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祈りの天秤  作者: 青野 乃蒼
第二章 願いと代償

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8/21

1 選ばせてください

加治くんがケガで学校に来れなくなってから、二週目に入っている。

この間、翔太は幸と不幸の板挟みに遭い、複雑な感情に苛まれていた。


幸は学校に加治くんがいないこと。

期待した通り、誰からも嫌がらせを受けることはなく、ノンストレスで穏やかな日々を過ごせている。

 

不幸は、お父さんとお母さんが喧嘩をして、お父さんが家を出ていってしまったこと。

未だにお父さんは帰ってこず、お母さんの機嫌は少し悪いまま。

 

今までは、学校は辛い場所で家は安らげる空間だったのに、今やその天秤は反対に傾きつつある。


傾ききってしまうのだけは、絶対に嫌だ。

もしそうなってしまったら、いずれ加治くんは学校に復帰して学校は辛い場所に逆戻りするのだから、家も学校も辛い場所になる。


そんなのは耐えられない。

お願い、お父さん、お母さん。どうか早く仲直りしてください。


何もできない翔太は、祈るしかなかった。





今日こそは帰ってきてくれるといいんだけど、と淡い期待を寄せながら登校すると、靴箱に翔太の上履きがなかった。


なんでないんだろう。

昨日はちゃんと靴箱に入れて帰ってきたし、上履きの踵部分には名前を書く決まりになっているのだから、誰かが間違えて履くこともないのに。


翔太は一旦棚から距離を取り、五年生の靴入れを全て視界に収め、ざっと確認する。

ほとんどの生徒が既に登校していて、上履きは二個しか置かれていない。

それに、二個とも踵には『瀬戸』ではない文字が書かれている。


こうなるともうお手上げだ。自分がうっかり他の靴入れに置いてしまったわけでも、クラスメイトが間違えて自分の上履きを取ってしまったわけでもない。


これは故意、翔太への嫌がらせに他ならない。

加治くんがいなくても、誰かがその役目を引き継いで、結局自分は嫌がらせを受けるんだ。


平穏な日々はもう終わってしまったんだ。



辛い現実に落胆しながらも、翔太は捜索を続行した。


最初に六年生の棚を見る。六年生も同じようなもので、上履きはほとんどない。置いてあるのも翔太のものではなかった。


翔太は反転して、五年生の棚を通り過ぎ、四年生の棚から見ていく。


四年生の棚にもなく、三年生の棚にもないことを確認したところで、体育教師の木村先生がやって来た。校門で生徒に挨拶をしていたから、引き上げてきたのだろう。


「瀬戸、そんなとこで何してる?」

「あ、いや、その……、上履きが、なくて……」


木村先生が眉間に皺を寄せる。


「上履きがない? ほんとか?」

「はい。それで今、三年生の棚を探してました」

「自分のクラスのとこはちゃんと見たのか?」


木村先生はそう言って、五年生の棚に向かう。

翔太も木村先生の後ろをついていった。

 

五年生の棚の前に二人して立つ。

途端、木村先生は翔太の靴入れの位置を聞くこともなく、ある一点を指差した。


「あれは違うのか?」

「えっと、あれってどれですか?」

「あぁ、そうか。お前には見えんのか」


木村先生は棚の上に手を伸ばした。腕が縮められた時、手には上履きが掴まれていた。踵の部分が翔太に向けられる。


そこには『瀬戸』と書かれていた。


この棚は結構高さがあって、反面背の低い翔太は、背伸びをしても棚の上を見ることができない。死角ゆえの盲点だった。


「僕のです」

「だろうな。でも、何でこんなところにあるんだ? 瀬戸ではここに置けんだろう」


話がこういう流れになるのは至って自然だ。

だが、翔太には良くない流れだった。

 

翔太の知らぬ間に、翔太には見えない位置に、上履きが置かれていた。それは紛れもなく()()()()ということであり、場合によってはイジメを疑うこともあるだろう。特に、被害者が翔太のような内気な生徒なら尚のことだ。


翔太はそうなることは避けたかった。


これぐらいの嫌がらせなら耐えられる。こういうのは、黙って耐えて受け流すのが一番だ。なのに、事を荒立てて相手を刺激してしまったら、嫌がらせはますますエスカレートしてしまう。

どうにかして木村先生が疑わないようにしなければ。


翔太は頭をフル回転させ、上履きが棚の上に置かれていることが不自然ではない理由を考えた。


「あ、思い出しました!」

「何を?」

「昨日、帰り際に靴入れを見たら中が汚れていたので、中に入れたくないなと思って、友達に棚の上に置いてもらったんでした。寝たらすっかり忘れてました」

「なんだよ、まったく。人騒がせなやつだな」


木村先生にコツンと頭を小突かれる。


どうやらごまかせたらしい。


「もう朝の会が始まるぞ。早く教室に行け」

「はい、すみませんでした」


翔太は頭を下げて、足早に教室へと向かった。




ドアを開けると、みんなが一斉に振り向いて翔太を見た。既に予鈴は鳴っていたので、みんなの注目を集めることは分かっていたが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。


「瀬戸くん、おはようございます。早く席に着いてねー。朝の会始めるよ」


越智先生の言葉通り、翔太は俯き加減で自席に向かう。

みんなが徐々に姿勢を戻していき、ようやく翔太は視線から解放された。

 

翔太が自席に着いたことで、朝の会は開始された。

その最中、後方からひそひそと話す声が耳に入ってきた。


「あいつ、上履き履いてるぞ」

「それな。俺も思った。あいつ、あの身長でよく分かったな」

「ほんとそれ。見つけらんなくて、絶対靴下のまま来ると思ってたのに。ちょっとしらけたわ」

「俺もそれ期待してたわ、ちょい残念」


その後は別の話題に移ったようで、翔太には分からない内容だった。


今の会話だけでは、誰が翔太の上履きを隠したのかは分からなかった。

でも二人が、今朝の悪行に少なからず関与していることは間違いない。

 

なぜなら一人は、加治くんといつも(つる)んでいる村上くんなのだ。

ややもすれば、主犯の可能性だってある。

 

犯人が村上くんであろうとそうでなかろうと、今回が不発に終わったので、また仕掛けてくるだろう。

今回は隠すにしては比較的見つけやすい場所だったし、木村先生が見つけてくれたおかげでなんとかなったが、これ以上難易度を上げられたら、きっと見つけられない。


翔太はその日から、少し面倒だとは思いながらも、上履きを家に持って帰るようにした。




翌朝、自席に着いた翔太は、机の左下隅に落書きされていることに気づいた。


何が書いてあるのだろうとよく見てみると、そこには走り書きしたような崩れた文字で小さく、『逃げられると思うな』と書かれていた。


これは、脅迫であり犯行予告だ。


翔太は怖気を感じた。逃げられないのだと悟った。この空間にいる限り、翔太はどうしたってこういう役回りになる運命なのだなと観念し、辟易した。




美術の授業前、翔太はロッカーに美術バッグを取りに行った。

美術バッグには、絵具や筆、パレットなど、美術の授業で使う道具一式が入っている。

 

あれ、いつもより少し軽いような……。

 

バッグを持った瞬間、そんな気がした。だが、美術の授業は一週間に一度あるかないかの頻度で、毎日バッグを持っているわけではない。


翔太は気のせいだろうと片付けて、美術室に向かった。



授業が始まってバッグを開けようとジッパーを開いた時、先ほど感じた軽さが勘違いではなかったことが証明された。


バッグの中に入っているはずの絵具が、箱ごとごっそりなかった。


バッグの中に入っていないことは疑いようもないが、他に探す場所もない。

翔太はバッグの中身を全部出して確認した。


絵具は一つもなかった。

 

翔太がどうしようかとおろおろしていると、なぜか村上くんが声を掛けてきた。


「瀬戸ぉ、そんなに慌ててどうした?」

「えっと、絵具を忘れたみたいで……」

「もしかして、これじゃないのか?」


村上くんの手には絵具箱が握られている。

表の記名欄には『瀬戸翔太』と書かれていた。


「あ、うん。僕のだね。でもどうして村上くんが……」

「あぁ、さっき落ちてたのを拾ったんだ」

「そうだったんだ。拾ってくれてありがとう」

「いいってことよ、気にすんな」


村上くんはそう言って、自分の席に戻っていった。


翔太は一応礼を言ったが、正直不審に思っていた。

バッグはロッカーから出して持ち上げた時には軽かったし、ジッパーは閉まっていた。美術室までの道中で落とすはずもない。それに何より、受け取った絵具箱は中身が入っていないかのように軽い。


絶対に何かされている。

 

翔太は恐る恐る箱を開けた。


果たしてそこには、一つも欠けることなく絵具の容器が並んでいた。

だが、容器の中身はどれを見ても空っぽだった。

 

犯人はやっぱり村上くんだったのか――。


翔太が抱いた感想はそれだけだった。


犯行予告されていたから、こういうことをされるであろうことは予想していたし、心の準備もできていた。そもそも準備はいつでもできている。


村上くんはこれで上履きの件の憂さを晴らしたとは思うが、きっとこれだけでは終わらない。暴力だけは絶対に止めてほしいが、こういう嫌がらせも困る。親に無駄な出費を強いてしまうので申し訳ない。


どうせ嫌がらせを受ける運命ならば、その運命を甘んじて受け入れる代わりに、せめて嫌がらせの種類を選ばせてくれればいいのに、と翔太はどうしようもないことを思った。


絵具がなくては絵は描けない。でも勘ぐられたくないので、先生には言えない。


翔太は隣の女子にお願いして黒色を少し分けてもらい、黒色だけで絵を描いた。

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