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暴君忠長に転生したので、兄上のために日本列島をメンテします 〜SFチートのはずが、田んぼと水路と寺社ノードの保守係なんですが〜  作者: パラレル・ゲーマー
第六部・早く訪れた太平の世編

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第78話 ローマ法王、徳川の声を聞く

 端末が、視界の端で淡く光った。


『ローマ法王宛て密封箱:開封条件に接近』


『外封解除済みの可能性:高』


『法王本人前での内封開封:一時間以内に発生する確率、極大』


『江戸側水鏡・同期準備を推奨』


「……おっ。そろそろだ」


 俺は、山のような書類に囲まれたまま、思わずそう呟いた。


 次の瞬間、全身の血の気が一気に引いた。


「そろそろだ、じゃない! 全員呼ばないと!」


 俺は筆を放り出し、慌てて立ち上がった。


 ローマ法王宛ての密封箱。


 慶長十八年、伊達政宗公の遣欧使節に託した、徳川公儀の「声」を封じた箱。


 それが今、遥か海の向こう、ローマで開かれようとしている。


 つまり。


 徳川家康、徳川秀忠、伊達政宗、そしてローマ法王パウロ五世が、水鏡を挟んで顔を合わせるという、世界史の正気を疑う会談が始まるということだ。


「やばい。胃が痛い。でも呼ばないと。呼ばないと本当に詰む!」


 すぐに使いを走らせた。


 家康、秀忠、竹千代、そして江戸に待機していた伊達政宗。


 呼び出された面々は、すでに以前の会議で話を決めていたため、事情を聞いてすぐに動いた。


「ついに開くか」


 家康は、静かにそう言った。


「ローマと繋がるのだな」


 秀忠も、険しい顔で頷く。


「国松。失言禁止だ」


 竹千代は、開口一番それだった。


「まだ何も言ってません!」


「これから言うかもしれぬから先に言っている」


「信用がない!」


 伊達政宗公だけは、むしろ楽しそうに目を輝かせていた。


「来ましたか。海の果てへ送った箱が、ついに返事をする時が」


 この人、本当に胆が太い。


 いや、あのローマ法王と超常通信するんですよ? 


 もう少し緊張してください。


 *


 江戸城の奥座敷。


 今回は参加者を絞った。


 家康、将軍である秀忠、竹千代、俺、そして伊達政宗公。


 天海殿や崇伝殿にも報告は入れてあるが、初回通信の場には入れない。ローマ法王との初接触など、あまりに危険で、あまりに情報量が多すぎる。


 俺は水鏡の前に座り、神仏ノード経由で接続状態を確認した。


「えー、向こうは今、箱を開封中です。……あー、結構、周りに人がいますね」


「見えるのか」


 家康が問う。


「まだぼんやりですが、人数の気配は拾えます。法王猊下お一人ではありません。枢機卿っぽい方、記録役っぽい方、スペイン側の関係者、ソテロ神父、支倉常長殿……けっこういます」


「むしろよい」


 竹千代が静かに言った。


「複数人が見れば、後で幻として片づけられぬ」


「ですね。じゃあ、こちらも全員見切れないようにします」


 水鏡を広げる。


 最初は膳の上に置いた水盤程度の大きさだった水面が、神仏ノードの補助を受けて、座敷の中央でゆるやかに広がっていく。


 横長に。


 まるで舞台の幕のように。


「兄上、ちょっち右へ」


「ちょっち?」


「少し右へ、です」


「最初からそう言え」


「大御所と父上、少しだけ前にお願いします。政宗殿、ちょっと格好つけすぎると端に寄りすぎるので、もう半歩内側へ」


「ははは! 海の向こうへ顔を見せるにも、立ち位置が重要とは。まるで舞台ですな」


「実際、歴史的な舞台ですからね。えー、音声翻訳起動。意味補正接続。音量自動調整。マイク……じゃなくて、音を拾う理の位置を調整します」


「まいく、とは何だ」


 竹千代が即座に突っ込む。


「忘れてください。音を拾う場所です」


「お前は時々、聞き慣れぬ言葉を当然のように使う」


「今はそこ掘らないでください。胃が死にます」


 俺は深呼吸し、全員の位置を確認した。


「はい。これで全員入ります」


 *


 接続前の最終確認に入る。


「繋がった直後、ローマ側はまず間違いなく混乱しています」


「であろうな」


 家康は平然としている。


「最初に私が最低限、通信の仕組みを説明します。ただし、私は説明役だけです。その後はほぼ喋りません」


「本当に喋らぬな」


 竹千代の圧が強い。


「兄上、圧が強いです」


「必要な圧だ」


 俺は諦めて頷いた。


「最初に言う内容は決めています。これは日ノ本の神の理で、江戸とローマを一時的に繋いでいること。言葉は日ノ本の神の理により、互いに理解できる形に整えられていること。これはキリスト教の神の奇跡ではないこと。ただし悪意あるものではなく、直接話すための手段であること。その後、伊達政宗殿が挨拶し、大御所と父上が公儀としてお話しする。この流れで行きます」


「奇跡と言われたらどうする」


 家康が問う。


「日ノ本の神の理、と説明します。キリスト教の神の奇跡ですか、と問われたら、違うと明確に言います。ただし、相手の信仰を否定する言い方はしません」


「悪魔の術と言われたら」


 秀忠が尋ねる。


「まず話を聞いてください、と言います。こちらに害意がないこと、支倉殿と箱が無事であること、そして箱を壊さなかったからこそ対話できたことを示します」


「最初は私ですな」


 政宗公が口元を吊り上げる。


「はい。政宗殿は、あくまで使節を送った主として、丁重な謝意をお願いします。布教の自由や教会建設は、絶対に匂わせないでください」


「分かっております。伊達は扉を叩く。徳川が中へ入る。でしたな」


「はい」


 家康が頷く。


「その後は儂が話す」


「必要ならば私が補う」


 秀忠が続ける。


「国松が余計なことを言いそうなら、私が止める」


 竹千代が当然のように言った。


「完全に危険物扱いじゃないですか」


「違うのか?」


「違うと言い切れないのがつらいです」


 その時、端末表示が切り替わった。


『内封開封を確認』


『水鏡同期開始』


『意味補正接続準備』


『音声翻訳:起動』


『視覚同期:起動』


『接続まで、十』


「来ます。十秒前です」


 座敷の空気が、一瞬で張り詰めた。


 家康は静かに座り、秀忠は手元の台本に目を落とす。


 竹千代は俺の横に座り、いつでも俺の口を塞げる位置にいる。


 政宗公は笑っているが、その独眼は鋭く光っていた。


「三」


 水面が淡く光る。


「二」


 遠い石造りの部屋の気配が、水の向こうから滲む。


「一」


 俺は息を止めた。


「零」


 水鏡が、繋がった。


 *


 水面の向こうに、ローマの石室が映った。


 豪奢な法衣をまとった老人。


 おそらく、あれがパウロ五世。


 周囲には、枢機卿と思しき聖職者たち、秘書官、記録官、スペイン側の関係者、ソテロ神父、そして支倉常長殿。


 向こうも、こちらを見ている。


 いや、見ているというより、完全に凍っていた。


 枢機卿たちは口を開けたまま動かない。


 記録官のペンが止まっている。


 ソテロ神父は十字を切った姿勢で固まっている。


 支倉常長殿は、水鏡の中に映った政宗公を見て、目を大きく見開いていた。


 そりゃそうだ。


 海の果てのローマで、目の前にいるはずのない主君が、江戸から自分を見ているのだから。


 俺は、事前に決めていた通り、ゆっくりと口を開いた。


「ローマ法王猊下」


 意味補正が働く。


 俺の日本語は、向こうには向こうの理解できる言葉として届いているはずだ。


「これは、日ノ本の神の理により、日ノ本の江戸と、そちらローマの場を一時的に繋いでおります」


「また、こちらが話す内容は、日ノ本の神の理により、そちらの方々が理解できる形に整えられます。同様に、そちらの言葉も、こちらに理解できる形で届きます」


 俺は、できるだけ丁寧に、ゆっくり続けた。


「この後、まずは伊達政宗殿より、ご挨拶申し上げます。その後、徳川公儀より、正式にお話しいたします」


「ここまで、よろしいでしょうか?」


 反応がなかった。


 完全なる沈黙。


 誰も動かない。


 誰も喋らない。


 俺の背中に、冷や汗が滲んだ。


(……え? 何かミスった? 翻訳できてない? 音声届いてない? 映像だけ? いやでも向こうこっち見てるよな? え、致命的なバグ?)


 俺は内心で、全力で叫んだ。


(KAMI様! これ、固まってるんですけど!? 接続失敗ですか!?)


 脳裏に、いつもの軽い声が響く。


『あー、フリーズしてるわね』


(フリーズ!?)


『少し待てば大丈夫よ。あんたのシステムはミスしてないわ。目の前で時空越え通信を見せられたら、人間はだいたい一回固まるのよ』


(分かった、サンキューKAMI様……!)


 俺は表情だけは崩さず、静かに微笑んだ。


「現実を受け入れるのに、少し時間が必要なようですね」


 できるだけ落ち着いた声で続ける。


「こちらは、いくらでも待ちます」


 横で竹千代が小さく言った。


「今の堂々たる間の取り方は、悪くない」


「褒められてるのに怖いです」


「余計なことを言うな」


「はい」


 *


 やがて、ローマ側で小さな囁きが起き始めた。


「これは幻か……?」


「全員が見ております」


「日本の悪魔の術では……」


「しかし、支倉殿は無事です」


「政宗公……なぜ、政宗公がそこに……」


 ソテロ神父が、震える声で呟く。


 支倉常長殿は、政宗公の姿を見つめたまま、深く、深く頭を垂れた。


「我が主……」


 その中で、誰よりも早く現実を受け入れたのは、パウロ五世だった。


 彼は、完全に理解したわけではないだろう。


 だが、今起きている現象を否認しても無意味だと判断したのだ。


 教皇は、ゆっくりと口を開いた。


「我らは、受け入れました」


 その声は、まだわずかに震えていた。


 しかし、確かに会話の意思があった。


「これが幻ではなく、我ら全員の前に現れている現実であることを」


 パウロ五世は、俺を見た。


「これは、神の奇跡ですか」


 来た。


 ここは、絶対に間違えてはいけない。


 俺は深く息を吸い、答えた。


「キリスト教の神による奇跡ではありません」


 ローマ側に、明らかな動揺が走る。


 俺はすぐに続けた。


「これは、日ノ本の神々の理により、こちらとそちらを一時的に繋いだものです。ただし、我らは猊下の信仰を否定するために、これを用いているのではありません」


 水鏡越しに、パウロ五世の目を見た。


「話すために、用いております」


 長い沈黙。


 パウロ五世は、己の信仰と、目の前の現実とを、胸の内で必死に折り合わせているようだった。


 やがて、彼は静かに頷いた。


「そうですか」


 その声には、苦渋と、覚悟があった。


「ならば、我らはこの出来事を、まず対話のために与えられたものとして受け止めましょう」


 パウロ五世は、まっすぐにこちらを見た。


「会談を始めます」


 俺は、胸の内で大きく息を吐いた。


(すごい。この人、ちゃんと現実を受け入れた……!)


 *


「では、伊達政宗殿。お願いいたします」


 俺が促すと、政宗公が堂々と一礼した。


 水鏡の向こうで、支倉常長殿がさらに深く頭を下げる。


「ローマ法王猊下」


 政宗公の声は、よく通った。


「奥州仙台の伊達政宗にございます」


 ローマ側が、またざわめく。


 伊達政宗。


 支倉常長たちを送り出した主君。


 その人物が、今、ローマではなく江戸に座りながら、法王と顔を合わせている。


「我が家臣、支倉常長らを、長き旅の果てに迎え入れ、御前にて言葉を聞いてくださったこと。まず、深く御礼申し上げる」


 政宗公は、ゆっくりと頭を下げた。


「彼らは、我が命を受け、海を越えました。その労を無駄にせず、ここまで導いてくださった方々にも、伊達より感謝申し上げる」


 支倉常長殿の肩が、かすかに震えた。


 ソテロ神父は、複雑な表情で政宗公を見つめている。


 政宗公は続けた。


「されど、日ノ本という国の大政は、我が伊達一門が定めるものではございませぬ」


 ここが、大事な一言だった。


「我が使節は、ただ海の扉を叩いたに過ぎませぬ。この先、国としての言葉を述べるのは、徳川公儀にございます」


 ローマ側の空気が変わった。


 パウロ五世の目が鋭くなる。


 この伊達政宗という男は、単なる地方の野心家ではない。


 自らの立場と徳川の上位性を理解したうえで、ローマへの橋渡し役に徹している。


 そう伝わったのだろう。


 政宗公は最後に、静かに一礼した。


「伊達は、海の扉を叩きました。どうか、この後に続く徳川公儀の言葉を、お聞き届けくだされ」


 *


 家康が、ゆっくりと前へ出た。


 ローマ側の視線が、政宗公から家康へ移る。


 派手さはない。


 若さもない。


 だが、画面越し──いや、水鏡越しですら分かる圧がある。


 あの場にいた者たちは、直感したはずだ。


 この老いた武家こそが、日本の真の支配者だと。


「ローマ法王猊下」


 家康は、静かに口を開いた。


「徳川家康である」


 その名が、神仏ノードの意味補正を通じて、ローマ側へ届く。


 枢機卿たちが息を呑む。


「まず、伊達政宗が遣わした支倉常長らを丁重に迎え入れてくださったこと。日ノ本の公儀として、礼を申す」


 家康は続けた。


「伊達の使節は、伊達の夢のみを運んだのではない。日ノ本が海の向こうを見ていることを示すものでもある。故に、この箱を乗せた」


 この一言で、ローマ側は理解しただろう。


 徳川は、最初から見ていた。


 伊達の船が海へ出ることを。


 支倉常長がローマへ向かうことを。


 そして、その場を利用して、自らの声を届けることを。


 *


 続いて、秀忠が口を開いた。


「私は、徳川秀忠。日ノ本の征夷大将軍である」


 ローマ側の空気が、さらに引き締まった。


「ここからは、公儀の法として申し上げます」


 秀忠は、静かに、しかし逃げずに告げた。


「日ノ本では、キリシタンの教えについて、禁制を敷いております」


 ローマ側に、衝撃が走った。


 枢機卿たちがざわめき、ソテロ神父が青ざめる。


 支倉常長殿も、息を呑んだ。


 彼らは噂として聞いていた。


 日本でキリスト教への圧迫が強まっていると。


 だが今、それは噂ではなく、徳川公儀本人からの正式な通告となった。


「これは噂ではありません」


 秀忠は、さらに言った。


「徳川公儀の正式な方針です」


 パウロ五世の顔が、苦痛に歪んだ。


 だが、彼は話を遮らなかった。


 秀忠は続ける。


「ただし、我らは、そなたらの信仰そのものを嘲り、蔑むために禁じるのではありません」


「日ノ本の民が、異国の権威と結び、公儀の法の外に、別の命令系統を作ることを防ぐためです」


 家康が、そこで言葉を引き継いだ。


「我らが恐れるのは、そなたらの神そのものではない」


 その声は、老いてなお鋭かった。


「信仰と、海を越える軍事の力、商いの力、異国の王の命令が、一つに結びつくことを恐れている」


「宣教師が民を組織し、領主や商人と結び、海の向こうの国々と繋がるならば。それは信仰であると同時に、政治である」


 家康は、パウロ五世をまっすぐ見据えた。


「政治であるならば、日ノ本を治める公儀は、それを見過ごすことはできぬ」


 *


 パウロ五世は、そこで初めて強く反論した。


「信仰は、神と人の魂の問題です」


 その声には、世界宗教の頂点に立つ者としての信念があった。


「それを全て政治として扱い、弾圧することは、我らには受け入れがたい」


 家康は、頷いた。


「承知しておる」


 その返答に、ローマ側がわずかに戸惑う。


 家康は、相手の反論を否定せず受け止めたうえで、静かに返した。


「だが、日ノ本の地で、その信仰を広める者が、同時に異国の船と兵と王の影を連れて来るならば。我らはそれを、魂だけの問題とは見られぬ」


 パウロ五世は沈黙した。


 完全には納得していない。


 だが、徳川の恐れが単なる迷信や無知ではなく、国家防衛の論理に基づくものだと理解し始めていた。


「猊下」


 俺は、短く補足するために口を開いた。


 竹千代の視線が横から刺さる。


 分かってます。余計なことは言いません。


「日ノ本は、外の知恵を拒む国ではありません」


 俺は、慎重に言葉を選ぶ。


「商人、薬種、医学、天文、暦、航海術、測量、建築技術、書物、時計、望遠鏡。そうしたものを運ぶ者を、日ノ本は拒みません」


 そして、決めていた言葉を言った。


「ただし、知恵と、信仰と、兵が、一つの船に乗って来るというのなら。我らはそれを、厳密に分けて受け取らねばなりません」


「そこまでだ」


 竹千代が小声で言った。


「はい」


 俺はすぐに口を閉じた。


 自分でもびっくりするほど従順だ。


 *


 秀忠が制度の説明へ移った。


「日ノ本は、海を閉ざすつもりはありません」


 ローマ側の空気が少しだけ動く。


「ただし、全ての船、人、荷は、公儀の定めた港で登録し、検分を受け、許しを得ることになります」


「ローマより医師や学者、技術者が来る場合も同じです」


 秀忠は、明確に言い切った。


「法王の使いであっても、日ノ本の法の外には置きません」


 パウロ五世が問う。


「ローマの使者も、そなたらの港の法に従えと」


「日ノ本に入る者は、日ノ本の法に従っていただく」


 秀忠は、揺るがない。


「その代わり、法に従う限り、商いと学問の道を閉ざすつもりはありません」


 パウロ五世は、しばし沈黙した後、静かに言った。


「閉ざすのではなく、囲うのですね」


「その通りです」


 秀忠が答える。


 この瞬間、ローマ側は徳川の本質を一つ理解した。


 徳川は海を閉ざすのではない。


 窓を開けたまま、周囲に厳重な格子を嵌める政権なのだ。


 *


 パウロ五世は、避けられない問いを口にした。


「では、日本にすでにいる信徒たちは、どうなるのですか」


 座敷にも、ローマの石室にも、緊張が走った。


 家康が答える。


「無用な流血は望まぬ」


 パウロ五世の目が動く。


「だが、公儀の法を拒み、外国の命令に従い、密かに徒党を組むならば許さぬ」


 家康は続けた。


「信仰を内に秘め、公儀の法を守り、民として静かに暮らす者を、ただちに殺し尽くすつもりはない」


「しかし、宣教師が彼らを組織し、領主を動かし、外の国と繋ぐならば、それは禁じる」


 パウロ五世は、深く苦しげに眉を寄せた。


「我らの信徒が、信仰を告白することすら許されないのなら、それは我らにとって苦しいことです」


「承知しておる」


 家康は、静かに答えた。


「だが、我らにも国を守る苦しみがある」


 それは、完全な合意ではなかった。


 むしろ、相容れない痛みがそこにはあった。


 信仰を守りたい者の痛み。


 国を守りたい者の痛み。


 互いに相手の立場を完全には受け入れられない。


 だが、それでも相手が何を恐れ、何を守ろうとしているのかだけは、理解できる。


 それが、この初回会談の最も大きな成果だった。


 *


 長い沈黙の後、パウロ五世が口を開いた。


「我らは、そなたらの禁教の法を、喜んで受け入れることはできません」


 その言葉は当然だった。


「しかし、そなたらが信仰そのものを嘲るためではなく、国を守るために恐れていることは理解しました」


 ローマ側の枢機卿たちが、静かに息を呑む。


「また、そなたらが海を完全に閉ざすつもりではないことも、理解しました」


 家康は頷いた。


「理解していただけたならば、それでよい。今日、全てを決めるつもりはない」


「我らもまた、今日全てを決めることはできません」


 パウロ五世も、同じように答えた。


 ここで、俺は小声で秀忠に進言した。


「次回の予定を」


 秀忠はわずかに頷き、口を開いた。


「本日は、互いの顔と声を知るだけで十分でしょう」


 そして、正式に提案する。


「十日後、同じ時刻に、再びこの水鏡を開きたい」


 ローマ側に、またざわめきが走る。


「その時は、今日の話を踏まえ、具体的に何を受け入れ、何を禁じるか。どのように信徒を扱い、どのように学問と商いの道を開くか。より詳しく話し合いたい」


 パウロ五世は、周囲を見た。


 枢機卿たちは動揺している。


 秘書官は険しい顔で頷いている。


 記録官は必死に書いている。


 スペイン側の関係者は、何か言いたげに唇を噛んでいる。


 ソテロ神父は、半ば魂が抜けたような顔で立ち尽くしている。


 支倉常長殿は、静かに頭を垂れている。


 パウロ五世は決断した。


「十日後。同じ時刻に」


 その声には、先ほどよりも強い芯があった。


「我らも、この出来事を祈り、記録し、考えねばなりません。そして、そなたらの言葉にどう向き合うべきかを、我らもまた整えねばならぬ」


「よい」


 家康が短く答えた。


 俺は内心で、畳に突っ伏したいほど安堵した。


(よし……初回会議、破綻しなかった……!)


 *


 最後に、通信終了の手順を説明する。


「では、十日後の同じ時刻に、再びこの水面を通じて繋ぎます」


 俺はローマ側へ向けて言った。


「箱は壊さず、清らかな水を絶やさず、火や刃を近づけないでください。通信が終わると、水面は静まります」


「分かりました」


 パウロ五世が頷く。


「では、本日の通信を閉じます」


 俺がそう言うと、水鏡の光がゆっくりと弱まっていった。


 最後に見えたのは、厳しいが現実を受け入れたパウロ五世の顔。


 恐怖と混乱に揺れる枢機卿たち。


 震えながら記録し続ける記録官。


 政治的危機を察したスペイン側の関係者。


 完全に打ちのめされたソテロ神父。


 そして、任務を果たした武士として、深く頭を垂れる支倉常長殿の姿だった。


 やがて水面が静まる。


 江戸城の奥座敷にも、重い沈黙が落ちた。


 俺は、そのまま畳にへたり込んだ。


「……終わった……生きてる……!」


「余計なことは、ほとんど言わなかったな」


 竹千代が冷静に評価する。


「ほとんどって何ですか。ちゃんと抑えましたよね?」


「抑えた方だ」


「方!」


 秀忠が深く息を吐いた。


「初回としては上々だ。法王は怒りを飲み込んだ。こちらも線を引いた。対話は続く」


 家康は、水鏡の静かな水面を見つめながら言った。


「ローマ法王。なかなか肝が据わっておる」


 その声には、わずかな感心があった。


「あの場で騒がず、逃げず、聞いた。あれは侮れぬ」


 政宗公が笑う。


「いやはや、実に面白い。海の向こうの法王猊下と、こうして顔を合わせて話す日が来ようとは。……支倉も、腰を抜かさずよく耐えましたな」


「ソテロ神父は、たぶん魂抜けてましたけどね……」


「次は十日後だ」


 竹千代が現実に引き戻す。


「今度は相手も準備してくる」


「ですよね……今回より厳しくなりますよね……」


 家康が、楽しげに笑った。


「次こそ本当の交渉じゃ」


「胃が痛い……」


 *


 初回の水鏡会談は、破綻しなかった。


 ローマ法王は、目の前で起きた未曾有の出来事を否定せず、叫ばず、逃げず、精一杯受け止めた。


 徳川公儀は、禁教令という冷たい線を引きながらも、海と知恵の道は閉ざさないと告げた。


 互いに納得したわけではない。


 互いに、心の底から相手を信じたわけでもない。


 だが、少なくとも。


 十日後、同じ時刻に、もう一度話すことだけは決まった。


 江戸とローマ。


 これまで一度も同じ卓についたことのない、全く異なる論理で動く二つの世界は。


 一本の小さな水面を挟んで。


 かろうじて、細く、しかし強靭な対話の糸を結んだのである。



最後までお付き合いいただき感謝します。


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― 新着の感想 ―
なんか外国とか外の問題にばっかり注目してるけど、内側に残って時限式に大きくなる最大の爆弾は思い出さないでいいの? 東北の一部から蝦夷、樺太辺りまではアイヌ神話系統ノードが強い土地だし、国内インディア…
日頃の行いとはいえ国松への扱いw
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