はじめてのりんしたいけん に
豪快な音を立てて、少女の体が石垣を突き破る。そのまま家屋を突き抜け、少年の視界から消えた。
「ちょ……」
今まで間近で目の当たりにしてきた破壊力。今さら驚くに価しないはずではあるが、それでも、人体に発揮されたそれは少年から現状への理解を奪うには十分だった。
しかし、鋼の異形は逃げる事も忘れ唖然とする少年に目を向けていない。少女の消えた家屋の向こうを無言のまま見つめている。
少年はいつでも捕まえられる。命を奪える。あの少女がいなければ。故に少女を確実に仕留める事を優先したのだ。
異形・ドール。
強い破壊衝動を持った“彼”は、しかし知能はそれほど高くない。あらゆる行動はその本能に基づく。この時点では、まだ。
野生の動物に近い本能を持つがために感じた違和感。加えて赤子のように拙い判断力が、少年の命を繋ぎ止めた。
もちろん宗吾はそんなことには気づかない。風通しの良くなった家屋が音を立てて崩れてもなお、現状を理解していない。
目の前の巨体がその気になれば自分など即座に殺されてしまうことすらも、今や頭から抜けている。
ただ呆気にとられ、言葉すら失っていた。それもまた、ドールの意識から彼を反らすことに一役買っていた。
だから。だからこそ、時間は稼げたわけで。結果としては偶然に他ならないけれど。問題を先送りにするだけとはいえ、現状を打破するには十分だった。
瓦礫を飛び越えて飛来する黒い影。数はゆうに十を越える。そのうち一つは宗吾に、それ以外はドールに。
「ごガ!?」
影の正体は、刃渡りが1mを越えるような鉄剣。幅広で肉厚な刃を携えただけの無骨なそれがドールを強襲する。
しかし、宗吾がその様子を見ることはない。駆け寄った少女によって、既にその場から離れている。
金属のぶつかり合うような音だけが、小さく聞こえただけだった。
***
「なんていうか、何が何だか分からねぇ。マジで」
少年の呟きは風に紛れて消えていく。
生まれた時から慣れ親しんだ町を、屋根より高い位置からという新鮮な目線で眺めるが、特に新しい発見はない。感動もない。
「分からなくてもなんとかなる。世の中上手くできてるもの」
「ねぇそれ本気で言ってる? 心からそう思っての発言? その考えだといつか命がなんとかなっちゃう気がするよ? 例えば今とか」
「大丈夫。幸先は明るい」
「はははっ。語尾にダブリューつけちゃおうかな、三個くらい」
そう言って力なく笑いながら、少年は自分達を追いかけてくる鋼の化け物を見る。
あぁ、またこの状況か。と、内心ため息をつきながら。
いや、全く同じというわけではない。先ほどなら少年の呟きが少女に届くことはなかった。少年の足が屋根にぶつかることもなかった。
少女に打ち込まれた一撃は、どんな楽観主義者でも無視できるものではない。頭からは血を流し、息も上がっている。速度も出ていない。
追い着かれるのが時間の問題であることは、明白だった。
「……あとどれくらいだ?」
眉根を寄せ少年が聞く。もちろん、目的地までの時間について。
その言葉に少女は一瞬間をおいた。それまでの声音と違う、落ち着いた様子に疑問を感じたからだ。
けれど答えが出るはずもない。宗吾が少女を知らないように、少女もまた宗吾の人となりを知らないのだ。
「あと10分もあれば着くと思う」
「間違いなく追い付かれるな。10分てことは八重見あたりか」
束の間の逡巡。
10年以上も住んでいる町だ。地理は把握している。それ故に浮かんだ案。上手くいけば時間が稼げるかもしれない。
けれど、確証はない。それに何より育った町だからこそ、躊躇いがあった。
「本当に、この世界はもう駄目なんだよな」
「ええ。今の私たちにはどうすることもできない」
「……そっか。わかった。なら、少し寄り道しよう。たぶん時間を稼げる」
少年の言葉に少女は首を傾げ、僅かに振り替える。
“時間稼ぎ”
こちらよりも速く、こちらよりも強く、こちらよりも堅く、こちらの位置が分かる。そんな相手に時間を稼ぐ方法がある、と少年は言う。
それがどんな方法かは少女には分からなかったが、このままでは追い付かれるのは間違いない。他に方法もない。それならば、と少女は承諾する。
「どこに行けばいい」
「しばらくはこのまま。まぁ楽しみにしててよ。いい加減屋根の上走るのも、電線避けんのも飽きてきただろ?」
そう言って宗吾は追いかけてくる怪物に目を向ける。ヘラヘラと笑う少年の心に沸き上がる感情は怒り。 彼には特別正義感がある訳ではない。あのドールが世界を壊しているのだ、と少女は言った。けれど、その事に動揺はあれど怒りはない。
もちろん、実感がないこともある。
見た目的にはそれほど世界に変化はない。何が起きているのかもよく分からない。
ドールがどういう存在なのか。少女がなぜ助けてくれるのか。全てが停止した世界で、どうして自分は動けるのか。
今の彼には何も分からない。
けれど。
自分の日常をぶち壊しにした糞野郎はあの怪物である、ということは分かる。
自分を殺そうとし、少女を傷つけた糞野郎はあの怪物である、ということは分かる。
だったら、やり返さないと気がすまない。
そう、彼は決して正義感に溢れた人間ではない。悪を許さない正義の味方でもない。そもそもこの状況に善悪の概念を挟んでいない。
やられたからやり返す。
ただそれだけだった。
久しぶり過ぎて、どんな話しか忘れちゃった。
いや、読み返せばいいんですけど。
追記:
相変わらずパソコンはおじゃんですが、いろいろとあれこれやったらあれして更新します。
2/19:誤字修正