
爆弾の護衛が、必ずいるはずだからだ。
数十メートル進んだところで、通路はホールを出て、大きな階段に変わる。この階段の上が、目指す南側空中回廊であった。
「……」
ひっそりと大理石の柱に隠れ、俺は顔だけを階段にのぞかせた。
――誰の影も見えはしない。
「大丈夫そう……かな」
身を乗り出そうとした時、初めてその階段上のものに気付く。
「……なんて連中だ」
最上段の階段に、恐らくは弾薬箱であろう木箱が積み重ねられている。それだけでも突破の邪魔であるが、さらにその真ん中に、陣地防衛用の重機関銃が三脚に乗って、据えられていた。裏には必ず機関銃手がいるだろう。
「まるで戦場じゃないか。あんな陣地なんて作りやがって」
この計画がどんな手順で練り上げられたのかはわからないが、早朝の駅構内に素早く陣地工作まで行ってしまうとは――いったいどこまで彼らは凶悪なのか。
(この分じゃ、無辜の駅員はみんな……)
だが、考えるだけ無意味である。
普通なら、こんな状況に対して正面突破はありえない。あっという間に穴だらけ、息をする間もないだろう。けれど俺には「十万億土」がある。重機関銃ごときは、訓練で散々に食らっている。
一呼吸をして飛びだした。
途端に、弾薬箱の影にいた工作員たちが一斉に撃ってくる。重機関銃にも一人がとりつき、あたりはあっという間に銃弾と炸裂音の嵐のようになった。
背後の壁がみるみるうちに砕けていくのを横目に、俺はともかく階段を駆け上がる。二呼吸目に移る前に、懐から手榴弾を三個、片手で取り出した。その間にもびすびすと銃弾が俺の身体に撃ちこまれるが、毛ほどの痛みもありはしない。
「食らいやがれッ」
かがんで床に信管を叩きつけ、三つとも一緒に投げ込んだ。そのまま前転、階段に伏せて四秒を待つ。
「四……三……二……一!」
耳をつんざく大轟音。爆炎こそ上がらないが、脳を直接揺さぶられたかのような衝撃。
眼をしばたかせつつ立ちあがって、木箱の山を乗り越える。
「てめえッ!」
青龍刀が肩を打った。この爆破の生き残りがいたとは驚きだ。
「――効かねえや」
「十万億土」は刃物も弾く。
顔をゆがめた敵に向かって拳銃を突きつけ、俺は語気を荒めた。
「……おい、肝心の爆弾の場所、教えてもらおうか」
ひやり、と。
なぜか冷や汗が首を伝う。反射的に飛び退った。それが正解だったのだろう、青龍刀を構えた男の顔面が、ばくりと割れるのを俺は見た。
(刃物ッ……暗器か……?)
「そういうものではない」
暗い声がした。手榴弾の破片と、工作員の身体だけが転がる空中回廊の真ん中から、その音は響く。
「流石は『昴機関』、こんな人手を割いたところで、まるで意に介さないね」
「――お前は?」
す、と歩み寄るその男。背は高く、漆黒の中国服に身を包んでいる。
「『四凶』――『食人の饕餮』。以降お見知り置きを」
全身の毛孔が逆立つ中で、男は静かに頭を下げた。