4 名前を付けてあげたい
犬に出会ってから一週間が経過した。
この間、日曜日だけは家族と遅くまで出掛けていたので行けなかったが、それ以外の日は空き地に行ってパンをあげた。
最初は人助け――ならぬ犬助けと思ってやっていたし、体調が戻ればすぐにいなくなるだろうと思っていた。だが、通っているうちに段々と善意が好意へと変化し、今や一日の唯一の楽しみとなっている。
このままここを住処にするようなら、長い付き合いになりそうだ。
そろそろ名前を付けてあげてもいいかもしれない。
せっかくだし、綾ちゃんにも教えてあげて一緒に考えよう。
翔太はそんなことを考え始めていた。
今日は放課後、加治くんに掃除当番を押し付けられた。やり口は日直の時と同様だ。
いつもなら少し嫌な気分にもなるが、今回はむしろラッキーだと思った。
綾ちゃんも掃除当番だったのだ。
これなら、わざわざ待たなくても一緒に帰れる。帰りに犬のことを話そう。
帰り道、綾ちゃんは翔太の代わりに加治くんの悪口を言いながらぶりぶり怒っていた。
「なんで加治くんは自分で掃除しないの! 意味分かんない。もしかして掃除できないのかな。もう五年生だよ? ホントあり得ない!」
「まあまあ、僕は大丈夫だから。全然気にしてないし」
「もー、翔ちゃんがそうやって何でも引き受けるから。だいたい、翔ちゃんは――」
これはマズい。自業自得だけど、矛先が自分に向いてしまった。
このままだと、ありがたいお説教を帰るまで聞かされることになる。
翔太は綾ちゃんを制止させるべく、強引に話題を変えることにした。
「あ、綾ちゃん! 話があるんだけど……」
「うん、なに?」
「最近ね、家の近くの広い空き地に犬がいるんだけど、一緒に見に行かない?」
「えっ! 犬! 見たい! 行きたい! わたし、犬大好き」
「そっか。じゃあ行こう」
「うん! レッツゴー!」
綾ちゃんは拳を天に突き上げる。さっきまでの怒りが噓のように、笑顔でスキップし始めた。
何とかお説教を受けずに済んで良かったと、翔太は密かにホッとしていた。
気分ルンルンの綾ちゃんと共に空き地に到着。
ざっと見渡したが、犬の姿は見えなかった。
「いないの?」
「いや、いつもあの辺りの茂みに隠れてるんだよ。あそこまで行こう」
翔太は指を差した場所――いつもの茂みのところへ綾ちゃんを連れていく。
しかし、犬は顔を出さない。
少し待ってみたが、やはり出てこなかった。
「あれ、おかしいな。いつもなら出てくるんだけど……」
「散歩にでも行ってるのかな?」
「うーん、そうなのかも」
「あー、ざんねん。ワンちゃん見たかったなー」
「明日はいるかもしれないし、明日もう一回来ようよ」
「うん!」
帰る雰囲気になったところで、翔太はもう一つの用事を思い出した。
「そういえば、そろそろ名前を付けたいと思ってるんだけど、綾ちゃんも考えてくれないかな?」
「え? 名前ないの? 知らない、じゃなくて?」
「う、うん。前はあったかもしれないけど、今はないと思う」
「今はないの? なんで? どういうこと?」
綾ちゃんは、柳眉をひそめて険しい顔になる。
「その犬って、そこの小屋の人が飼ってるんでしょ? 名前ぐらい付けてると思うけど」
「違うと思う。多分誰にも飼われてないよ。だって……」
翔太は、犬と初めて会った日のことを話した。
「そうだったんだ。犬を助けるなんて、翔ちゃんは優しいね。偉い」
「そんなことないよ。綾ちゃんだって、同じ状況だったら助けるでしょ?」
「助けるよ。助けるけど、この犬は翔ちゃんが助けたから生きてるんだよ? 翔ちゃんのおかげ。だから、翔ちゃんは偉いの」
「……うん、ありがとう。それで、名前のことなんだけど」
手放しで褒められると、なんだかちょっと照れくさい。
恥ずかしくて、つい話を逸らしてしまう。
「そうだね。名前付けてあげないとね。どんな犬なの?」
「……どんな?」
「そうよ。大きいとか小さいとか、かっこいいとか可愛いとか」
なるほど、そういうことを答えればいいのか。
「えっと、大きさはこれぐらいで……」
翔太は、手を動かしてサイズ感を示す。
「うんうん」
「多分、柴犬……だと思う」
「なるほど。性別は? 男の子? 女の子?」
「えっ、分かんない」
「なんでよ! そんなの見たらすぐ分かるじゃない!」
「そうなの? 綾ちゃんすごいね。どこ見たらいいの?」
「そんなの簡単よ。チン……が付いてたら男の子でしょ!」
事もなげに話していた綾ちゃんだったが、なぜか途中だけ歯切れが悪くなった。
おまけに顔が赤くなっている。
綾ちゃんが赤面しながら、答えも同然のヒントをくれているにも関わらず、翔太は全く思い当たっておらず、悪気なく追い打ちをかける。
「ごめん、綾ちゃん。途中聞き取れなかった。何が付いてたら男の子なの?」
「んなっ! なに! わざと言わせようとしてるでしょ! 女の子にこんなこと言わせようとするなんて、翔ちゃんの変態!」
「え、な、変態? ど、どういうこと? 全然分からないんだけど。早く教えてよ」
何度でも言うが、翔太は至って真剣である。
綾ちゃんは諦めたのか、まくし立てるように早口で言い放った。
「あぁ、もう! 何で分からないのよ! チンチンよ、チンチン!」
「そっか! 確かに。全然気づかなかった。さすが綾ちゃん。って、あれ? なんで顔隠してるの?」
「翔ちゃんが恥ずかしいこと言わせるからでしょ! バカ!」
「恥ずかしいこと? チンチンって恥ずかしいの?」
「もう! うるさい! 帰る!」
綾ちゃんは言い捨てて、翔太を置いて走って帰っていく。
「あ、待ってよ綾ちゃん! ごめんよー」
翔太も後を追って走ったが、綾ちゃんは最後まで止まってくれなかった。
家に帰った後パンを持って空き地に戻ると、いつも通り茂みから犬が顔を出した。
「あ、いた」
犬は口を開けてハーハー言いながら、今か今かとパンを待ち構えている。
「どこ行ってたんだよー。せっかく綾ちゃんが来てくれてたのに」
愚痴を言ってパンをあげながら、性別が分からないことを思い出した。
チンチンが付いているかを確認するんだ。
しかし、犬は顔以外を茂みに収めていて確認ができない。
翔太は頭を巡らせて考えた。
考えた結果、翔太は屈んだまま少しずつ後ずさり、犬と距離を取っていく。
犬はパンを食べるために距離を詰めようと動き出す。
茂みから前足が出る。
いいぞ、いいぞ、この調子だ!
焦らずゆっくりと後ずさりを続けると、遂に全身が現れた。
翔太は手の位置はそのままに、横歩きして犬の側面に移動して、後足辺りに目を向ける。
果たして、そこにはご立派なものが付いていた。
チンチン付いてる! 男の子だ! 綾ちゃんに教えてあげないと。
かっこいい名前を考えてもらおう。
「綾ちゃんと考えるから、名前はもう少し待っててね」
犬はきょとんとした顔で首を傾げた。




