1 好きではないけど、どうしても嫌いではない
ようやくできました、新作!
最初の数話は、読んでも気持ちが良くなるお話ではないと思いますが、最後にはきっと、
「読んで良かった!」と思えるはずです!(筆者、切実)
どうか最後までお付き合い頂けますと幸いです。
好きではないけど、どうしても、というほど嫌いではない。
学校という存在を、翔太はこう評している。
自分は特別頭が良いわけでも、運動ができるわけでもなければ、何かに熱中しているわけでもない。
何か一つでも秀でるものがあれば、周りから「すごいね」と評価を得られて自尊心が満たされたり、それをきっかけに友達ができたりするのだろうけれど。
お生憎様、自分には何一つとして才能というものは与えられていない。
だから、というには少し強引かもしれないが、楽しいと思えることなんて、まず起きない。
学校に思い入れるほどのことなんて起きない。
学校なんか行かなくていい。そう大人に言われたら。
誰か偉い人が、自分の将来を保障してくれるなら。
学校にはきっと行かない。だって、楽しくないのだから。
かと言ってそんなことは起こり得ないわけで、小学校から不登校になっては、再起不能とまではいかないまでも、今後の人生において、かなり大きなハンデを背負うことになる。
そんなリスクを負ってまで、自ら不登校の道を選ぶほど辛いことがあるわけではないので、『どうしても嫌い』ではないと思っている。
「いってきまーす」
二階の自室から階段を降りた翔太は、リビングにいるお母さんに声を掛ける。
玄関で靴紐を結んでいると、背後からお母さんの足音が近づいてきた。
「気をつけてね」
お母さんはそう言いながら、翔太の頭をわしゃわしゃっと撫でてくる。
「うん。じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」
お母さんと手を振り合って、翔太は家を出た。
学校までの道程はほとんどが川沿いで、車通りはほとんどなく、川を流れる水の音と小鳥のさえずりが僅かに響く。
最近は雨が降っていないので、川の流れは穏やかだ。揺れる川面が、朝陽を乱反射してキラキラと輝いている。
田舎と聞いて皆が想像するような景色が、ここには広がっている。
学校に着いて、玄関で上履きに履き替えた後、教室へと向かう。
階段を上がって右手に少し進むと、入口に『五年生』と書かれた部屋がある。
ここが翔太の教室だ。
スライド式の戸を開けた瞬間、騒音にも近いような男女の声が押し寄せてくる。
女子はいくつかのグループに分かれておしゃべりし、男子は一塊になってプロレスごっこか何かをやっている。
小学生としては健全にして当然とも言えるべき光景ではあるが、落ち着いた空間を好む翔太としては、朝からこの喧噪は耐え難いものがある。
本当なら今すぐにでも耳を塞ぎたいところだが、そこまでするとあからさまに見えて、反感を買う可能性もある。
余計な揉め事は起こさず、できるだけ無難に過ごしたい。
上げそうになる手をぐっとこらえて、しかし我慢できずに眉だけはひそめながら、自席についた。
「瀬戸、おはよー」
席に着くなり、背後から声を掛けられる。
声の主は加治くん。脚が速くて、運動神経が良い。確か、サッカークラブに通っている。
活発で物怖じしないが、我が強くて人当たりも強く、お山の大将のような振る舞いをすることが多い。
良くも悪くもクラスの中心人物ではあるが、翔太は加治くんがあまり得意ではない。
「……おはよう」
後ろを振り向くと、さっきまで男子の集団にいたはずの加治くんが、すぐ後ろまで来ていた。
「今日の日直、瀬戸だよな」
「……違うけど」
日直は、生徒の苗字の五十音順からなる出席番号順で、男女ペアになって一人ずつ日替わりで担当する。
昨日の男子の当番は小田くんだった。だから翔太ではない。
「は? 何言ってんの? 瀬戸だろ」
また始まった。
こういう時、結果は既に確定している。何を言っても覆ることはない。
理不尽なことこの上ないが、結果が変わらないのであれば抵抗するだけ無駄だということは分かっている。
翔太はこういう時、潔く身を引くことにしている。
「そうだね」
「だろ? 忘れんなよ。日誌、俺の机の上にあるからな」
ニヤニヤしながら、加治くんは元の輪に戻っていく。
翔太は言われた通り、加治くんの席に日誌を取りに行った。
日直の仕事は、授業後の黒板を消すのと日誌を書くだけ。これくらい、別にどうってことはない。
日誌を手に取ったところで、女子から声を掛けられた。
「瀬戸くん、大丈夫?」
先ほどの会話が聞こえていたのだろう。
ひそひそと話していたわけではないので、聞こえていても不思議ではない。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう、河野さん」
「ああいうのダメだよね。わたし、絶対許せない。瀬戸くんは我慢して偉いよ」
河野さんは声のトーンを落として、ひそひそと言った。
河野さんは偉いと言うけど、もし河野さんが同じような状況に陥ってしまったら、きっと自分と同じように我慢――というより泣き寝入り――するしかないと思うよ。
と思ったが、そんなことは当然口にできず、かといって他に繕う言葉も見つからず、翔太は曖昧に笑うしかなかった。
「わたし、今日、日直なんだ」
「そっか。よろしく」
「うん。それで瀬戸くん、どっちがいい?」
特に決まりがあるわけではないのだが、片方が黒板を消し、もう片方が日誌を書くという分業の形が通例となっている。
個人的にはどちらでもいいが、黒板消しだと粉塵が舞って汚れてしまう。粉を被ったり服が汚れるのは、女子は嫌だろうなと思った。
「僕が黒板消しやろうと思うんだけど、どうかな?」
「うん、いいよ。じゃあわたしが日誌書くね」
「よろしく」
河野さんが伸ばした手に、翔太はそっと日誌を差し出した。
こういう日に限って――というより、こういう日だからこそ――加治くんとその取り巻きは、授業が終わる度に、黒板に盛大な落書きをする。
多少ムッとはするが、表には絶対に出さない。反感材料を与えては、相手の思う壺だからだ。
黙って黒板を消す。これが最適。
最初こそ、黒板を消している翔太を訳の分からない言葉で挑発しながら落書きを増やしていくが、それを無視してひたすら消し続けると、たいてい昼以降は『バカ』とか『うざい』といった落書きというか悪口を書いて、それを消していく翔太の横で舌打ちをして席に戻っていくようになる。
こうなれば、自分が勝ったような気分になる。内心、ほくそ笑んでいたりする。
冷静に考えると、何の勝負に? とならなくもないが、これが翔太にとって、彼らへの小さな抵抗だからかもしれない。
今日の授業が終わり、ほどなくして終わりの会が始まった。
終わりの会は、担任の越智先生が一言二言話した後、学級委員長の号令のもと、生徒全員で「先生さようなら!」と挨拶すればお開きとなる。
今日も無事に終わったなーと思っていたら、あっという間に学級委員長の号令が響いた。
みんなの元気な声に混じって、翔太も一応挨拶した。間違いなくみんなの声にかき消される音量で。
越智先生が「さようなら」と挨拶を返したとほぼ同時に、加治くんと取り巻きは急いで教室を出ていった。サッカークラブの練習があるのかもしれない。
期待も何もしていないが、加治くんからお礼を言われることはない。あるはずがない。
だって、今日は翔太が日直なのだから。
帰り支度をした後、翔太は河野さんの席に向かった。
「河野さん、今日は日誌ありがとう」
「こちらこそ、黒板消しありがとう。いつも大変だね」
「まあ、ね。でもそんなに大したことじゃないよ。僕は大丈夫だから」
「そっか。じゃあわたし、先生のところに日誌持っていってくるね。」
河野さんは、ランドセルを背負い、両手で抱えるようにして日誌を持った。
「瀬戸くん、またね」
「うん、また明日」
河野さんが教室を出ていくのを見送ってから、翔太も教室を後にした。




