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本日のお題 17 (「風邪」 季節感のある作品)

こひらわかさんの本日のお題は「風邪」、季節感のある作品を創作しましょう。補助要素は「想い出の場所」です。 #njdai http://shindanmaker.com/75905


「ねえ先生、今夜、私達の思い出の場所の桜がライトアップされるのよ。 見に行かない?」

 風邪気味の私に珍しく声をかけたのは、私よりも七歳年下の新妻だ。

 妻は私のことを結婚後も先生と呼ぶ。

 ちなみに名前で呼んでもらったのはベッドの中だけであるのだが、最近では普段の生活でも「先生、私に風邪を移さないで!」と強い調子で避けられている。

 私達はよくある「先生と生徒」の関係だった。

 私立高校の新任の古文の教師であった私と、妻は、授業以外では別段接点もない間柄だった。

 そうして何事もなく妻は卒業し、私も妻の存在など彼方に追いやっていたある日、何の因果か見合いの席で再会してしまったのである。

 妻は大学卒業間近で、日本での就職はせずに青年海外協力隊としてカンボジアへ行こうとしていたところだったそうだ。

 それを妻のご両親が強引に見合いの席を設け、ついでに私が相手ならば安全・安心・安泰であろうと踏んだとのことなのだ。

 私の方はというと、元生徒が見合い相手であるということにぎょっとしたのだが、私の両親と妻の両親が意気投合してしまったらしく、断る余地はすでになかったのである。

 見合いの席で、青地に銀の桜の刺繍の入った振袖を着た妻は、私の顔を見るなり、にっこりと笑った。


「先生、お久しぶりです!」


 大学生活が充実していたのだろう、妻からは溌剌とした気配が伝わってきた。

「はあ……」

 妻は私の何を気に入ったのだろうか。

 最終的には妻の勢いに押された形で、私は今の妻と結婚することになったのだ。


 私達は世間で言う新婚ほやほやもいいところだ。

 式はまだ挙げてはいないが、すでに籍も入れ、同じマンションで暮らしている。

 妻は英語教室での職を得て、昼間はそちらで働き始めている。

 その妻がシンプルだが上品なワンピースを着込み、軽自動車を運転して校門の前まで私を迎えに来たとき、私は周囲の生徒と校門前で下校指導をしていた同僚からニヤニヤとした目で見られたのだった。

 妻の車に乗り込むと、彼女は慣れた手つきで車を発進させた。

 今日は妻とディナーなのだ。

 都心の落ち着いた雰囲気のレストランは妻自ら予約したもので、彼女は「ここのレストランのデザートが絶品なの」と、私の腕を取りながらレストランの門をくぐった。

 まさか、私のほかにも誰かと来たことがあるのだろうか?

 妻の何気ない一言にどきりとしたものの、私は何気ない風を装って妻と共にレストランの席についた。


 その席は窓側で、都心にもかかわらず四季折々の木々が、窓枠という額縁に切り取られたかのように映っている。

 今は桜の季節であるが、それに相応しい見事な枝振りの桜がはらはらと花びらを散らしていた。

 ディナーは満足のいくものだった。

 デザートを食べながら、妻がふと思い出したように口を開く。

「先生、先生はもう忘れているかもしれないけれど、以前授業中に話してくれた西行の歌のこと、覚えてる?」

「西行の歌といえば……」

 私は過去に記憶を飛ばした。


 西行といえば、私が一番に思い浮かべたのが西行の遺言の句である「願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃」だ。

 辞世の句とも呼ばれているが、この句は西行が亡くなる十年前に「山家心中集」に収められているため、遺言の句といった方が個人的には相応しいと思っている。

(ちなみに西行は小倉百人一首の八十六番「嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな」の作者でもある。)

 この西行の遺言の句にインスピレーションを受けたのではないかとされるのが、梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」(形態は散文詩とも言われる)である。

 1928年に発表された本作のテーマフレーズが「桜の樹の下には、死体が埋まっている」なのだが、そのイメージは、どうやら能の「西行桜」などの古典を元にしたのではないかと思われるのだ。


「ああ、確か、西行の歌に絡めて梶井基次郎の短編小説のことも話した気がするけれど」

 この話はたまにネタとして話していたから、覚えていたのだ。

「良かった、先生が忘れていたらどうしようかと思った。あと先生、『桜の樹の下には』での解釈も教えてくれたよね?」

 確か、「桜の樹の下には」では、美しいもの(桜)と対峙した時、自らが劣等感を負う事を回避せん為に不快(死体・惨劇の妄想)を敢えて求めようというすすめであると解釈するものらしいと話した記憶がある。

 そのことを妻に話すと、妻は「良く出来ました」とでも言うように微笑んだ。

 そのまま、私と妻はレストランを後にした。

 車の中で妻が口を開く。

「実はね、今日これから向かう先生との思い出の場所ってね、あのお見合い席の庭なの」

「え?」

「私達がお見合いをしたときはまだ一月だったから桜が咲いていなかったけれど、今ならきっと満開よ。散る前にどうしても先生と二人で見たかったの」

 そう言って、妻は車を走らせた。

「先生、桜って春の季語でしょ? 俳句にも良く使われる、なのに、死体というイメージとも結び付けられていて、何だかミステリアスよね」

 程なくして、遠くからでもわかる光が見えてきた。

 見合いの席の庭園は今、春のライトアップを行っている。

 桜だけではなく、松などの木々にもスポットライトが当たっており、また池にも色つきのライトが当たり、とても鮮やかだ。

「今日は何だか春めいたものに縁があるようだね」

 私がそう言うと、妻は私の腕にぎゅっと掴まりながら、離れまいとするように体を寄せた。

「先生、あのね、怒らないでね」

 しかしその瞬間、私は心臓が鷲掴みされるように冷えた。

 もしかしたら、妻は私のほかにも男がいるのかもしれない。

 若く、美しく、未来もある妻だ。

 私との結婚を後悔して、その男と共にどこか遠くへ行ってしまうのではないか、と思った。

 硬直した私をどう思ったのか、妻はスポットライトに照らされた桜を見た。

「私、もしかしたら、赤ちゃんが流れたかもしれないの」

「え?」

 私は思わず妻を見た。

 妻は私のほうを見ずに言葉を継いだ。

「妊娠検査薬で調べたら陰性だったの。でも、フライングってこともあるかもしれないから、まだわからない。けれど、もし赤ちゃんが流れていたら、私、どうしたらいいんだろうって思って。この美しい桜の前でなら、きっと不浄のものも飲み込んでくれるだろうって思って、来たの」

 妻は震えていた。

 私はしばらく動けなかった。

 自分と妻との子供が流れてしまったかもしれないということについてではない。

 妻が今までそのことを一人で抱え込んで、それでも気丈に振舞っていたことに対してである。

 こういう時、男とは何と不甲斐ないのだろう。

 私はただ、妻を抱き締め、「大丈夫、大丈夫だから」と慰めることしか出来なかった。


 帰りの車は私が運転した。

 家に帰り、風呂に入り、身支度を整えると、私はベッドで妻をそっと腕に囲った。

 妻は私の腕の中で私に抱きつき、その夜はそうして過ごした。

 その後、妻と私は産婦人科へ足を運び、私達の子供が無事着床しているということを知ることとなる。


 安心したのか、私の風邪は悪化した。

 私達の大切な子供が流れてしまわないように妻と出来るだけ接触しないようにする日々は今までよりも辛かったが、甘美な日々でもあった。

 風邪が治った後、改めて、妻に自分の愛を伝えた。

 これから三人で生きてゆく喜びと、そしてもう一度あの桜を見に行こうという約束を取り付けて。

 私達はこれからあの桜を見に行く。

 二人の心の中にあった不安を取り除いてくれたであろう桜にお礼を言うために。



【了】

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