第7話 初めてのタスク管理
ギルドの重い扉を押し開け、外の喧騒の中に一歩踏み出す。背後からは、まだ俺の奇行を肴に酒を飲んでいるであろう冒険者たちの、かすかな笑い声が聞こえてくる気がした。
「(笑いたければ笑うがいい。君たちには、俺が今、どれほどのエクスタシーを感じているか、万分の一も理解できないだろうからな)」
俺は誰に言うでもなく心の中で呟き、口の端が自然と吊り上がるのを抑えられなかった。
気持ち悪いと罵られた、あのハンナという受付嬢の顔が脳裏をよぎる。無理もない。今の俺の顔は、おそらく長年のデスマーチの末にようやくプロジェクト完了の目処が立ち、バグだらけのソースコードの中に一筋の光明を見出した時の、あの狂気と歓喜が入り混じったSEの顔をしているに違いない。
俺は人通りの多い大通りを避け、建物の影になっている薄暗い路地裏へと入った。まずは、先ほど取得したばかりの新しい「ツール」の仕様を、じっくりと確認する必要がある。
「さて、と。お手並み拝見といこうか」
壁に背を預け、周囲に人がいないことを確認してから、俺は再び意識を集中させた。
目の前に、例の半透明ウィンドウが浮かび上がる。
『親スキル:【業務効率化】
└ サブスキル:【タスク管理】』
俺は、サブスキルとして表示された【タスク管理】の項目を、指でタップするようなイメージで念じた。すると、ウィンドウが滑らかに切り替わり、新たな画面が表示される。
「……これは」
思わず、声が漏れた。
目の前に現れたのは、俺が前職で嫌というほど見慣れた、プロジェクト管理ツールのダッシュボードそのものだったからだ。
画面の左側には、俺が先ほどギルドで引き受けた依頼が、カード形式でずらりと並んでいる。
『未着手タスク(12件)』
・【薬草「月見草」の採取】
・【ポポの実の納品】
・【迷子の猫「タマ」探し】
・【ギルド倉庫の清掃】
・【壊れた農具の修理】
・【井戸水の水質調査】
……以下、省略。
まるでTrelloかJiraのカンバンボードだ。俺は試しに【薬草「月見草」の採取】のカードを念じてみる。すると、カードが拡大表示され、詳細な情報がポップアップした。
『タスク詳細:薬草「月見草」の採取』
『依頼主:薬屋の老婆エルマ』
『概要:街の南の森に自生する月見草を10本採取し、納品すること』
『要求スキル:特になし(【鑑定】スキルがあれば効率向上)』
『推定所要時間:約45分(移動時間含む)』
『リスク評価:低(スライム等の低級モンスターと遭遇する可能性:15%)』
『報酬:銅貨5枚』
『関連情報:月見草は湿気の多い、月光の当たりにくい場所に群生する傾向あり』
「……はっ」
乾いた笑いが漏れた。
なんだこれは。完璧じゃないか。
依頼の概要だけでなく、リスク評価から関連情報まで、必要な情報がすべて網羅されている。これがあれば、無駄な情報収集に時間を費やす必要もない。
「やれやれ。これだけでも十分すぎるほどチートだが……まさか、これだけじゃないだろうな?」
俺はダッシュボードの右上隅に、小さく表示されている一つのボタンに気づいた。
そこには、こう書かれていた。
【最適化(Optimize)】
俺は、期待に胸を膨らませながら、そのボタンを念じた。
『全タスクの最適化処理を開始しますか? YES/NO』
「YESだ。大声でYESと叫びたい気分だ」
俺がそう念じた瞬間、視界が大きく切り替わった。
目の前に、クロスロードの街とその周辺地域の、驚くほど精巧な3Dマップがオーバーレイ表示されたのだ。まるで、最新のカーナビか、フライトシミュレーターのようだ。
マップ上には、俺が受けた12件の依頼の目的地が、それぞれ異なる色のアイコンでプロットされている。薬草の採取場所、猫が最後に目撃された地点、壊れた農具がある農家、ギルドの倉庫……。
そして、それらのアイコンを縫うように、一本の青い光の線が、するすると描かれていく。
『最適化処理、完了。全12タスクを最短時間・最小リスクで完了するための最適ルートを算出しました。推定総所要時間:3時間28分。このルートに従って行動しますか?』
「……」
俺は、言葉を失った。
これは、もはやただのタスク管理ツールではない。
複数のタスクを統合し、依存関係を解決し、リソースを最適配分して、最短のクリティカルパスを導き出す。これは、完全なプロジェクトマネジメント・スイートだ。
俺は頭の中で、この一連の雑用依頼を、一つのプロジェクトとして再定義した。
『プロジェクト名:クロスロード雑務一括処理プロジェクト』
『目標:12件の依頼を半日以内に完了させ、スキル【業務効率化】の有効性を実証する』
『担当者:俺』
『使用ツール:【タスク管理】』
「くくく……」
笑いが止まらない。
「アハハハハ!」
路地裏に、中年男の乾いた、しかし心底楽しそうな笑い声が響き渡った。
もし、このスキルが前職の時にあったなら。あの地獄のようなデスマーチも、もっとスマートに、もっとエレガントに乗り越えられただろうに。無能な上司に「なぜこのタスクから始めるのか、根拠を示せ」と詰められても、この最適化ルートを叩きつけてやれば、ぐうの音も出なかったはずだ。
「やれやれ、今更言っても仕方ないか」
俺は笑うのをやめ、表情を引き締めた。
計画は立った。あとは、実行あるのみだ。
俺は、最適化されたルートの、最初の目的地を確認する。
それは、街の東門の外れにある、小さな農家だった。「壊れた農具の修理」の依頼だ。
「よし」
俺は路地裏から出ると、太陽の光を浴びながら、確かな足取りで歩き始めた。
視界の隅には、常に半透明のマップと、目的地を示す青い光の矢印が表示されている。迷うことはない。無駄な寄り道もない。
ただ、完璧に、効率的に、タスクを遂行するだけだ。
俺の異世界での、記念すべき最初の「業務」が、今、始まった。