本日のお題 18 (「香り」 軽い作品)
こひらわかさんの本日のお題は「香り」、軽い作品を創作しましょう。補助要素は「裏口or裏門」です。 #njdai http://shindanmaker.com/75905
かる・い【軽い】※辞書から意味の一部を抜粋
・動きに力がかかっていない。
・束縛感やこだわりがなくのびのびしている。
・浮ついている。軽率・軽薄である。
「あ、この香り」
会社の裏口ですれ違った三浦がつけていたのは、ゲランのオーインペリアル。
ちょっとばかり憎らしくなるぐらい軽薄な態度をとる男から漂うベルガモットとレモンのトップノートが、私に昨晩のことを想起させる。
昨夜は、酒豪を自負している私が不覚にも悪酔いし、あろうことか同期入社の彼に介抱されてしまったのだ。
案件の大詰めに付随する連日連夜の激務により、私は体調を崩し、軽い頭痛を覚えていた。
そんな中で、案件成功の打ち上げに参加し、二次会まで行ったところで、本格的に体調が悪化してきた。
介抱と言っても、公衆の面前でリバースという最低の事態まではいかなかったのだが、普段の自分からは考えられないほどの酩酊状態に陥ってしまったのだ。
(うー……頭が痛いし気分も悪いわ)
眉間に皺が寄らないように、強制的に笑顔を作りながら二次会を何とか乗り切ろうとした私の隣に、お手洗いにでも行ってきたのであろう彼はするりと割り込んできた。
そのとき、彼からすっきりとした香りが流れてきたのだ。
私の好きな、柑橘系の、これはきっとゲランのオーインペリアル。
シトラス・フローラル系のユニセックスな香りなので、男女どちらがつけてもさほど違和感がなく、嫌味や癖もあまりない。
この「オーデコロン・インペリアル」は元々ナポレオン3世の妃ユージェニーのための香水で、かの妃の頭痛対策として調香されたという話もあるそうで、今の私にはとてもとてもありがたい香りだったのだ。
今感じる香りはトップノートだから、多分席を外した際にその香りをつけ直して来たのだろう。
彼は私の隣に陣取るなり早速話しかけてきた。
「なあ菊池、何か顔がひきつってるよ。一気に10歳ぐらい老けたんじゃない? そんな顔してると婚期逃すよ?」
この三浦と私とは社内で茶々を言い合う仲というか、それは専ら三浦が私に限らず周囲の女性に対して何かしらちょっかいをかけているのが常であるのだが、今はそんなことはどうでもいいほど、彼の香りのおかげで今まであったじわじわとした痛みが少しだけ和らいだ。
「ちょっと、三浦君、悪いけど今は私あなたの相手をしていられるほど元気じゃないのよ……」
こめかみを指でもみほぐしながら、ついに私は眉間に皺を寄せた。
ああ、目の前には私が尊敬する上司である服部課長がいらっしゃるのに。
しかし、三浦の言を聞いた服部課長は私に対してこう声をかけてくれた。
「菊池さん、どうしたの? 体調が悪いなら無理せずに帰りなさい。君がこの案件を成功させるために頑張ってくれていたのは僕が一番よく知っているから、この派手な騒ぎに付き合わなくてもいいんだよ」
服部課長は眼鏡越しの温和な瞳を私に向けると、私の隣に陣取っている三浦に向かって少しばかり厳しい表情をした。
「三浦君、僕の可愛い部下にあまりちょっかいをかけないでくれるかな? 君は営業課だろう? 大人しく向こうの席に戻ってくれてもいいんだけれどね。君の話は課の上司からよく聞いているよ」
それはきっと「歴代の営業課内で一番ちゃらんぽらんのくせに業績の良い、扱いづらい部下」という、あの我が社内で有名なフレーズだろう。
コロンはすぐに香りが飛ぶので、ほどなくして隣の三浦からは柑橘系の香りが薄らいだ。
それが合図となったわけではないが、私は申し訳ない気持ちながら途中退席することにした。
「服部課長、ほかの皆さんにもよろしくお伝えください、今日はちょっと体調が優れないのでお先に失礼いたします」
そうして会費を払い、席を立ち、自分の荷物を持って靴を履く段になったとき。
「菊池、送るよ」
荷物を持った三浦が靴箱の前に現れたのだ。
「え、三浦君、何で……」
「同期のよしみでしょうがねえから送ってやる。もともとあんたを途中退席させたのは俺の発言からだったし、あの服部課長が『自分が送る』って言いだしかねなかったから」
「あ、そうよね、課長まで中座させてしまっては申し訳ないものね」
「さあ? どうかねえ。あの課長、意外と嬉々として送り狼になりそうじゃねえ?」
冷たいとも言える三浦の台詞に、私は尊敬する上司を貶されたと感じてむっとした。
「何その言い方。課長はそんな人じゃないわ」
しかし反論を続けようとした私は不意に襲ってきためまいに耐えられず、その場にうずくまってしまった。
「う……気持ち悪……頭痛い」
きっと三浦はこんな私の体たらくに呆れているだろうなという思いで顔を上げられずにいると。
「このバカ女、自分の仕事に対する容量を把握しろ。それに俺らもいい年なんだから、せめてもう自分が酒豪だという幻想を捨てろ」
そう言いながらも、彼は私の横にしゃがみ込み、背中を極めて優しくさすってくれる。
ああ、私の背中をさする彼の手首からあの香りがする。
少しだけ癒された私は、多分顔面蒼白になっていたであろうが、無理やり気持ちをシャキッとさせて彼と目を合わせた。
「ひどい、三浦君、もうちょっと優しい言葉をかけてくれたっていいじゃない」
私の言葉に、彼はあきれたように返した。
「ったく、このバカ女は何で俺の前でヘタレるんだよ。あんたあの課長が好きなんだろ? だったら無理しないで素直に、課長に体調不良による退席の旨を伝えれば良かっただけの話じゃねえかよ。何良い子ぶってんだよ。あんたはそんなイイ子ちゃんな女じゃねえだろ。もっと自分に正直に生きろよ」
「今日の三浦君はよく語るのね」
彼は私の言葉をさらっと無視し、ああそれと、と言葉を続けた。
「あの課長の目、節穴なんじゃねえの? あんたがあんなに辛そうな顔しているのに、全然気付いた素振りすら見せねえんだもんな。それか、あんたの無理してる顔を楽しんでたか……だな。『僕の可愛い部下』なんて言うあの課長があんたの不調に気付いていないはずはないから。なあ、覚えとけよ菊池、案外ああいう無害そうなのがとんでもない変態サディスト野郎なんだぜ?」
めまいでくずおれそうになりそうな自分を鼓舞して立ち上がると、私は怪訝な思いで彼を見上げた。
「何で、三浦君は課長をそんなに悪く言うの?」
「あの課長が、あんたをこんなになるまで放っといたから」
「三浦君がフェミニストだったなんて知らなかったわ」
「馬鹿野郎、そんなんじゃねえよ」
そう言うと、彼はさっさと私の荷物を持ち、玄関に私の靴を置いた。
「ほら、靴履きな。俺はあんたみたいなバカ女にはこれっぽっちも興味ねえから、最寄駅まで送ってやる」
「興味ないなら、三浦君にも申し訳ないから中継地点の駅まででいいけれど」
「今のあんたを放っといたら俺が鬼畜だと思われるだろ?」
「なあに? それ」
「営業ってのはね、イメージ戦略も大切なんだよ」
そう言うと彼は靴を履いた私の眉間に、おもむろに人差し指を当てた。
「ブスがますますブスになるから、これからはもっと笑ってろよ」
「三浦君ってほんっとうに失礼ね。あと、私の化粧が崩れるしあなたの指に私の皮脂もつくだろうから早く離して頂戴」
「おお、これは失礼。素肌かと思ってた」
にやにや笑いながら彼は私の眉間から指を離すと、今度は私の頭をわしゃわしゃっと撫でた。
「ちょっと! 三浦君!」
「や、手拭がないもんだから、代わりにあんたの頭で拭かせてもらっただけだから心配すんな」
「誰も心配なんかしないわよ!」
いつの間にか、私の諸々の体調不良は治まってきていた。
彼の手首からほのかに香るオーインペリアルの香り。
軽いコロンの香りとともに、私は彼によって少しだけ癒されたのだった。
【了】




