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祈りの天秤  作者: 青野 乃蒼
第一章 二人目の友達

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2 幼馴染の綾ちゃん

翔太はほぼ毎日、何かしらの嫌がらせを受ける。


すれ違いざまに足を引っ掛けられたり、悪口を言われたりは日常茶飯事。

これらに加えて、先日のように日直をやらされたりするのだ。


翔太の通う中浦小学校は、中浦町という少子高齢化を代表する田舎にあり、子供の数が少ない。

ゆえに各学年一クラスしかなく、入学から卒業までほぼ同じ生徒で過ごすことになる。

生徒の入れ替わりがないので、一度固まったスクールカーストが揺らぐことはない。


つまり、翔太に対する待遇が変わることは全くもって期待できないのだ。


だが幸いにして、これまであからさまな暴力を受けたことはない。

痛いのは嫌なので、これは本当に大きい。

このまま暴力を受けることなく、大したことのない嫌がらせをやり過ごして卒業できればいいんだけど。





今日は一時間目の授業から起きてしまった。


授業は算数で、少数の計算問題だった。越智先生が「分かる人?」と言って、挙手を求める。

クラスのほとんどが一斉に手を挙げる中、翔太は手を挙げなかった。


「じゃあ、瀬戸くん」


手を挙げていなかったのに、なぜか翔太が指名される。

越智先生が誰かの手を、翔太のものと勘違いしたのかもしれない。


思いもよらなかった翔太は、驚きで返事ができなかった。

「先生、僕は手を挙げてません」と言えば済むのかもしれないが、こういうことでみんなの耳目を集めるのは気が引ける。それなら、さっと前に出て答えを書いてしまう方が何事も無く済むはずだ。


翔太は動揺を抑えて立ち上がり、黒板へと向かった。


チョークで一息に答えを書いて、席に戻る。

何とかやり過ごせたと思っていたのだが……。


「瀬戸くん、ざんねーん! どこかで計算ミスがあったみたいだね。もう一回見直してみようか」


一部からクスクスと嘲笑が聞こえてくる。

その一部がどこで誰のものであるか、それは確認せずとも分かる。


しくじった。


翔太は頭が良いわけではない。

自分の学力を信用していたわけではないが、計算を誤ってしまうという可能性を考慮できていなかった。


これなら素直に、挙手していないことを申告すべきだった。

彼らに嫌がらせのネタを与えてしまうという大失態に、頭を抱えるしかなかった。


「次に答えてくれる人?」と先生が次の回答者を求める。


不運は重なるもので、越智先生が次に指名したのは加治くんだった。

加治くんは事も無げにさらっと正解した。

 

最悪の展開に、翔太は頭を抱えたままため息をついた。




案の定、授業が終わるや否や、加治くんと取り巻きがやって来た。


「瀬戸ぉー。お前はあんな簡単な問題も分からないのか?」


普段の声も大きめだが、今は意識的に大きくしているのだろう。

教室中にしっかり聞こえる音量で、はきはきと声を出している。

 

早くこの嵐が過ぎ去るように、加治くんたちが求める返答に努める。


「うん。僕、頭悪いから」


加治くんたちが奇声のような哄笑を響かせる。


「よく分かってんじゃん。瀬戸はバカだからな。バカなのに目立とうとするから、逆に恥かくんだぜ。バカはおとなしくしてろよ」

「うん、そうだね。気をつけるよ」


加治くんたちが笑い続けていると、ふと教室の窓側の方から、ガガガッと椅子の動く音が響いた。

大きい音だったので、翔太を含めた教室内のほとんどの生徒が、音の方に顔を向ける。


音の主は(あや)ちゃんだった。


綾ちゃんは直立不動で、睨むような鋭い目を加治くんに向けている。

翔太は一瞬でマズいと思った。


祈るように綾ちゃんを見つめていると、願いが通じたのか綾ちゃんと目が合った。

翔太は全力で首を左右に振った。

 

――どうか、事を荒立てないで。

 

それを見た綾ちゃんは、呆れたようにため息をついた。

そして何事も無かったかのように、すたすた歩いて教室を出ていった。


「なんだよ、あいつ。せっかくいいところだったってのに、水差しやがって」

「あいつ、KY(けーわい)なんじゃね?」

「間違いない。KYやKY」

「もういい。気分下がった。行こうぜ」


加治くんはそう言って、取り巻きたちと教室を出ていった。




その後は特に何もされず放課になったので、翔太は一人で帰っていた。


「翔ちゃん、待ってー!」


翔太のことを『翔ちゃん』と呼ぶのは、お母さん以外に一人しかいない。

振り返ると、綾ちゃんが小走りで駆け寄ってきていた。


綾ちゃんは、翔太の幼馴染である。

明朗快活、純真無垢な優しい女の子で、学校でもみんなに好かれている。

 

お互いの家は近からずも遠からず、辛うじて近所と言える距離感なのだが、母親同士の仲が良いこともあって、小さい時からよくお互いの家を行き来していた。

こんな馴れ初めでもなければ、間違いなく翔太は綾ちゃんと友達になれていない。


翔太のそばまでやって来た綾ちゃんは、呼吸を整えようと大きく息をする。

怒気を孕んだ鋭い目が、翔太を射抜かんばかりに捉えている。


綾ちゃんが怒っているのは明白で、その理由も分かっている翔太としては、いたたまれない気持ちになる。


「なんで止めるのよ!」


あの時、綾ちゃんは翔太のため、加治くんに物申すつもりだったのだと確信した。

全力で首を振っておいて良かった。


「いや、だって……」

「だってじゃないよ! 翔ちゃんは問題間違えただけじゃん! 誰にだってミスはあるよ! なのに、少し間違えたくらいで、大きな声でバカ、バカって。こんなことで人をバカにする加治くんたちの方がよっぽどバカだよ」

「綾ちゃん、気持ちは分かるけど、抑えて抑えて」

「翔ちゃんは悔しくないの? 辛くないの?」


悔しくないなんてことはない。辛くないなんてことはない。でも……。


「でも、どうしようもないよ。何を言ったってきっと変わらないだろうし」

「そんなの分かんないじゃん。翔ちゃんが何でも言うこと聞いちゃうから、加治くんたち調子に乗ってるだけかもしれないし。翔ちゃんが怒らないなら、わたしが怒る!」

「それはダメ」


これを翔太は恐れていた。これだけは絶対に避けなければならない。


「どうして?」


男子が女子に庇われるなんて男として恥ずかしいとか、そういうしょうもない矜持のためでは到底ない。


「僕の代わりに綾ちゃんが怒ったら、今度は綾ちゃんが標的にされるだろうから」

「でも……。翔ちゃんが言いなりになってるのを、見て見ぬふりするのは辛いよ」

「それは僕のセリフだよ。綾ちゃんが標的になったら僕のせいだし、僕のせいで綾ちゃんが辛い思いをする方が、今の何倍も辛い」


綾ちゃんの視線が徐々に下がっていく。その目からはもう怒気は感じられない。


「綾ちゃん、ありがとう。僕のために怒ってくれて。でも、僕は大丈夫だから。心配しないで」


綾ちゃんは俯いたまま、何か言いたげに口をもごもごさせたが、結局は何も言わず、口を一文字に結んだ。


「帰ろうか」


翔太がそう言って歩を進めた時、綾ちゃんに手を掴まれた。

 ちゃんの瞳が僅かに潤んでいるように見える。


「でも、辛い時はちゃんと言ってよ。話ぐらい、聞くから」

「うん、分かった。何かあったらちゃんと言うよ。ありがとう」


綾ちゃんは笑った。

頑張って作ったことが分かるややぎこちないその笑顔は、翔太の胸をチクリと刺すのだった。

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