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本日のお題 8 (似非近世日本もの)

こひらわかさんの本日のお題は「指切」、色っぽい作品を創作しましょう。補助要素は「馴れ初め」です。 #njdai http://shindanmaker.com/75905

「よっ、若旦那!」

 僕の背中を叩いたのは、小間物問屋の宗次だった。

 僕より2歳年上で、面倒見のよい兄貴肌の彼は、少しばかり引っ込み思案な僕のことを何かと気遣ってくれる。

「今、少しだけ時間はあるかい?」

「うん、父さんからのお使いはもう終わったよ」

「俺も仕事が終わったからさ、そこの茶屋で一服といこうか」

 僕と宗次は連れ立って近場の茶屋に入り、団子を注文した。

「それで、若旦那の姉さんは今どうしてる?」

 席に着くなり、宗次は口を開いた。

「あやめさんのこと?」

「よしねえ、優一郎はちゃんと『姉さん』ってよんでやらにゃ、あやめさんが可愛そうだぜ」

「ああ、そうだったね」

 僕は気を取り直すとあやめさんのことを宗次に話し始めた。


 あやめさんは、父さんの後妻さんの連れ子だ。

 僕が10歳の頃、あやめさんはやってきた。

 当時13歳だったあやめさんは、歳に見合わないほどどこか大人びていて、名前のように凛と咲くあやめのようだったのを、僕は鮮烈に記憶している。

 柱の影にいた僕は、父さんに連れられて、あやめさんの前に立った。

 あやめさんは僕を見るとその大きな瞳をさらに大きくして、口元に手を添えた。

「ほら、優一郎、お前の姉さんに挨拶をしなさい」

「……こんにちは」

 ぽそりと呟いた僕を見て、あやめさんはふわりと笑んだのだ。

「優一郎君、よろしくね」

 その花のような笑顔に、そのときの僕はすでに囚われてしまったのかも知れない。

 それから僕とあやめさんは家の中でかくれんぼをした。

 かくれんぼをするときに、僕はおずおずと自分の小指を出した。

「お互いの事を見つけるまでは、決してかくれんぼを止めないこと」

 これは僕からあやめさんに歩み寄った最初の瞬間だったことを記憶している。

 僕はそのときのあやめさんの白魚のような指と、僕に受け入れられたことに対する嬉しさなのか、少しばかり染めた頬を見るのが好きだったのだ。

 それからは、何かある度に僕たちは必ず指切りをするようになった。

 当時僕の家へ使いに来ていた宗次もまた、どうやら美しいあやめさんに一目惚れしたらしかった。

 ただ宗次は、あやめさんのことを遠くから見ているだけで近づこうとしなかったので、家で遊ぶときはもっぱら僕とあやめさんの2人だけだった。


 それから早5年、あやめさんが18のときに目当ての縁談はやってきた。

 縁談自体は2年前から引きも切らさなかったのだが、父さんがなかなか首を縦に振らなかったのだ。

 そんなとき遠方の呉服屋の倅があやめさんを見初め、是非にと乞うてきたのだ。

 昨日はその縁談の日だった。

 呉服屋の面々は、美しく着飾ったあやめさんを見て、魅入られたように動けなかったという。

 宗次は昨日の様子を聞きたがった。

 僕は、柔和な笑みを浮かべた呉服屋の倅がとても男前だったことを伝えた。

 倅は銀鼠色の羽織がとても良く似合っていたとも伝えた。

 そして、あやめさんは頬をわずかに染めながら、その倅の事を見ていたとも伝えた。

 僕の話を聞けば聞くほど、宗次の顔は曇っていった。

 でも、一度だけぎゅっと拳を握ると、宗次は何事もなかったかのように笑みを浮かべて席を立った。

「優一郎、ありがとな。俺、これであやめさんのことを笑って送り出すことが出来るよ。そんなに良い縁談だったら、あやめさんはきっと幸せになれるだろうから」

 宗次は「じゃあ、ここは俺がおごるから」と言って代金を払うと、店を後にしたのだった。


 僕は、宗次には伝えていないことが一つある。

 あやめさんは見合いが終わったあと、自分の部屋に戻るときにぽろりと涙をこぼしたということを。


 僕はあやめさんが好きだ。

 初めて会ったときから一人の女性としてあやめさんを見ていた。

 あやめさんのことを考える度、胸が苦しくなった。

 どうしてあやめさんは僕の姉さんになったのだろう。

 どうして僕は父さんの子供だったのだろう。

 近頃、僕の夢には色々なあやめさんの姿が登場する。

 朝起きて、粗相をしていたのに気づいたことは一度や二度ではない。

 僕は、狂おしいほどあやめさんのことが好きなのだ。

 あやめさんの湯上りの姿。

 桜色の頬やうなじ、血色の良い紅を刷いたような唇。

 あやめさんの潤んだ瞳。

 悲恋物語を聞いて、その大きな瞳に涙をいっぱい溜めていたこと。

 あやめさんの笑ったときに右側に出来るえくぼ。

 白魚のような手。

 なだらかな曲線を描くあやめさんの体。

 それら全てが、僕を狂わせるのだ。

 僕は縁談が決まってから、あやめさんを避けるようになっていった。

 あやめさんの傷付いたような顔を見たくはなかったが、もうお嫁にいってしまうあやめさんのことを思うと耐えられなかったのだ。



 あるとき、夜半にあやめさんが廊下で僕を呼び止めた。

「優一郎さん」

 僕は目線を合わせぬまま、立ち止まった。

「どうして、私のことを避けるの? 私のことが、嫌いになったの?」

 あやめさんの声は震えていた。

 ああ、そんな声を出さないで。

 しかし僕は目を背けたまま、声を出した。

「放っといてくれないかな」

 ぐっと空気が詰まる音が聞こえた気がした。

「優一郎、君」

 出会った時の呼び名で呼ばれ、僕ははっと顔を上げる。

 僕の目に飛び込んできたのは、大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼすあやめさんだった。

「あやめ、さ……」

 最後まで言い終わらないうちに、あやめさんが僕の腕の中に飛び込んできた。

 何の香りだろう、まろい、こくのある、女性の甘い香りとあやめさんの体温が僕を包んだ。

「優一郎君、私、私っ」

「あ……」

 痺れたように動けなくなる。

「私、お嫁になんか行きたくない。ずっとこの家で、お父様と、お母様と、優一郎君と暮らしていきたい」

「あやめ、さん」

「ううん、違うの、優一郎君に言いたかったことはそんなことじゃないの。私、優一郎君が」

「姉さん!」

 僕はとっさにそう呼んだ。

 ぎゅっと、あやめさんを抱き締めたい気持ちを堪えて、静かに、静かに、ぽんぽんとあやめさんの背中を叩き始めた。

 どのぐらいそうしていただろう。

 あやめさんは、僕の腕の中にいる美しくて可愛らしいあやめさんは、ようやく落ち着いてきたようだった。

 僕は、あやめさんのことが好きだ。

 だからちゃんと言おう。

「今まで冷たくして御免よ。でも僕も、姉さんと離れるのが辛かったんだ。姉さん、良い縁談がまとまって良かったね」

「……うん」

 こくりと、小さな子供のように、あやめさんは僕の腕の中で頷いた。

「今日のことは僕達だけの秘密にしよう。だって僕も、姉さんの、あやめさんのことが好きだから」

 あやめさんに、別れの言葉を。

「さようなら、あやめさん、元気で」

「……うん」

 そうして僕とあやめさんは、月明かりの中、お互いを見ると、どちらからともなく小指を差し出した。

「ふふ、指切ね」

「うん、指切だね」

 うそついたらはりせんぼんのます。

 けれど僕はこれからあやめさんがどんなに嘘をついたって、針などのまさないだろう。



 今日は婚礼の日。

 呉服屋の男前の倅が、あやめさんとの馴れ初めを語っている。

 ぼくはあの日、あやめさんと約束した。

 お互いの気持ちは嘘偽りではないのだということ。

 これからもずっとお互いを思い続けていくということ。

 そして、この気持ちはお互いの胸にしまっておくということ。


 そうして夜半に切った指切は、あやめさんが程なくして結核で死んだ後も、僕の心の中にずっとずっと残っているのだった。



【了】

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