五、花も嵐も踏み越えて(ニ)
「そういえば、自己紹介を忘れてたな。帝国近衛軍特務中佐、月岡牡丹だ。ゆえあって諜報部直轄の『昴機関』を立ち上げたが、もう隠居している」
月岡さん――月岡中佐は、のんきに煙草をぷかぷか吹かした。
「ははあ、結構偉いのですねえ」
「雀ヶ森さん、仮にも上官の前ですから、敬語を」
零子に怒られた。そういえば、俺も一応階級を持っていたのだった。確か、近衛軍補給科二等兵卒だったか。
「二等兵が中佐様に対してタメ口利くってぇのは、これが本物の軍隊ならとんでもないことだな。良くて重営倉一カ月、悪くて――おほん、まあどうでもいいか」
咳払いをして、御茶をすする。
俺も煙草を吸いこんだ。
だいたい、もとより女性なんているはずもないのが軍隊である。零子や鶇美のように、「能力者」として入隊したのだろうか?
現在この帝国に、軍隊組織は三つある。一つは軍艦七十二隻を保有する帝国海軍。次に大陸展開中の帝国陸軍。この二つは開国当初の御一新以来のものだ。広く徴兵があり、成人男子のほとんどは、どちらかに所属したことがあるだろう。
ところが三つめ、近衛軍。これは前者二つに比べて謎が多い。これも開国以来の軍隊で、目的は帝国皇室の身辺警護と治安維持がある。治安と言っても犯罪捜査をするわけではなく(それは警吏の仕事だ)、もっぱら思想犯組織や政治犯をこっそり調査しているそうだ。いわゆる憲兵と言うと、解りやすいのだろう。
そういう組織であったから、近衛軍は徴兵された兵士を持たない。すべてが志願兵で、厳正な審査の元に召集された人間ばかりである。機密は漏らさないし、厳正な規律があると聞く。もしもうっかり秘密を漏らせば、これをその場で射殺することさえあるらしい。
なんて、およそ人ごとのように考えてはいるが。
「昴機関」はまさしくその下部組織であって、少々特殊ではあるが、そういう謎多き軍隊に俺は籍を置いているわけである。
そう思うとやや複雑だ。
ふと眼を移すと、冥冥が二丁の拳銃を取り出して、卓袱台の上で分解をしていた。自動式の珍しい種類のやつだ。
俺の視線に気づいて、冥冥は顔を上げる。
「ん、なんだい小日本人」
「いや、そんな銃は見たことないなあと思ってね」
「そうだろう? こいつは亜米利加製なんだ。公司の支給は露西亜のやつなんだが、これがちょっと吃驚するほど当たらん。だからわざわざ買ってもらったんだ。いいだろ?」
確かにいいものであるらしい。その威力は夏に、身をもって知っている。
「雀ヶ森さん、あまり敵と話してはいけません」
零子がちらりとこちらへ釘をさす。
「なんだよ馬鹿野郎、ちょっとくらいいいじゃあねえか」
ぶつぶつ言う冥冥はそれでも淀みなく螺子を緩め、巨大な遊底を引き抜いて、あっという間にいくつかの金属部品になった拳銃をながめた。
「やっぱりガタがくるのが速いな。大陸製の弾丸は強装すぎるのか?」
「何口径さ?」
「四十五口径。あんたらは八粍だっけ。段違いだぜ?」
「三粍くらいしか変わらないけど」
「笨蛋だな。食らうほうはそこで命が分かれるんだ。頭に血が上った筋肉野郎が飛びかかってくるんだから、きちんと一撃できめなけりゃどうしようもねえんだ」
まるで子供のように笑う。俺はなんだかいたたまれなくなった。
同世代であろうこの娘、きっと今まで数えきれないほどの死地をくぐって来たのだろう。そういう生き方もある、と言ってしまえばそれまでだが。
「――お前らの拳銃でも、モ式だっけ? あの銃把の小さいやつさ。あれはかなりいい線いってるよな。ありゃ独逸のだっけ? 公司もナガンなんてやめりゃあいいんだがなあ、どうしても赤軍が――」
なお嬉しそうに拳銃の話を続ける。それを遮って、月岡中佐が口を開いた。
「……そろそろ、明日の話でもしようかね」
背筋を伸ばして、零子が言う。
「既に了解されているとは思いますが、今は動員できる戦力がほとんどありません。どうされるのですか? まさか私と雀ヶ森さんと、月岡中佐だけですか」
「それから冥冥ちゃんかな」
どこ吹く風と月岡中佐は立ち上がり、赤い箪笥をごそごそとやり始めた。何をしているのかと思えば、出て来たのは金徽章もまぶしい士官帽である。
立てた小指でくるりと回して、そのまま被った。
「ま、現実的に四人で動くのは不可能だねえ。青陵公司の動員は少なく見積もっても二十人以上はいるだろう。おおっぴらには動けんとはいえ、腕が立つのばかり精鋭で来るはずだ。でも零子君? 賢い君ならもう援軍なんて呼んじゃってるんじゃないのかな?」
射すくめるような眼である。家賃が遅れたときなど、こういう常人離れした視線を月岡中佐は向けるのだ。それが軍人としての眼力だと、俺は今初めて知った。
「――陸軍は近々大陸で大きな作戦があるとかで、栗林中尉は動けません。ですが舞鶴と連絡がとれまして、遅くとも明朝五時には到着するとのことです」
舞鶴といえば確かに海軍の鎮守府がある町だが、ここから八十キロはある。しかも道中はすべて山道だ。発動二輪だってそう速くは来られないだろう。
俺の不可思議な視線に気づいて、零子はやや微笑んだ。珍しいことだ。
「心配せずとも、きっと頼りになるはずです。私の傭兵時代の貴重な伝手ですから」
「よ、傭兵時代?」
道理で軽機関銃を軽々振り回すわけだ(軽機というからには軽いと思いがちだが、弾倉含めて十五キロの重さがある)。
「――まあ、嘘ですけれど」
「……」
「あ、こっちにも内応者がいるぜ」
冥冥が手を挙げた。
「それも仕事の内だからな。とりあえず五人はこっちにつけられるはずだ。明日の作戦に出てくるかは、解らないけど」
「上上、上上だね君たち。それに比べて雀ヶ森よ。あんたは駄目駄目だなあ」
からからと笑われてしまった。
「……すいません」
「謝らなくてもいい。ある意味じゃあ、アタシがあんたの援軍と言えなくもないからね」
そこでパチリと電燈を消した。
「あと数時間しかないが、ともかく目途は立った。出来ることはもうない。今は少し休息をとるべきだな……では、おやすみ」
部屋を出ていく気配がした。月岡中佐は隣室に向かったようだ。
「では、俺も寝ます」
「……そうしてください」
土壁にもたれて、俺は眼を閉じた。
さて、明日は何が起こるのか――生きていられるのか。
それはわからない。