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祈りの天秤  作者: 青野 乃蒼
第二章 願いと代償

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6 シヴァの力

加治くんが午後から学校を早退した翌日、加治くんは松葉杖を突いていなかった。

どうやら完治したらしい。


だが、翔太が驚くことはなかった。

むしろ、いつ病院からお墨付きを貰ってもおかしくないと思っていた。

なにせ加治くんは、既に何日も前から松葉杖を突かずに歩いていて、松葉杖は飾りのようになっていたのだ。


ついに始まってしまうのだろうな――。


完全復活を遂げた加治くんには、今や何の枷もない。彼の行動を妨げるものはなく、彼の気分一つで、彼の思うままに動けてしまう。


翔太は名残惜しむように、ここ二か月の平穏な日々を反芻していた。




いつ始まってもおかしくはないと翔太は身構えていたのだが、日中は何事もなく過ごせた。

翔太は少しホッとしていた。後はもう家に帰るだけだ。


しかし翔太はそこで、過去の教訓を思い出す。

学校は家に帰るまでが学校だ。前みたいに、帰り道で一悶着なんてことがあるかもしれない。


翔太は気を引き締め直し、誰にも気づかれないように気配を消して、そっと教室を後にした。


靴箱の手前まで来たところで、突然肩をガッと掴まれた。

驚きつつも振り返ると、そこには加治くんがいた。


「よお、瀬戸。一緒に帰ろうぜ」


この二か月で築き上げてきた平穏のお城が、ガラガラと崩れ落ちていく音がした。



案の定、帰り道に加治くんと橋本くんのランドセルを持たされた。

久々の苦行だったからか、前よりも強くストレスを感じた。

なんで自分がこんなことを、と反抗心すら覚えた。


加治くんたちと別れた後、翔太は「くそっ」と愚痴を吐いた。

そこには、彼らへの不満とは別に、何もできない自分への歯がゆさも含まれているような気がした。


こういう時は、ついシヴァに愚痴をこぼしてしまう。

相手が人ではないから、抵抗感が薄れるのかもしれない。


「シヴァ、ついに始まっちゃったよ。加治くんが復活したんだ。始まってしまうと余計に感じるけど、この二か月は幸せだったなー。本当に良かった。だからこそ、明日からが憂鬱で仕方ないよ。前まではそうだったんだから、耐えられないってことはないけど、この二か月で甘い蜜の味を知っちゃった分、辛く感じるかもしれないなー。現に今日はすごい抵抗感があったし」


シヴァは今日も元気良く、もぐもぐとパンを食べている。

翔太は大きなため息をついた。


「はあ、嫌だなー。加治くん、戻ってきたばっかりだし全く期待できないけど、また休んでくれないかなー……なんて。それじゃ、なんの解決にもならないよね」


翔太は苦笑いするも、すぐに元の表情に戻った。

シヴァが食べるのを止めて、翔太をじっと見つめていたのだ。


翔太はそこで、はたと気づいた。


確か、前にもこんなことがあった。あれは確か……今日と同じような日だった。嫌がらせを受けて、シヴァに愚痴をこぼしてしまった日だ。


他人を批判したり、不幸を願ってしまう時は、どうしても強い言葉になってしまう。人が発する負の感情のようなものに、シヴァは反応しているのかもしれないな、と翔太は思った。


「ごめんね、シヴァ。愚痴なんかこぼして。こんな話聞いても気分良くないよね。気をつけるよ」


翔太はシヴァの頭を撫でてやる。

すると、シヴァは視線をパンに戻して、食べるのを再開した。


シヴァが食べ終えたので、翔太は「じゃあまた明日」と別れを告げると、それに応えるようにシヴァが鳴いた。


シヴァが鳴くのも、前に愚痴をこぼした日と同じだなと思い当たった。

翔太は改めて愚痴をこぼしたことを反省し、「ごめんね」とつぶやいた。





翌朝、加治くんは学校に来なかった。


足のケガは完治したはずだが、経過観察か何かの通院だろうかと思っていると、越智先生が風邪だと教えてくれた。


それを聞いた時、翔太はふと思い当たる節があった。

夏に近づきつつあるというのに、背中がゾワッとして寒気がした。


もしこの予感が当たっているのだとしたら――。


翔太は気がそぞろになって、授業の内容が何一つとして頭に入ってこなかった。



放課のチャイムが鳴った瞬間、翔太は教室を飛び出して、急いで家に帰った。


玄関で靴を放り脱ぎ、ランドセルは背負ったまま、リビングに駆けた。

お母さんがいた。キッチンで洗い物をしているようだった。


「翔ちゃん、おかえり。ただいまも言わずに、そんなに慌ててどうしたの?」

「え、あ、うん。ただいま」


普段ならこの時間にお母さんがいることはないのだが、とりあえず無事なことが分かって安心した。


「それはそうと、あんまり物音立てないようにしてね。お父さん、風邪引いて寝込んでるから――」


お母さんは喋り続けている。だが、翔太には聞こえていなかった。

予感は当たっていた。それは翔太の考えが正しいことを裏付けた。


お母さんが喋り終えたのを確認して、翔太は部屋に戻った。

自分の考えを今一度整理しようと、勉強机の上でノートを開いた。





翔太は記憶に新しい今日の出来事から、遡って整理することにした。

今日の一連の出来事は、昨日嫌がらせを受けたところから端を発する。


翔太は箇条書きに近い形で、時系列に沿ってシャーペンを走らせた。



 加治くんと橋本くんにランドセルを持たされる

 ↓

 シヴァに愚痴(加治くん休め)を言う

 ↓

 シヴァが僕を見つめる

 ↓

 シヴァが鳴く

 ↓

 加治くんが風邪で休む

 ↓

 お父さんも風邪を引く



続いて、その前に同じようことが起きた時のことを、思い出しながら書き出していく。



 村上くんに絵具の中身を全部捨てられる

 ↓

 シヴァに愚痴(痛い目を見ろ?)を言う

 ↓

 シヴァが僕を見つめる

 ↓

 シヴァが鳴く

 ↓

 村上くんがインフルエンザで休む(約一週間)

 ↓

 お母さんが指を切る(全治、約二週間)



最後に、加治くんが交通事故に遭った時のことも書いてみる。

翔太自身は愚痴を口に出してしまっていたのか確信は持てないが、状況は酷似しているような気がしたのだ。



 加治くんに悪質なスライディングをされる

 ↓

 シヴァに愚痴(加治くんいなくなれ?)を言う

 ↓

 シヴァが僕を見つめる

 ↓

 シヴァが鳴く

 ↓

 加治くんが交通事故に遭う(全治、約二か月)

 ↓

 夫婦喧嘩して、お父さんが家出する(約一か月)



三つの事例を書いてみると、対象となる人物や、その人物に降りかかる不幸の種類は違うが、パターンという大枠で見れば、一致していると言っていいだろう。


その大枠とは、簡単に言えばこうなる。


『翔太が嫌がらせを受け、シヴァに愚痴を言う――他人の不幸を願うと、その願いがやや薄まった形で叶えられる。ただしその代償として、同等に近い不幸をお父さんかお母さんが受ける』


やや薄まった、と表現したのは、加治くんが交通事故に遭った時のことがあるからだ。


あの時翔太は「いなくなれ」というようなことを思ったか口にした記憶がある。だが実際には、学校を休んでいたのは一か月程度と一時的で、永久にいなくなるということはなかった。


そこから、願いは何でも叶うわけではなく、また、人の命を奪ってしまうということもできないのだと推測している。だが一度願えば、その願いは叶えられる範囲に形を変え、成就するのだろう。


代償は、今のところお父さんとお母さんが受けているが、二人だけとは言い切れない。おじいちゃんやおばあちゃんが受ける可能性だってあるし、自分自身が受ける可能性だってあるだろう。


ただ、一つ言えることは、代償を受けるのは願った本人もしくは本人と関係の深い人物だろうということだ。もしそうでないと、代償とは言い難いからだ。


思い付いた時には甚だ荒唐無稽だと思っていた。だが、こうしてノートに書き出して整理してみると、もはや核心をついているのではないかとさえ思えてしまう。



翔太は漫画の世界にでも入り込んでしまったかのようで、ふわふわとした感覚だった。

その一方で、とんでもない力を手にしてしまったのではと、慄いて手が震えていた。

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