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暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜  作者: パラレル・ゲーマー
第六部・早く訪れた太平の世編

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第88話 銀台帳、港へ下りる

 江戸城、勘定方の詰所。


 俺と本多正純を中心に、数名の有能な勘定方が机に齧りつき、凄まじい速度で筆を走らせていた。


 大御所・家康の号令によって発足した、欧州の宗教戦乱への備え──『銀出入并外国交易台帳(ぎんしゅつにゅう・ならびに・がいこくこうえきだいちょう)』の、具体的な様式作りである。


 正純が、冷徹な実務家の顔で通達の文面を練り上げていく。


「各港の奉行および検分役は、外国船ならびに外国商人との全ての取引において、以下の項目を漏れなく記録し、江戸へ提出すること」


 一、取引した港名、および正確な年月日。


 二、船籍、国籍、および所属する商館名。


 三、船主、および取引の主体となる商人名。


 四、仲介に入った通詞つうじ、および保証人の名。


 五、流出した『銀』の正確な量。


 六、対価として受け取った品目の詳細な目録。


 七、対価の分類。技術書、薬種、測量器具など有用物の有無。


 八、武器、火薬、硝石、および宗教関係物の有無。


 九、その銀の『再輸出先』の推定。


 十、相手国および商館の『欧州戦乱への関与度』の推定。


 十一、もたらされた『欧州情勢情報』の価値と、偽情報・相場操作の疑い。


 十二、商人の信用度の評価。


 俺は、完成したその通達の様式を見て、内心で深く同情した。


(うん。……これは、国家戦略として絶対に必要だ。日本の銀が三十年戦争の火薬庫にどう流れるかを管理するには、これくらい厳密なデータが要る)


 必要なんだけど。


 これを現場に丸投げしたら、絶対に死人が出るぞ。


 俺が港の役人なら、通達を見た瞬間に泣きながら海に飛び込むレベルだ。


 というか、たぶん通詞が一番泣く。


 俺が渋い顔をしていると、正純は淡々と筆を置いた。


「必要な項目にございます」


「……正純殿。必要なのは痛いほど分かりますが、いくらなんでも要求する項目が多すぎませんか? 現場の負担が……」


「必要であるならば、減らすわけには参りませぬ」


(これが、本多正純……。政治と実務における『合理の鬼』。俺も現代の行政感覚でかなり細かい台帳を要求してる自覚はあるけど、この人は本当に数字と項目に対して一切の容赦がない……!)


 こうして。


 江戸城の高所で作られた、冷酷なまでに精緻な『銀台帳の通達』が、全国の港へと一斉に下りていった。


 *


 数週間後。


 南蛮・唐船・宗教監視の最重点港である『長崎』。


 長崎奉行所の薄暗い役宅で、奉行、通詞、蔵役人たちが、江戸から届いた新しい通達の束を車座になって読んでいた。


 最初は、ただの新しい交易記録の通達だと思って普通に読んでいた彼らだったが。


 次第に、その顔色からスゥッと血の気が引いていった。


「……ぎ、銀の量だけではなく、対価の細かな分類……?」


「再輸出先の推定だと……?」


「相手国の、欧州における『戦乱関与度』……?」


「もたらされた異国情報の『価値』の評価……?」


 長崎奉行が、思わず書類を放り投げて叫んだ。


「そのような異国の裏事情など、極東の港の役人に分かるわけがなかろうが!!」


 同席していた筆頭通詞は、本気で泣きそうな顔になっていた。


「奉行様……。私ども通詞の仕事は、あちらの言葉を日の本の言葉へ正確に訳すことでございます。……商人の何気ない会話の裏から、欧州の血みどろの戦乱の匂いや、銀の行き先まで推測して帳面に書けなどと……無理難題にもほどがございます!」


 動揺したのは、役人だけではない。


 奉行所に出入りする、長崎の豪商たちもまた、この通達の噂を聞きつけて青ざめていた。


「これでは、我々が銀を『誰に』『どこへ』流し、代わりに『何を』仕入れたかまで、公儀に丸見えではないか……!」


 長崎の商人たちは、これまでのように、南蛮商人との間で「適当な名目で銀を渡し、儲かる贅沢品や武器をこっそり仕入れる」というグレーな商売が、もはや通用しないと悟った。


 特に、ポルトガルやスペインといった南蛮商人と深く関わる者は、宗教関係物の有無、宣教師密入国の疑い、武器・火薬の扱いまで厳しく見られるため、相当な危機感を抱いた。


 長崎奉行は、苦虫を噛み潰したような顔で、商人たちへ言い放った。


「お前たちが嫌がるということは……公儀に見られては困るような『裏の商い』があるということだ。江戸の大御所様の狙いは、まさにそこにあるのだぞ。覚悟せい」


 *


 一方、紅毛──オランダ・イングランド系の商人が主に関わる港である『平戸』。


 彼らは、カトリックの南蛮勢力ほど宗教色が強くないため、公儀の港別登録制度の中では「技術・商業」に特化した勢力として扱われている。


 平戸の商人たちは、銀台帳の通達を見て、長崎とは全く別の意味で反応していた。


「……公儀は、南蛮だけでなく、我ら紅毛の取引も、全く同じように帳面に載せて縛る気か」


 オランダ商館の者たちは、表面上は恭しく笑顔を浮かべていたが、内心では強い警戒感を抱いていた。


 日本側が、単に「無知で金払いの良い、銀を出すだけの野蛮な国」ではなくなりつつあることを、肌で感じ取ったのだ。


 日本は、世界有数の銀を持っている。


 米の生産が安定し、国が富み始めている。


 港を帳面で徹底的に管理し始めている。


 ……そして何より、欧州情勢の『情報の価値』を、為政者が正確に理解し始めている。


 これは、彼らにとっても非常に厄介なことだった。


 適当なガラクタを高値で売りつけることが、できなくなるからだ。


 だが、オランダ商人の一人が、ニヤリと笑った。


「しかし。これは同時に、我らにとって極めて大きな『商機』でもある」


「日本が、欧州の情報を欲しがっている。……ならば、我らはスペインやポルトガル、そしてローマの教皇庁が関わる欧州の戦乱の情報を、彼らに『高く売る』ことができる」


「公儀は、無駄な贅沢品へは銀を出し渋るかもしれぬ。だが、彼らが欲しがっているものは明確だ。望遠鏡、精巧な時計、測量器具、航海術の書物、火薬の安全な扱い方。……そして、欧州の泥沼の内情だ。ならば、我々が売るものはいくらでもある」


 銀台帳は、ただ商人を締めつけるだけではなかった。


 平戸において、武力と布教に頼らない、新たな『情報と技術の商売の時代』をこじ開けたのだ。


 *


 影響は、外国船が直接入る九州だけには留まらなかった。


 国内再流通の中心地である『堺』と『大坂』。


 長崎や平戸で陸揚げされた唐物や南蛮品が、ここを経由して全国の大名や豪商へと流れていく。


 銀台帳の通達は、ここ大坂の商人たちにとっても、重すぎる足枷だった。


 なぜなら、港で銀と交換された品物が、その後『国内でどう流れるか』までを、公儀が見ようとしているからだ。


「外国との取引は、長崎や平戸の役人の仕事でしょうが! なぜ、我々大坂の商人まで、国内の商いの品物の行き先を、いちいち細かく帳面に出さねばならぬのですか!」


 大坂の豪商たちが、奉行所へ抗議に押し寄せる。


 役人は、冷酷に答えた。


「銀で買った異国の品が、ここで『誰の手へ流れるか』を見るためだ。公儀の命である」


 特に公儀が警戒して行方を追うもの。


 火薬。


 最新の銃砲。


 南蛮宗門の宗教書。


 測量器具。


 望遠鏡。


 医学書。


 薬種。


 高価な時計。


 そして、外国製の精緻な『地図』。


 俺の──いや、公儀の狙いとしては、良い技術や品物を国内に入れるのを止めたいわけではない。


 むしろ、医学書や測量器具、薬種は大歓迎だ。


 ただし、それが、どの大名や勢力の手へ渡ったかを、確実に把握しておきたいのだ。


 大坂の商人たちは、その意図に気づき、青ざめた。


 公儀は、物をただ入り口で止めるだけではない。


 国内に持ち込まれた物の『流れ』を、血管の隅々まで見ようとしているのだ。


 *


 そして、この銀台帳のネットワークは、欧州の危機対策だけでなく、東アジアの交易経路をも巻き込んでいった。


 明国・朝鮮・琉球・南方の情報経路として重要な、『博多』『対馬』『薩摩・琉球』。


 日本の銀は、長崎から欧州の船へ直接渡るだけではない。


 唐船に乗って明国へ大量に流れ込み、そこからさらに、世界の複雑な銀循環の巨大なシステムへと吸い込まれていく。


 俺は、その世界経済の全体像を、前世の知識でも完全には理解していなかった。


 だが、『危険性』だけは肌で分かっていた。


(銀は、長崎から真っ直ぐヨーロッパに行くだけじゃない。唐船に乗って明へ行って、そこからまた別の経路で巡り巡って、結局はどこかの戦費になるかもしれない。……海は、全部繋がっているんだ)


 つまり、銀台帳は、欧州の三十年戦争対策であると同時に……対馬経由の『朝鮮情勢』や、博多・琉球経由の『明国情勢・情報収集台帳』とも、完全に接続される巨大なシステムなのだ。


 *


 それから数週間後。


 江戸城の勘定方に、全国の各港から、悲鳴のような返書が次々と届き始めた。


 長崎奉行。


『要求される項目があまりにも多すぎます。商人への聞き取りと帳面付けで、通詞と文官が過労で倒れかけております』


 平戸奉行。


『紅毛商人が、欧州の情報を高値で売りつけようと巧みに持ちかけてきます。しかし、それが真実か、相場操作のための偽情報かの判定が、我々現場の役人には到底できませぬ』


 堺・大坂奉行。


『国内の再流通の行き先まで全て記録させるのは、大商人の反発が強すぎます。闇取引が横行する恐れがあります』


 博多奉行。


『唐船の銀の流れと、明の商人の背後関係は複雑怪奇であり、到底帳面に書ききれませぬ』


 薩摩・琉球方面。


『琉球経由の南方情報は有用ですが、江戸から送られてきた帳面の様式が、現場の実態に全く合っておりませぬ』


 俺は、その凄まじい悲鳴の束を見て、頭を抱えた。


「……でしょうね!! そりゃそうなるよね! 俺が現場の役人でも、絶対にブチ切れて同じこと書くもん!」


「でも……これをやらないと、日本の銀が欧州の戦争を長引かせて、後でとんでもないしっぺ返しを食らうかもしれないんだよ……!」


 俺が悲鳴を上げている横で、本多正純は、少しも慌てることなく冷徹に言った。


「……現場の悲鳴は想定内にございます。ならば、様式を『二段』に分けましょう」


「二段?」


 *


 正純と俺は、現場の限界を受けて、即座に制度の現実的な修正に入った。


【一、表台帳(現場用)】


 港の現場の役人が、必ず書かねばならない最低限の事実項目。


 港名。


 年月日。


 船籍。


 商人名。


 銀の量。


 対価品目。


 武器・火薬・宗教書の有無。


 担当通詞名。


「これは全港共通です。客観的な事実のみ。これを正確に書かない商人は即座に処罰し、港から追放します」


【二、裏控え/評定用控え(江戸用)】


 江戸の勘定方や、上級役人が分析する高度な項目。


 再輸出先の推定。


 相手国の戦乱関与度。


 信用度。


 情報価値。


 欧州情勢との関係。


 偽情報の疑い。


 商人の取引の癖。


 取引先勢力の偏り。


「これは、現場の役人には全て押しつけませぬ。通詞や商人の会話から拾った『断片的な情報』だけを江戸へ送らせ、こちらで全てを繋ぎ合わせて整理・分析します」


「……なるほど」


 俺は深く頷いた。


「現場の役人に『欧州の情勢を分析して書け』なんて無理に決まってます。最低限の事実記録だけを現場にやらせて、高度な情報分析は江戸側で一括して引き受けるべきです」


 これで、制度は机上の空論から、少しだけ現実の運用へと近づいた。


 *


 だが、江戸でその莫大な「情報の断片」を分析し、名寄せし、真偽を判定するには……絶望的なまでに人手が足りない。


 ここで、旧正月の宴で大御所様が蒔いた伏線が、見事に回収されることになった。


 公家文書御用の公家たちと、大名家から押し寄せてきた三男四男五男たちが。


 ……この『銀台帳の地獄』へと、容赦なく大量投入されたのだ。


 ただし、いきなり彼らを港の最前線へ出すわけではない。


 まずは江戸城内で、基礎的な文官としての訓練を兼ねた実務を叩き込まれる。


 各港から届く、様式のバラバラな報告書の清書と用語統一。


 平戸と長崎の報告書の読み比べによる、矛盾点の洗い出し。


 異国語の、読みにくいカタカナ表記のルール統一。


 商人名、船名、通詞名の名寄せ作業。


 銀の量と対価の、膨大な数字の算盤での照合。


 少しでも疑わしい取引への『印付け』。


 公家文書御用の公家たちは、美しい文字と、正確な文書作成の能力に長けている。


 大名家の三男四男五男たちは、まだ粗削りだが、武家特有の責任感と、徹夜の書類仕事にも耐えうる無尽蔵の体力がある。


 この二者を巧みに組み合わせることで、強引に情報処理のラインを構築したのだ。


(公家の圧倒的な文書力。武家の有り余る余剰男子の体力。……そして、全国の港から毎日届く、地獄のような報告書の山)


 なるほど、これは確かに、最高の実践的な人材育成の場になる。


 ……ただし、最初に育つのは文官の能力じゃなくて、若者たちの『胃痛』だけどな! 


 実際、勘定方の部屋からは、連日悲鳴と混乱の声が上がっていた。


「……拙者、槍を振るうのは不得手ですが、字の綺麗さだけは母上に褒められました! 徹夜で書き写しまする!」


 そう張り切る武家の三男。


「あー、待たれよ。この南蛮の船名、博多と長崎で毎回カタカナの表記が違いますな。……これは同じ船の訛りなのですか? それとも全く別の船なのですか?」


 雅に困惑する公家。


「……そこからなんですよ! まずは表記揺れの名寄せからです!!」


 そう叫びながら指導して回る俺。


 *


 当然ながら、公儀が銀台帳の締め付けを厳しくすれば、商人たちは自分たちの利益を守るために、必死で抜け道を探し始める。


 大量の銀を、目立たないように複数回に小分けにして出す。


 対価品目の欄を、わざと曖昧で読みにくい字で書く。


 ただの豪華な贅沢品を、「南蛮の最新技術品です」と称して誤魔化す。


 南蛮宗門の宗教書を、医学書の束の中に巧妙に紛れ込ませる。


 最新の武器の部品を、「これはただの農具の部品です」と強弁する。


 取引ごとに、船主の名や仲介する通詞を変えて、追跡を逃れようとする。


 俺たちは、それに対抗するための策を次々と打った。


 船ごとの『船印』の厳密な登録。


 通詞の連署による責任の明確化。


 商人の身元を保証する保証人制度。


 同一商人が複数の港で行った取引を、江戸の台帳で一括して名寄せして監視するシステム。


(……商人は、決して国を滅ぼそうとする悪人じゃない。ただ、自分たちの『利益』に忠実に従っているだけだ)


 俺は、帳面を見ながら深く考えた。


(だから、罰則だけで縛ろうとすれば、絶対に新しい抜け道を探して潜っていく。……大事なのは、『公儀の帳面に正直に書いた方が、結果的に自分たちも得になる』というシステムにすることだ)


 俺がそう考えていると、大御所・家康が、全体の動きを見て重い釘を刺してきた。


「国松。正純。……商人を、あまり締めすぎるなよ」


「大御所様?」


「商人を、ただの盗人扱いばかりして力で押さえつければ、銀は必ず、公儀の目の届かぬ『闇』を通って外へ流れるようになる。……公儀の帳面から完全に消えてしまった銀こそが、国家にとって最も危ういのだ」


 それは、天下を治める者の、深い商人観だった。


 商人を、無防備に信用しすぎてはいけない。


 しかし、強引に潰してもいけない。


 適度な利を与えて、公儀の帳面の内側で動かす。


 見える明るい場所で、しっかりと稼がせる。


 決して、見えない裏の海へ逃がさない。


(……締めつけすぎると、闇市化する。俺が昔やった、酒造制限の時と同じだ。全部を力で禁止すれば、全部が地下に潜ってコントロール不能になる)


 俺たちは、政策の落とし所を調整した。


 銀取引の完全禁止ではない。


 正確に申告した商人には、次回の取引の優先権を与える。


 公儀の求める有用な技術や情報を持ち込んだ者は、大いに評価して関税を優遇する。


 その代わり。


 虚偽の申告、南蛮宗門の宗教工作、武器の密輸を行った者は、公儀を欺いた罪として一発で港から永久追放し、重罰に処す。


 商人の利益も認めつつ、公儀の安全保障の枠内に収める。


 そのギリギリのバランス調整だった。


 *


 そして、この地獄のような苦労を重ねて作り上げた銀台帳が、ついに最初の小さな成果を出した。


 長崎からの報告書の束を、江戸で名寄せし、平戸からのオランダ商人の情報と突き合わせて分析していた時のことだ。


 ある南蛮商人が、普段より多い不自然な量の銀を求め、その対価として「精巧な時計」と「大量の医学書」を出すと申し出てきた記録があった。


 だが、裏控えの断片情報を繋ぎ合わせると、その商人の船は、現在欧州の争乱の火種となっている地域で、深刻な戦費不足に苦しむ『ある勢力』と極めて関わりが深いことが判明したのだ。


 今までなら、「時計と医学書が手に入るなら」と、現場の役人が見過ごして大量の銀を渡していたかもしれない。


 だが、銀台帳のシステムによって、情報が繋がり、アラートが鳴った。


 俺と正純は、即座に現場へ指示を出した。


『取引自体は止めるな。だが、渡す銀の量は規定の半分に抑えよ。対価は医学書と時計、薬種のみに限定し、少しでも武器・火薬・宗教書が混ざっていないか、検分を通常の三倍に強化せよ。……そして、その商人に、さらなる欧州の追加情報の提供を求めよ』


 これによって、日本の銀が過剰に欧州の戦火に注がれるのを防ぎつつ、欲しい技術だけを的確に吸い上げることに成功した。


(……銀台帳は、ただ現場の役人と俺たちを苦しめるだけの無駄な帳面じゃない。……実際に、海を越えた国家の危機を未然に防ぐ、強力な判断材料になるんだ)


 *


 俺は、長崎から届いた最初の銀台帳の束を、静かに閉じた。


 ふと、昔、村の水争いを止めるために作った『水札』のことを思い出した。


 あの時は、村の小さな水口の開閉を、木札で記録して管理した。


 そして今は。


 ……海を越える莫大な銀の流れを、この銀台帳という帳面で記録している。


(……田んぼの水口で、水の流れを札にした。今度は巨大な港で、銀の流れを帳面にする)


 水も、銀も。


 流れそのものは、絶対に止められない。


 無理に堰き止めて閉じ込めようとすれば、必ずどこかで腐るか、堤防を壊して溢れ出す。


 だから、どこへ流れたかを、しっかりと『見る』しかない。


 いつ、誰が、どれだけの量を、何のために流したかを、正確に記録し続けるしかないんだ。


 ……つまり、この分厚い銀台帳は。


 俺が田んぼで作った水札の、『海バージョン』なのだ。


 俺は、窓の外の江戸の空を見上げた。


 田んぼの泥にまみれて水口を直すことから始まった俺の仕事は、ついに、海の向こうの血みどろの戦争へ流れる『銀の水口』までを見張り、管理することになってしまった。


 ……本当に、どこまで行っても、俺は『水』と『帳面』の地獄から逃げられないらしい。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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