4 死ねばいいのに
綾ちゃんの転校は、きっと覆すことができない。
翔太はそう思っていた。
翔太は転校の話を聞いてから、魂が引き抜かれたように意識が遠く、見るもの全てがどこか空想めいているように思えた。
加治くんたちから嫌がらせを受けても何も感じず、そういうシーンをスクリーンの外から眺めているような感覚だった。
綾ちゃんに転校を示唆された時は、衝撃で全く現実味が感じられず、感情が追いつかなかった。だが、日を追うごとに、その事実が徐々に頭に浸透していった。
受け入れることはできないが、理解はできた。
どうにかして、転校を止めることはできないのか――。
翔太は今、そればかりを考えている。
確か、綾ちゃんは言っていた。転校するのが、一番確実で手っ取り早いと。
翔太もその通りだと思っている。イジメの類を解決するには、やはり加害者と被害者を引き離すのが最善策だ。
それ以外となると、加害者を更生させるしかないわけだが、これは得策とは言えない。むしろ、ともすれば愚策になり得る。
そもそも、加害者が自らを省みて更生すること自体が期待薄だ。
それに、更生したかどうかなど外面からは評価が難しい。
加害者がしおらしい態度で反省の言葉を並べれば、更生の意志ありと、誰もがそう判断する。だが、それが本心なのか演技なのかは、当人にしか分からない。もし、演技だったのであれば、いつしかイジメが再開され、被害者は前回よりも更にひどい仕打ちを受けることになる。
この策を取るのであれば、いついかなる時も監視役が目を光らせ、加害者を抑制する必要がある。しかし、これは現実的ではない。
一日二十四時間、ずっと監視し続けるのは不可能で、どうしたってどこかで隙は生まれてしまう。加害者はいつもその隙を伺っていて、その隙を狙って行為に及ぶ。
だから、科学が発展し平和で豊かな暮らしができるようになった今日でさえ、イジメはなくならないのだ。
こうして翔太の思考は、袋小路に迷い込んでいた。
思考の渦に飲み込まれていたはずなのに、ふと「東雲」という単語が耳に入った気がした。
声の方に目を向けると、加治くんたちが談笑していた。
翔太は、苦虫を嚙み潰したような嫌な感覚を覚えた。
「そういえば、東雲って学校来ねーよな」
「あー、確かに。もう一週間は来てねーか」
「あれだけやりゃ、誰だって来なくなるだろ」
「加治、やり過ぎたんじゃね?」
「はあ? やり過ぎとかねーわ。そもそも、吹っ掛けてきたの、あいつだろ。ざまあって感じだわ」
「うわー、さすが加治だわ。女相手でも容赦ないのな」
「おいおい、今は男女平等社会だろ。女も男も関係ねーっての。ほんと、あいつがいなくなってせいせいしたわ」
翔太はこれ以上聞いていられなかった。
机に入れてある教科書などは放置して、とりあえずランドセルだけは引っ掴み、走って教室を出た。まだ、授業は残っているが、そんなことはどうでも良かった。
綾ちゃんは、あんなにも苦しんでいるのに、泣くほど辛い思いをしているのに、なぜあいつらは平然と笑っているんだ。
なぜ綾ちゃんが苦しまなければならないんだ。絶対におかしい。理不尽だ。
本当に苦しむべきは、いなくなってせいせいするのはお前だ、加治。
僕は絶対にお前を許さない。
翔太は走った。ひたすら走った。奇声のような雄叫びを上げながら、とにかく走り続けた。
ようやく止まった翔太は、乱れる呼吸もそのままに彼の名を叫んだ。
「シヴァ!」
当然ではあるが、シヴァは顔を出さなかった。
翔太は、ずかずかと茂みの前まで歩いていく。
シヴァはいつも通り、ひょっこりと顔を出した。
翔太は血走った目でシヴァを睨みつけながら、大きく息を吸った。
――加治なんて死ねばいいのに。
「ギャァン!」
その言葉を口にするまさにその直前、シヴァが吠えた。
それから何度も吠え、唸り声を上げて、翔太を威嚇してくる。
翔太は驚いて我に帰り、恐怖でシヴァから後退った。
「ど、どうしたんだよ、シヴァ」
声を掛けても、シヴァは一向に威嚇を止めない。目は翔太を射殺さんとばかりに眼光鋭く、鋭利に尖った歯は怪しい光を放っている。
襲われるかもしれないという思いが、ふと頭をよぎる。
翔太はじりじりと下がり、シヴァから距離を取った。
ある程度まで下がったところで、シヴァは茂みに引っ込んでいった。
こんなシヴァは初めてだった。今まで威嚇されたことなんて無かったし、吠えるのだって、お願いを聞いてくれた時だけだったのに――。
そこで翔太は気づいた。
そうだ。僕はお願いをするために、シヴァのところに来たんだ。
そのお願いは、確か。
『加治なんて死ねばいいのに』
翔太の推理では、シヴァはお願いを叶えてくれるという不思議な力を持っている。その力はおそらく、人を死に追いやることはできない。しかし、それに近い形に姿を変えて、お願いが成就する。
だが、このお願いには代償が求められる。その代償とは、お願いと同等に近い不幸を、お願いをした本人の家族が受けるというものだ。
翔太は先ほど、加治くんの死を願おうとした。もしこれが聞き届けられていたら、加治くんは死にはしないものの、それに近い不幸に陥っていただろう。そして、その代償に、翔太の家族の誰かが、同じような不幸を引き受けることになったはずだ。
翔太は事の顛末を理解し、背筋が凍りつくような思いがした。
ゾクリと感じたかと思うと、手がみるみるうちに震え出し、止まらなくなった。
翔太は一時の激情で、家族を死に近い状態にさせるところだったのだ。
翔太は猛省した。無論、加治くんたちは許せない。
だが、誰かを――家族を犠牲にしてまで、シヴァの力を借りて制裁を加えるのは間違っている。
制裁のために傷つくのは、誰かではなく、自分でないといけない。
翔太は覚悟を決めた。
改めてシヴァの力を再認識し、封印しようと心に決めたところで、ある考えが頭に浮かんだ。
もしかして、シヴァは僕を止めてくれたのではないか――。
シヴァはこんな非科学的で超人的な能力を持っているのだ。
人の心を読むことぐらい、造作もないかもしれない。
翔太は心からシヴァに感謝した。
お母さんの目を盗めた時は、お肉でも持っていってやろうと思った。




