四、玉散る剣抜きつれて(三)
「やっほ、御閑―?」
扉を開けて、鶇美が顔を出した。
「すっごく、閑です」
「そりゃあ良かった。私も閑なんだ」
するりと部屋に滑り込む。
「ぜろちゃんは?」
俺は軽く首を振った。
「もう三時間も出てきません」
「あはは! そりゃあ、うん。あの娘は怖いからさあ。中国娘も縮みあがっちゃうでしょ」
「――あはは……」
俺が待機している部屋は、冥冥の部屋のすぐ隣。間取りは同じだが、調度の類は充実している。寝台に箪笥、低い卓。零子はあれきり何も言ってこないので、俺は寝台に座りこんで、ずっと煙草を吸っていた。
「そうだ、御茶でも淹れようか」
鶇美が壁の時計をちらと眺めながら言う。時刻はもう二十三時を回ったところだ。
「炊事場なんてあるんですか?」
「私の部屋――管理室にね。そろそろぜろちゃんも終わるだろうし……」
その時、なにやら「もがもが!」という鈍い音がして、壁がぐらぐらと揺れた。「ああ! 駄目ですそれだけは! ……簡便してください! なんだそれ? なんだそれッ!……あああああッ駄目駄目ッ ……ッっきゅん! ……うああああッ……」なんて、言葉にならないうめきが漏れ聞こえる。
「もうちょっとかかるかもね。じゃあ、二人分だ」
鶇美が出て行ってから、俺は寝台にひっくり返る。
果たして尋問が成功しているのか、ここからではさっぱりわからない。
特高警察でもあるまいし――爪を剥いだりとか、膝に縫い針を刺したりとか、そういう種類の拷問はしていないだろうけれど。
何が起こっているのだろうか。気にはなるが、あえて見に行こうとは思わない。
零子の台詞に従っておこう。
しかしさっきの声、ちょっと色っぽかったというか……なんというか……。
などと考えているうちに、扉が乱暴にノックされた。
「雀ヶ森さん……」
零子である。
「お、終わりましたか?」
「ええ。全部喋くりましたが……いやはや、骨が折れますねえ」
心なしか息が荒い。顔も上気して赤い。
「――大丈夫ですか?」
「ええ。でも少し疲れましたから、少しそこの寝台で横になります……あなたは、あの捕虜に水でもやってください」
ぱたり、と倒れ込んだ零子を置いて部屋を出る。
管理人室では鶇美がお湯を沸かしていたが、零子が出て来たことを知って、何故だか嫌そうな顔をした。
それを無視して、俺は杯に水を汲み、冥冥の部屋へと向かった。
「……入りますよ」
ノックしてから、部屋の主が縛られていたことを思い出す。一言声をかけて踏み入れた部屋、その様子はだいぶ様変わりしていた。
床も壁もびしょぬれ、何に使うのか想像できないような器具が散乱している。そしてその真ん中に、冥冥は仰向けに倒れていた。
軍服をはだけた、ちょっと正視に堪えない姿だ。
「おい、生きてるか!」
声をかけるとぴくぴく動く。意識はあるようだが、返事はない。
「あちゃ、これはひどいな」
いつの間にか背後に鶇美が立っており、ため息を漏らした。
「ったく、掃除する身にもなってほしいよね……」
そういう問題なのだろうか。
とりあえず水を置いて、俺は部屋に戻ることにする。
「――ということで、はい。了解です……え、すぐにですか? 増援は……」
隣では、零子がもう起き上がっていた。卓上にあった電話機で、恐らくは呂畑と通信している。
「増援は遅れる、はい……そうですか。了解です。任務に戻ります」
はああ、と長く息を吐く。
「どうしたんです? 尋問は上手く行きましたよね?」
煙草に火をつけながら、零子は俺を見つめた。
「大成功ですよ。もちろん。そういうのは得意ですからね。冥冥は元気そうですか?」
あれは元気とはいえまい。
「……どうでしょう」
「まあいいです。ちょいと弄れば小鳥みたいに啼き出しましたよ――ともかく、次の任務が入りました」
「急ですね」
「ええ。冥冥が口を割ったところによれば、なんと明朝五時に、大規模な作戦を『青陵公司』は計画しているようなのです。これを阻止しに向かわねばなりません」
「大規模な作戦……とは」
「目的は、皇都駅の爆破――とか」
皇都駅の爆破。
がぜん話が大きくなってきた。
「そ、それって破壊工作ですよね。警察とか、軍隊なんかに報告する必要は――」
ありません。と、強く零子は言った。
「私達の任務は、『亞号作戦』は、まさしくこういった行為に対抗するためのものです。了解しているとは思いますが」
了解はしている。
「『青陵公司』は何人くらい動くんですかね……」
表情にこそ出さないが、俺は少々感動している。
これぞ活動映画の世界だ。そしてその中に、戦闘員として参加できるとは――まさかこんな風に主人公を張れるなんて、思ってもみなかった。
三か月前の自分に教えてあげたいくらいだ。
自分の可能性に、絶望していたあの頃に……。
「それはわかりませんが、恐らく皇都中の工作員が動きます。ですので『昴機関』も、もちろん対応せねばなりませんが……」
零子は憂鬱そうに唸る。
「なりませんが?」
「なにぶんあまりに急なこと。実戦担当で身体が空いているのは、私とあなた、そして降幡さんだけだそうです。他の支部に連絡すれば、なんとかなるやもしれませんが……今はこの三人で、敵を迎撃せねばなりません」
「三人、ですか」
「青陵公司」が、かなり巨大な組織であることは、入隊して日の浅い俺にもわかっていた。噂では、皇都だけで五百人の戦闘員が潜入しているらしい。
工作員を合わせれば、もっと多い。
「無理じゃないですか?」
正直に発言をしてみる。零子はなんと思うだろうか。
ぱたぱたとエプロンドレスをはたきつつ、零子は立ち上がって再度、電話機に向き直る。
「無理とか、可能だとか、そういう次元の話をしているんじゃあないんですが……まあ、端的に言って状況が苛烈なのは確かです」
そう言いつつ、電話機を操作する。
「私としても犬死には望むところにありませんからね、できる限りのことはしますよ――あ、交換局ですか。3―0―8に繋いでください――ええ、舞鶴の――」
どうやら電話はつながったようで、俺は無言で部屋を出た。
「……はあ」
ため息が漏れた。
「どうしたのん?」
振り返ると、鶇美がティーカップを持って立っている。
「ああ、鶇美さん。どうもあの間諜、とんでもないことを話したみたいでして」
「皇都駅爆破計画?」
「そうです。まったくどうしたことやら……」
「それならきっと大丈夫。なにせ『昴機関』は超人集団、負ける道理がありゃあしないわ」
胸を叩いて鶇美は言う。
俺は表情だけで笑った。こういうときは空元気でも大事なものである。
「よかったら、これから私の部屋に来ない? いい御菓子があったりするの」
それはかなりの名案だ。俺とて煙草ばかり吸ったせいで、喉がいがらっぽくてたまらない。
「じゃあ、御邪魔してもいいですか? ……あ」
そこではたと気付いた。
奇妙な矛盾に。
鶇美は不思議そうに俺を見る。
「どうしたの?」
「……誰から、爆破計画のことを聞いたんですか?」
「え」
「だから、誰に冥冥の言葉を聞いたんですか?」
「そ、それは」
たじろぐ鶇美を見据えつつ、俺は隣室の扉を開けた。
冥冥は――いない。
「零子さんッ!」
叫ぶ声と、鶇美が駆け出したのは同時だった。