三、尺余の銃は武器ならず(三)
音がした。それは乾いた草が、風になびいて立てるものにそっくりだった。
だから俺は無視をする。
零子は月明かりの下で、手燈ひとつで器用に機関銃の薬莢を集めている。公には、この洋館はただの廃墟。こんな場所に用事のある人間なんて、結局は軍属に違いはなかったが、それでも秘密組織の活動痕跡である。残しておくわけにはいかないのだろう。
真鍮の空薬莢は黄金色にきらきら輝き、まるで草地にぶちまけられた星空のようである。その数は膨大だ。零子はけして手伝えと言わないが、俺は無言で腰をかがめ、まだ熱い薬莢をひとつ手に取る。
そこで少しだけ違和感を思い出した。
草ずれの音がしたが、風なんて少しもさっきから吹いてはいない。
どういうことだろうか……なんて。考えるまでもなく、狐か狸かそこいらの、無害な野生動――。
「――伏せなさい!」
零子が振り向きざまに叫んだ。俺は偶然ながら、もうすでに頭を下げている。
その声と同時に、空気を切り裂いて一陣の風が突き抜けた。それは頭上を通過して、ひゅうと一声音を立てたかと思うと、零子が咄嗟に持ち上げた軽機関銃の銃把に突き刺さる。
――剃刀のような、細い刃物だ。
続けざまに、その暗器が、背後の木立から飛んでくる。それを認識できたのは、俺が無意識に立ち上がりつつ、それらを正面に見据えて立ちふさがったからである。
正確に零子に向かって放たれた暗器は、それゆえに軌道が読めた。
――「能力」で受け止められるかは、賭け。
刃物を相手にした訓練は、まだしていない。
だが、結果は俺の勝ちだった。暗器が銃痕でぼろぼろのシャツを裂いたが、皮膚に届く前にすべてがぽろぽろとこぼれるように落ちる。
「誰か!? 出てきなさい!」
その隙に新たな弾倉を軽機関銃に叩き込んだ零子が、腰だめに構えながら闇を見据えた。俺は今さらながら腰がひけ、ゆっくりと後ずさる。
木立から返事はない。
「三秒以内に投降せねば、問答無用で撃ちます! 三ニ一、撃ッ」
素早く三秒を数えて、零子は引金を引いた。
何も聞こえなくなる炸裂。
その銃口から十文字に吹きだす炎だけが、写真機の閃光電球のごとくぱらぱらと周囲を照らす。
十秒。零子は撃ち切ると同時に草地へ伏せ、転がりつつ弾倉を交換した。
「あなたも伏せて! ――一応」
ぼんやりかがんでいた理由は、突然の戦闘に呆気にとられたせいなのだが、それを「能力」に対する自信ととられるのはなんだか嫌なので、ともかく腹這いになった。
そこに拳銃が飛んでくる。零子がいつも腰に挿している、自動式の大口径のやつだ。
「それを持って。必要ならば撃ってかまいません」
そう言いながら、零子の視線は先ほどの弾幕でぶすぶすと煙を上げる、木立の藪の中を見据え続けている。
俺は息を飲んだ。
「……」
――しばらくの間、周囲は静けさを取り戻す。
時間が止まったような、緊迫。
「……ははッ」
乾いた笑い声がした。
そしてゆらりと、まさしく影のごとく姿を現したのは――一人の男。
「いやあ、不意打ちで殺れるもんなら殺りたかったもんですがねェ。矢ッ張り無理でしたか」
のんびりと語る、その男は濃紺の中国服を着ている。ぼさぼさの蓬髪に無精ひげの風体に緊張感はまるでなく、ただ、肩にかついだ長い槍のような武器が、上海の武侠染みた気配を放っていた。
「ま、こうしてほとんど一騎打ちになっちまった以上は、古式の礼に則ってやりましょうかァ? ――我の姓名はァ、ああ、もちろん本名は言えねェが――通称をして檮杌と叫ばれてます。どうぞ多关照ゥ」
ゆっくりと歩み寄る男――檮杌は、拳銃を構える俺を横目に、零子に真っ直ぐ進んでゆく。
「檮杌……青陵公司の四凶が一人、『難訓の檮杌』ですか。公司も大物を呼びましたね」
十歩の距離で零子と檮杌が睨みあう。
「大物たァ嬉しいことを言ってくれる。こちらこそよォく聞いてますよ。『墜景』の宍喰零子の噂はねェ――いや何、工作員が新しい『昴機関』の『能力者』が増えたッて言うから、これは早目に始末をつけにャならんのでねェ」
檮杌の槍が、月光を反射して光る。いや、それは槍ではなかった。
鉈のような、分厚い金属刃――偃月刀だ。
「それは重畳。全く重畳です――では、四の五の言わずに」
零子が歯を見せて、初めてにやりと大きく笑う。
軽機関銃が高く鳴いた。
檮杌が走り出す。弾道の不安定さを見越してか、半ば飛び上がりながら調子を踏む。
一気に間合いが詰まった。
ぎん、とぶつかり合う金属音。
零子の機関銃が、辛うじて偃月刀を抑えている。
「ぜ、零子さんッ」
「雀ヶ森さんは――もう一方を!」
もう一方だって?
襲撃者は一人じゃ――ないのか?
などと、迷う暇はなく。
額にすさまじい衝撃を受けた。それは辛うじて受け止められた弾丸だったが、零子の拳銃弾よりもひとまわり大きい。
「さっすが、さすがだぜ雀ヶ森とやら。この亜米利加製の新式拳銃弾を受けるとはな!」
洋館の上に女が立っていた。
「不意打ちだってんで様子を見ていたが、やっぱり刃物なんて古いもんは駄目駄目だぁ! この弾丸が一番強いってこと、檮杌の哥哥にも教えてやるさ!」
半袖の軍用シャツをまとった短髪の女は、片手に見たことのない自動式拳銃を構えて、さっそうと屋根から飛び降りる。
「さあ、始末してやるぜ日本人! アタシは青陵公司、特務三課の冥冥! 『拳銃使いの冥冥』だぜ!」
頭痛をこらえつつ、なんとか俺は立ち上がった。別の場所に集中しすぎていると、「能力」の精度が落ちることは訓練済みだったが――油断していた。
「……冥冥とかいう中国娘! 今のは痛かったぞッ」
冥冥は嬌声を上げる。
「逝かせてやるぜ!」
俺の拳銃と、冥冥の拳銃。
火を噴いたのは同時だった。