五、花も嵐も踏み越えて(四)
薄明の皇都は、どこか青白い光につつまれている。
そこかしこに立つ瓦斯燈の明かりも、その夜の役目を終えてぼんやりとほうけたような光を放つばかりだ。
その中を遠雷のような響きを伴って走るのは、二台の発動二輪である。
一見すれば夜明けの遠乗に思えるかもしれないが、しかし片やハンドルを握るのは、場違いな使用人服に身を包んだ少女、もう一台には軍服姿の妙齢美人。さらにそれぞれには相乗して、とっぽい書生風の男、そして人民服もどきの中国娘であった。
荷台にはなにやら巨大な木箱に、無造作にくくりつけられた機関銃。
木箱には「陸軍工廠」と印字されている。
「そろそろ、七条です」
零子が声を張って、隣を走る月岡中佐に叫んだ。
月岡中佐は無言でうなづいて、大通りから細い小道へハンドルを切る。
しばらく発動機のうなりが古びた町屋の軒先に反響したが、やがて宅地はまばらになり、巨大な倉庫ばかりが立ち並ぶ工場地域へ入りこんだ。ここにも人影はない。その中のひとつ、波板造りのがらんとした建物に横付けして、零子は座席を下りた。
がらがらと無機質な音をたてて、鉄扉が巻き上げられる。周囲を注意深く見まわして、零子が素早く倉庫に滑り込み、そこへ月岡中佐と冥冥は発動機を回したまま入っていった。俺もそれに続いて、零子の発動二輪を押す。
背後で鉄扉が閉まる。
倉庫の中は暗く、遠くの曇った硝子窓から射す光も弱弱しい。
「雀ヶ森さん、そのへんに停めといてください」
零子の声がどこからかして、同時にぱちんと頭上の照明燈が点灯した。
「……これは……」
照明に照らし出された倉庫の中身に、俺は愕然とする。
「見ればわかるだろうが?」
月岡中佐は無造作に背伸びをした。
――視界いっぱい、倉庫中に転がっているのは、およそ想像のつく限りの、兵器、銃器、武器の数々であった。足元に単発小銃の束があるかと思えば、旧式の回転式機関砲が隣に山積みになって、奥には野戦砲とおぼしき、車輪付きの巨大な口径の大砲が何台も見える。壁に長槍や薙刀、長巻が立て懸けられ、それらの隙間を埋めるように並んだ木箱の中身も、恐らくは小型の火器や爆薬の類でいっぱいだろう。
「吃椋だなオイ、ここは秘密倉庫か?」
冥冥が興味津津に木箱のひとつを蹴り開けると、中には新品の拳銃がぎっしり詰まっていた。
「その通り、ここは『昴機関』の秘密基地のひとつ。接収武装の保管庫です」
零子も、武器の山をあさりながら答えた。
「なるほど、つまりこれ全部、もともとは敵のものですか」
「そういうことです――私達は武器などなくとも戦えますが、しかし冥冥さんもいることですし、好きに持って行ってかまいません」
好きに持っていけ、と言われても。
まさか野戦砲をかついでいくわけにもいくまい。俺は適当な木箱を開けながら、胸元に吊った拳銃用の八粍弾を探して歩いた。
冥冥は嬉しそうに銃器をいじくり、月岡中佐はのんびり煙草を吸っている。
「――ぼちぼち準備できましたか? では、作戦についてです」
背筋を正して零子が言う。
「青陵公司は人数不明ですが、午前五時の計画ということで、人ごみに紛れる必要もなく、大人数であることが予想されます。そこで、我々は敵の各個撃破を考えるべきではなく、あくまで爆薬の発見とその無力化を目的とせねばなりません」
「零子さん、質問です」
俺は口を開いた。
「どうして青陵公司の連中は、こんな人気のない時間に破壊工作を計画しているんでしょうか? まだ始発が動くか動かないか、という時間ですよ」
冥冥がやれやれと馬鹿にした風に首を振る。
「破壊工作による混乱を求めるならば、被害は少ない方がいいんだよ。威嚇的な意味合いを持つものである以上――つまり、いつでも誰かの尻を吹きとばすことができるぞ、という脅しなんだから――人を殺せば素直に要求が通らなくなる、ということだぜ」
「ずばりそれで間違いないでしょう」
零子も頷いた。
「ともかく作戦は、爆弾の探索が中心になりますが――月岡中佐とも相談した結果、皇都駅は構造上、明らかに爆破に脆弱な部分が二か所、存在しています」
「おうい、こっちだ」
月岡中佐が手招きをする。見れば、いつの間にか拳銃の弾倉を組み合わせて、簡単な皇都駅の模型を構成していた。
「私が説明しよう。この駅は入り口が線路を挟んで二か所、南北にある。北側が烏丸口、南側が八条口だ。これを結ぶ連絡通路が、駅の東西両端に存在する」
こつこつ。と、二本の弾倉に挿し渡した弾倉を爪で叩く。
「この通路はいわゆる空中回廊だから、鉄骨造りだが足場はない。これがもしも崩落した場合――南北の交通は遮断され、線路も崩れて通行不能だ。少なくとも一週間は回復すまい。さらに最悪を想定するならば、待合所に停まる汽車も巻き込まれる。爆風によって溶けた鉄骨と瓦礫が降り注ぐんだ。汽車に乗った人間は全滅するだろう。ま、そこは早朝である以上、そう考える必要もないが」
「とすると、この二か所を二手で捜索する、ということですね」
しかし考えてみれば、二か所の要所を絞れるのならば、それを守る青陵公司もそこだけを重点的に守備すればよいはずだ。とすると、あえて戦力を分割する必要はないのかもしれない。
自分の言葉の間違いに気付いた俺だが、しかし月岡中佐は軽く頷いて煙草の灰を落とした。
「そうだ。私と君、零子君と冥冥君でそれぞれ組を作る。ああ、もちろん敵も集中して爆薬を守るだろうが――兵は拙速を尊ぶべし。孫子を引くまでもなく、なるべく早く勝負をつけるべきだからな。下手に手間取れば、狭い通路で挟み打ちに合い一網打尽。これが一番怖い」
「なるほど」
「まあ、『能力者』が三人もいるんだ。易々と負けはせんさ」
ぷかあ、と煙で輪っかを作り、月岡中佐は士官帽をかぶり直す。
「では、作戦開始。四半時後に八条口に集合だ。全員でのこのこ歩いていくわけにはいかんからな。分散していく」
俺を含めた三人が頷く。
「あ、そうだ零子君」
「なんでしょう?」
「舞鶴はいつ来るんだ。下手な間合で来られたらまずい」
「それが……よくわかりません。が、きっと海軍のことですから、五時と言ったら五時に来るでしょう」
「ふうん、なら調度いいかな」
零子が軽機関銃を背負い直した。
「では、行きましょうか冥冥さん」
冥冥は膝の埃を払い、立ち上がる。
「ふん、邪魔はしねーでくれよな」
「……あなたこそ」
なにやら険悪な雰囲気だったが、俺はともかく月岡中佐に向き直って、胸の拳銃を確かめた。
「準備できたかな? じゃ、行くぞ」
零子が先頭に立ち、鉄扉とは反対側の木戸を開いた。そこをくぐると、細い街路の向こうに、洋風の壮麗な皇都駅の姿が見える。
まずは零子と冥冥が走って、朝もやの中へ消えた。
月岡中佐はそれと反対へ、のんびり煙草を吸いつつ歩く。
「急がなくていいんですか?」
「ああ。舞鶴の援護もあるしな。きっと奇襲になるさ」
いまいち意味がわからなかった。
「援護って、よくて海軍の陸戦隊でしょう? それこそ間合がばらばらにずれますよ」
「そう気にせんでいいさ――それより君、なんだか軍人が板についたな」
俺は少しはにかんでしまう。
「そ、そうですか? いやあ、半年前までただの浪人生だったんですがねえ」
「それがいいことかは、わからんがな」
俺も余裕をもって、煙草を吸うことにした。
燐寸を擦りながら、ふと疑問が浮かぶ。
「そういえば、月岡さんはあの最初の日、なんだか意味深なことを言ってませんでしたっけ? 空に飛行機以外のものが飛ぶ、とかなんとか」
月岡中佐はにんまり笑う。
「ああ……まだ、なにも見ないか?」
「何がですか?」
「空に、だよ」
「雲と、鳥と、星くらいですかね」
鼻を鳴らして、月岡中佐は煙草を捨てた。
「ま、じきわかるだろう。それより、あれを見ろ」
北の空の一点を指差す。
「なんですか……?」
それは青白む空にぽつりと浮かんだ、しみのような黒い影だった。じっと眼で追っているうちに、それは段々と近づいてきて、三ついることがわかる。
「あ、まさか援軍って……」
「そのまさか、だったな」
影はすさまじい速度で進んできた。もうそれがなんなのか、言われなくともわかる。朝の静寂を引き裂いて、発動二輪とは比べ物にならないほどの大爆音が響いた。
「海軍の、戦闘機隊か」
その時調度、比叡山の向こうから昇った太陽が、さっと視界を明るく染めた。高度五百メートルあたりを飛行する戦闘機は、二枚の破風張りの主翼を真っ白に塗り分けて、その両端の赤い日の丸が鮮やかだ。
三機の複葉戦闘機は、皇都駅上空まで到達したかと思うと、そのままくるりと半回転して、ほとんど落下するかのごとく突っ込んでいく。それに合わせて、乾いた銃声が響き始めた。青陵公司が気付いたのだ。
しかし戦闘機隊は銃声を無視して、そのまま機首の機関銃を撃った。連続した橙色の閃光が吹きあがり、駅前操車場の石畳が砕ける音がする。
「さ、行くか。突入だ!」
月岡中佐が、腰の軍刀をすらりと抜いた。