六、干戈混じゆる幾星霜
戦闘機隊の攻撃から数十秒後、俺と月岡中佐は皇都駅前広場に到着していた。白い朝日に照らされた幾何学的な模様のタイルがきらきらと光っていたが、それは朝露のせいだけではなく、機銃掃射を受けて負傷した青陵公司の工作員の血が流れたせいでもあった。
そこかしこでうめき声を上げる、一見すれば一般人に見える人々。しかし戦闘機が普通市民に弾丸を当てることがなかったのは、彼らが手に手に黒い機関拳銃を構えているからだ。
「ふん、中央広場に二十人ちょっとか……予想より敵は多いな、雀ヶ森君」
月岡中佐がかつかつと、軍靴の音も高く石畳をゆく。
「ここだけでこの人数なら、そうですね。駅にはこの倍くらいでしょうか」
「いや、反対側の広場も考えれば三倍だな。零子君たちは厳しい戦いをしているだろう」
先行した零子と冥冥は、駅反対の広場から東側の空中回廊を狙っている。彼女らに航空支援はなかったが、しかし奇襲を行った以上、駅に突入することが不可能なほどの抵抗はなかっただろう。
「こっちには能力者が二人もいるんだ。ちょっとはあの娘らを手伝おうか」
「どういうことです?」
俺は言葉の意味がわからない。
「――こういうことさ」
瞬間、広場の空気が陽炎のごとく歪んだ。物陰で空を見上げていた工作員も、何事が起きたのか把握できていない市民も、それぞれが見えない手のひらに押しつけられたかのように、突然がくりと膝を落とす。
「『白色電光』は便利な能力でね。こうしているだけで、生き残り共は全員戦闘不能だ」
「で、でも一般市民まで……」
「大丈夫、死にはしないから」
どうやら月岡中佐の能力は、人間ひとりひとりを的確に狙えるほどに精度の高いものではないらしい。しかし同時に、彼女がそこに立っているというだけのことで、広場の動きは完全に停止してしまった。
「君、なにをぼさっとしてるんだ。早く撃たないか」
急かされて、俺は拳銃をひとりの工作員に向ける。何が起こっているのかわからないといった表情の男は、こちらを向いてぱくぱくと口を動かした。
――さすがにここで殺すのは、それこそ虫をつぶすようなものだ。
俺は一瞬迷って、男の右ひざを撃ち抜く。
「命中。上手いな」
なんでもないように月岡中佐は言いながら、這い寄って来た別の工作員を軍刀で払いのけた。
「……おや、骨のある奴がいるじゃあないか」
見れば、一様に身体を伏せる人々の中に、ひとりこちらを仁王立ちして見つめる男がいる。「白色電光」による重力操作など気にもしていないのか、どっしりと覇気を伴っていた。
その男、見覚えこそはないが――腰に挿した巨大な青龍刀といい、直視できないほどの眼光といい、まさしくこの場の指揮官に違いない。
「あれはアタシがやろう」
月岡中佐が言うなり、男は動いた。通常の数倍の圧力がかかる中で、ひらりと瞬時に跳躍する。
「――『昴機関』、か」
口を開いた男の襟には、うねる龍の金刺繍が光っていた。どうやら指揮官階級のようだ。
「君、先に行っておいてくれ」
「ちょ、ちょっと待ってくださ……」
俺の言葉を聞き終わらぬまま、月岡中佐は軍刀をきらめかせて男に正対する。
「ほほう、女とはいえこれほどの符術――なるほど只者ではあるまいな。名は?」
「こういう時には殿方から名乗るものだろう? この国じゃあ神代の昔からそう決まってるんだ」
男は青龍刀を抜き放った。
「青陵公司、特務二課――馬麟」
「近衛軍中佐、月岡だ。特務二課ってことは、今回は本国からの増援かな?」
「要らぬ詮索は無用なり」
そのまま一気に男――馬麟は間合いを詰める。勢いを保ったまま、斬撃はまっすぐに月岡中佐の首筋を狙った。
が、それより数瞬早く月岡中佐は身体を深く沈める。馬麟の空いた胴に、一閃の太刀筋が光った。
斬った、と思ったその意識とは裏腹に、馬麟は青龍刀を立ててこれを受ける。
ぎん、と鈍い音がした。
「……ぼおっとしてるんじゃないぞ雀ヶ森君、前を見なくちゃ」
呟くように言う声に気を取り戻し、俺は意識をようやく正面に戻した。それと同時に無数の炸裂音が響く。月岡中佐の一騎撃ちによって、一時的にせよ「白色電光」が弱まっていたのだ。
立ち上がった敵の一群はまさしく俺の真正面、駅の玄関から一気に機関拳銃の連射を浴びせる。
全身に炸裂する弾丸の感触を覚えながら、俺は駆け出した。
「そんなもんじゃあ、俺は死なんぞ!」
怒声を上げて突っ走る。硝煙を身にまとって突っ込む姿は、我ながら悪鬼のごときそれであろう。
たちまちのうちに敵集団に到達すると、手元の拳銃を狙いもつけずに撃ちまくる。ここまで距離が近ければ嫌でも当たる。幾人かの工作員が声も立てずに倒れ込んだ。
「ようしッ」
立ち尽くす数人を銃床で殴りつけ、なおも行く手を阻む敵には膝蹴りを御見舞だ。
眼の前にはもう誰もいない。
「月岡中佐ァ! 突破しました!」
と、意気揚々と叫んだ時、視界の隅にちらりと写った残存の工作員が、俺に真っ直ぐ巨大な砲を構えるのが見えた。
「ス、迫撃砲か! あんなものまで持ってやがるのか……ッ」
迫撃砲は普通、人間ひとりに向けて撃つものではない。威力が大きすぎるのだ。着弾と同時に大轟音を上げて爆発する擲弾を発射するもので、対戦車や陣地攻撃のためのものである。
そんなものの直撃は、さすがの俺といっても無傷で済むかどうか――わからない。
なんとか避けようか。しかし既にこちらを真っ直ぐ向いた砲の暗い穴は、すぐにでもその凶悪な弾頭を撃ちだすだろう。
思考する間もなく、俺は奇妙な冷静さを感じながらそちらに焦点を合わせた。
「うおおおおおおおおおおおおおおっ」
突然耳をつんざく猛り声が轟く。その瞬間に眼前の砲手がけし飛んだ。
「……え?」
上空の戦闘機が、爆弾でも投下したのかと思った。しかし、そうであるならば、すさまじい閃光と爆炎が、直近の俺をなんの猶予もなく打ち倒しているはずだ。だが現実には、もうもうと立ち上る土埃と、落下物の衝撃でぶち割れた敷石が飛散するだけである。
「まさか……」
一陣の風が埃を飛ばし、ようやくうっすらと視界が晴れたころ。
その中心に、ひとりの男が立っているのがわかった。
「……棺野小尉!」
「久しぶりだな! 鍛錬は続けておるか!?」
にっこりと白い歯を見せつけたのは、「無限蝙蝠」棺野直志その人であった。